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【栗村修】
一般財団法人日本自転車普及協会
1971年神奈川県生まれ
中学生のときにTVで観たツール・ド・フランスに魅せられロードレースの世界へ。17歳で高校を中退し本場フランスへロードレース留学。その後ヨーロッパのプロチームと契約するなど29歳で現役を引退するまで内外で活躍した。引退後は国内プロチームの監督を務める一方でJ SPORTSサイクルロードレース解説者としても精力的に活動。豊富な経験を生かしたユニークな解説で多くの人たちをロードレースの世界に引きずり込む。現在は国内最大規模のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」の組織委員会委員長としてレース運営の仕事に就いている。
11月24日(土)に宇都宮グランドホテルに於いて、地域密着型自転車ロードレースチームである「宇都宮ブリッツェン」のシーズンエンドパーティーが開催されました。
チームの運営会社である「サイクルスポーツマネージメント社」が主催する当パーティーは、多くの支援者によって支えられている地域密着型チームとしては欠かせない恒例行事であり、企業系のチームにはない「人と人を繋ぐ」社交の場となっています。
そして、10年目のシーズンを終えた「宇都宮ブリッツェン」は「第一章」を終え、次のステップに向けた挑戦をはじめることになります。
私自身、第一章の最初の部分(チーム発足2年目から4年間)に監督として関わりましたが、そのスタートは決して平坦なものではありませんでした。
チームの運営費を獲得するためには、「地域貢献活動」やチームブランディングのための「イベント・各種企画」などに多くのエネルギーを割く必要があるわけですが、それらは選手が強くなるための活動(トレーニングなど)の妨げになる要素でもあるので、理解を得られるまでは内部で小さな衝突が頻繁に繰り返されていました。
また、閉鎖的な国内のロードレース界に於いて、積極的なチームブランディングを展開した結果として、チームスポンサーやメディア、ファンの皆さんなどには喜んでいただけたものの、成績が伴わないと「色物」として周囲の関係者に扱われることもしばしばありました。
いわゆる「親会社」がない「自給自足」のチームにとっては、活動費を自分たちで稼ぎながら「親会社を持つチーム(決まった予算を使うだけのチーム)」を成績で上回っていくことは決して簡単なことではありませんでした。
しかし、徐々に、様々な経済活動を通じて自分たちが社会の一員であること、地域貢献活動を通じて自分たちが社会的な責任を持った存在であること、そして、最も大切な「応援してくれるひとたちがいる」ということなどが後押しとなって、人間が正常なモチベーションを継続的に生み出すための環境が整いはじめ、本来であればトレーニングの妨げになるような活動自体が「正の効果」を生み出しはじめ、チームは競技面に於いても高い成果を挙げるようになってきたのです。
いつも言うことですが、山は登れば登るほど険しくなります。
自分自身、「ブリッツェン単体でできることは限られている」という思いから現在の仕事に転職したわけですが、いまもその時に決意した気持ちはなにひとつ変化していません。
「(日本のロードレース界の発展のために)正しい形態を持ったこのチームをもっと飛躍させなければ」という想いを持った登山はまだまだ道半ばです。
引き続き彼らと共に高みを目指していきます。