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【栗村修】
一般財団法人日本自転車普及協会
1971年神奈川県生まれ
中学生のときにTVで観たツール・ド・フランスに魅せられロードレースの世界へ。17歳で高校を中退し本場フランスへロードレース留学。その後ヨーロッパのプロチームと契約するなど29歳で現役を引退するまで内外で活躍した。引退後は国内プロチームの監督を務める一方でJ SPORTSサイクルロードレース解説者としても精力的に活動。豊富な経験を生かしたユニークな解説で多くの人たちをロードレースの世界に引きずり込む。現在は国内最大規模のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」の組織委員会委員長としてレース運営の仕事に就いている。
以前(2011年)、近藤史恵さんの 『 サヴァイヴ 』 という小説の書評を書いたことがあるのですが、先日その自分が書いた書評を目にする機会があり、なんとなく印象的だったので改めてブログに載せてみます。
『どん底の苦しみの中、「生き抜く」ということ』 栗村 修
自転車ロードレースという、ヨーロッパで100年以上の歴史を誇る一流プロスポーツを題材とした小説。
そのリアリティは、この世界でずっと生きてきた私が読んでも、違和感を微塵も覚えないほど非常に高い。
違和感どころか、自分たちの活動や心のなかを全て読まれてしまっているようにすら思える。
本場ヨーロッパで、トッププロが集まるプロトン(レースのメイン集団)に認められた日本人選手、白石誓。
白石と同期ながら、国内チームに所属して夢を追う全日本チャンピオン、伊庭和実。
この二人の一世代前の選手として、遠い夢を追った孤高のクライマー、石尾豪。
私は、この3人の主人公たちに感情移入してしまう。
ただ、強いて言うならば、世界のトップレベルを知った白石の気持ちを知ることはできない。
なぜなら、私はヨーロッパでプロになったものの、たった1年で日本の実業団チームに戻ってきたため、プロのトップレベルの世界をみることができなかったからである。
それでも、17歳の時にフランスへ渡り、ツール・ド・フランスを夢見てひたすらペダルを踏み続けてきた情熱は、ロードレーサーなら誰もが持つ共通のものであることに変りないだろう。
自転車ロードレースは、人生を象徴しているスポーツだとこれまで何百回と繰り返し感じてきた。
光と影、そして闇の部分を持ち、理屈では説明できない強力なモチベーションに突き動かされた男たちが、文字通り、命と人生を賭けてこの世界で自らを表現し続けている。
人生とは、信仰し、行動し、喜び、悩み、悲しみ、そして解決できない矛盾との戦いを延々と繰り返すものだと、ロードレースに教えられた。
そんななかで、唯一、前に進み続けるために有効な解決策は、現実を受け入れ、僅かな希望の光を見付けて立ち上がり続けること。
本当の意味での、答えやゴール、勝利などない。
ただ、立ち上がり続けることが、勝利することなのだと……
この小説の特徴的な部分、それは、国内で活動する日本人選手たちの心までも、恐ろしいほど的確に捉えているところである。
自転車ロードレースは、ヨーロッパにおいて、サッカーの次にメジャーなスポーツだといわれている。
当然、一流プロ選手たちは億単位の報酬を受取り、メディアに追われ、時にはゴシップ記事の標的になることさえある。
しかし、日本においてはまだマイナーであり、世界を目指して活動している日本人選手たちは、このスポーツが生み出す苦しみと戦うとともに、なぜ自分は命を賭けてまで日の当たらない場所で努力を続けているのか?という矛盾とも向き合わなければならない。
これは、日本に生まれ、そして日本人として本場のプロを目指した者にしか分からない苦しみだ。
理解者、共感してくれるひと、そんな言葉とは無縁で、自らの肉体を削り込んでいく日本のロードレーサーたち……。
著者の書くロードレース小説は、そんな孤独なレーサーたちの努力を、ある意味で救ってくれる存在なのかもしれない。
また、日本のロードレース界が、近年世界レベルに近付いている現在の状況は、過去にチャレンジを繰り返してきた先人たちの努力の結果であることも、きちんと書かれている。
努力すること、チャレンジすること、そして、何度でも立ち上がれるということ。現在の日本の社会が忘れかけている、人が生きることの本質を、自転車ロードレースというスポーツを通じて表現した作品として私はこの本を読んだ。
私がヨーロッパで選手だったときには、孤独感に打ちひしがれ、自分の夢と、残酷な現実の間で、何度も精神的どん底に落ちたことがある。
もし、この小説があのとき自分のスーツケースに入っていたならば、私の選手人生は、もう少し長く、そしてもう少し輝いたものになっていたかもしれない。
ギリギリの世界で生きる者たちの心は、鋼のように強く、そしてガラスのように脆い。
著者の洞察力は、そんな彼らの心を完璧に捉えている。
最後にもう一度言いたい。自分が現役時代にこの作品を読みたかった、と。