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【栗村修】
一般財団法人日本自転車普及協会
1971年神奈川県生まれ
中学生のときにTVで観たツール・ド・フランスに魅せられロードレースの世界へ。17歳で高校を中退し本場フランスへロードレース留学。その後ヨーロッパのプロチームと契約するなど29歳で現役を引退するまで内外で活躍した。引退後は国内プロチームの監督を務める一方でJ SPORTSサイクルロードレース解説者としても精力的に活動。豊富な経験を生かしたユニークな解説で多くの人たちをロードレースの世界に引きずり込む。現在は国内最大規模のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」の組織委員会委員長としてレース運営の仕事に就いている。
本日は、東京・渋谷に於いて「JBCFカンファレンス(方針発表説明会)」が開催されました。
昨年の2月に大きく刷新された現行の理事体制ですが、大半の理事が2018年シーズンがスタートしたあとのタイミングで新たに理事に着任したこともあり、皆手探りのなかでの勉強の一年だったと感じています。
もちろん私自身にとっても戸惑いや悩みなどが連続するシーズンだったことは言うまでありません。そして改めて、50年の歴史があり、2,861人の登録者を抱える「連盟」の運営というものが簡単ではないことを思い知らされた時間でもありました。
私がかつて長い歴史を持ったチームである「チームミヤタ」の監督となり、マネージメントの仕事に初めて就いたのは29歳のときでした。その後、シマノレーシング、宇都宮ブリッツェンと、チーム側のマネージメント業を12年間務めました。
選手時代とはモノの見方が大きく変わり、監督になりたての頃は様々な悩みを抱えていたものです。
そして次のステップとして、42歳の時に国内最大規模のステージレースである「ツアー・オブ・ジャパン」の職に就き、2年間「大会副ディレクター」を務めたのちに、2016年大会から「大会ディレクター」に就任しました。
「選手→監督」の転身時よりも、「監督→大会主催者」への転身時の方がより大きな戸惑いや苦しみを味わいました。
同時に「自転車関連団体で働く」という、いつかは通らなければならないと思っていた環境に身を置くことにもなりました。
立場が変わるごとに、以前の自分には見えてなかった多くのことが見えてきました。正直、外部からみている状態と、自分が中に入って実務者として業務に関わることの間には、考えていたよりも大きな隔たりがありました。
「国内のコンチネンタルチームを運営することは15名ほどを管理する仕事」です。
「ツアー・オブ・ジャパンは更に規模が拡大しステークホルダー全体でみると数百人規模の業務」になります。
そして「連盟運営は年間50以上のレース(そこに多くのステークホルダーがいる)と3,000人弱の登録者を運営・管理する業務」ということになります。
更に、チーム運営→国際レース主催者→連盟運営という順で、ステークホルダーの価値観の幅も劇的に拡大していきます。
私自身、大学などで経営学を学んだわけではありませんし、当然MBAを取得している様なエリートでもありません。あるのは「自転車への愛」だけではありますが、自分が関わった以上は、どういう形(手段)であれ、その団体を良い方向へ向かわせたいものです。
人がやりたがらない仕事というものがあります。もしかすると、自転車チームの監督業や、国際レースの主催者業もかつてはそうだったかもしれません(それ単独の仕事というものが昔は存在していなかった)。現在の連盟理事は正式には仕事といえる状態にはなっていませんが、恐らく「人がやりたがらない職」の一つであるのは間違いありません。
様々な逆風が吹いていることは理解していますが、いつか「連盟の理事になって仕事として自転車界を良くしていきたい」という若者が生まれる様に努力を継続していきたいと思います。