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朝から冷たい雨が降り続いた。スタート地の選手たちはギリギリまで暖かいチームバスにこもり、サイン台にさえ姿を現さない選手も多かった。前日ひどい落車の犠牲となりったロベルト・ヘーシンク(ラボバンク)やエセキエル・モスケーラ(シャコベオ・ガリシア)は両者共に左ヒザと左ヒジを包帯で覆い、スタートラインへ直接向かった。山頂での気温は摂氏10度を下まわり、雨こそ途中で上がっていたが、ゴール地アビラは凍えるような寒さに襲われた。
こんな寒さを吹き飛ばすように、スタート直後から多くの選手がアタックを試みた。ブエルタの株主でもあるASOツール・ド・フランス開催委員会のボス、クリスティアン・プリュドムがオフィシャルカーから見守る中、熱を帯びた飛び出し合戦は1時間以上にもわたって続く。ようやくエスケープ集団が出来上がったのは、50kmほど走ってから。1級ミハレス峠への登りで、16選手が大逃げの切符を勝ち取った。前方集団にはスタート直後から何度も飛び出しにトライしたフィリップ・ジルベール(サイレンス・ロット)やロマン・クルイジガー(リクイガス)、すでに今ブエルタでは何度も逃げているレイン・タラマエ(コフィディス・ル クレディ アン リーニュ)やダビ・エレーロ(シャコベオ・ガリシア)等々が滑り込んだ。
第13ステージの勝者にして、山岳賞首位のダヴィ・モンクティエ(コフィディス・ル クレディ アン リーニュ)も、大会4度目のエスケープに乗っていた。そして1級峠を予定通りに先頭通過すると、山岳16ポイントを獲得。これで山岳賞2位のダビ・デラフエンテ(フジ・セルヴェット)とのポイント差を97に開き、しかもこ後は全ての峠で先頭通過したとしても70ポイントしか稼ぐことができないため……、最終日を待たずにモンクティエは2年連続の山岳ジャージを確実なものとした。もちろんブエルタは未だ3ステージ残っており、マドリードのシベレス広場まで無事にたどり着かなければならない。
ちなみに過去4度ブエルタで山岳賞ジャージを獲得し、2003年12月6日に息を引き取ったホセマリア・ヒメネスが生まれ育ったエル・バラッコに、この日最初の中間スプリントポイントが設置された。この町の小さなカフェには、今でも町の英雄の写真がひっそりと飾られている。そしてヒメネスの義理の弟カルロス・サストレ(サーヴェロ テストチーム)が、この日はスペイン公共放送のスペシャルゲストとしてレース解説を担当した。また翌第19ステージにはアルベルト・コンタドールが会場を訪れる予定となっている。
山岳ポイントでもなくスプリントポイントでもなく、赤ゼッケンが付いてくる「ソリダリオ」ポイント。この日はゴール前29.5kmに設置されていたが、ここを先頭通過したジルベールがそのまま1人で逃げ切ろうと企てた。しかし直後に登場した3級ボケロン峠で、ジルベールの脚は勢いを弱める。そして後ろから追いついてきた数人に先頭の座を明け渡した。
最初は2人、続いて4人、6人……という風に数を増やして行き、3級山頂で11人に再び膨れ上がった先頭集団から、下りを利用してフィリップ・ダイグナン(サーヴェロ テストチーム)とクルイジガーが矢のように飛び出していく。この辺の地理をよく知るサストレからアドバイスを得ていたダイグナンと、朝からステージ優勝獲りを宣言していたクルイジガーの2人は、滑りやすい道を慎重に、それでも最大限のリスクを冒しつつ加速を続けていく。と、残り5キロ、何度か後ろを振り向いき逃げ切りを確信したクルイジガーが、リレー交代を控え始めた。
ユネスコの世界遺産に指定されたアビラの城壁のそばで、2人が交わした会話とは果たして何だったのだろう。ゴール後のダイグナンは「会話の内容については言いたくない」と切り捨てたが、スプリント攻勢を開始する前に、口撃合戦が行われていたのかもしれない。そして最初にスプリントを切ったクルイジガーは、ゴール前300mの右カーブを抜けた直後に勝利を諦め、代わりにギリギリまで加速を待ったダイグナンがゴールラインを先頭で超えた。10日前の9月7日に26歳の誕生日を迎えたばかりのダイグナンにとっては、初めてのグランツール区間勝利。母国アイルランドにとっても、1992年ツール・ド・フランス第12ステージにステファン・ロッシュ(本国ではスティーヴン・ロウチと呼ばれる)が勝って以来27年ぶりの3大ツール区間制覇となる。また前日終了時点では18位だった総合順位を、ダイグナンは一気に総合9位まで上げている。
はるか後方のプロトンでは、マイヨ・オロのアレハンドロ・バルベルデ擁するケースデパーニュがきっちりコントロールを続けた。下りではエウスカルテル・エウスカディが前方にせり出してくる場面も見られたが、下り巧者サムエル・サンチェス(エウスカルテル・エウスカディ)の抜け駆けは許さなかった。なにしろ第15ステージのゴール前下りでアタックを試みたサンチェスと、それをプロトン内の協定違反だと訴えるバルベルデは現在冷戦の真っ最中であり……、昨夜2チームは同じホテルに宿泊予定だったにも関わらず、開催委員会の計らいで別々のホテルに宿泊した。この第18ステージ後も一緒のホテルが用意されているが、果たして!?
最終盤は強豪たちの加速でメイン集団は小さくなり、ゴール直前ではカデル・エヴァンス(サイレンス・ロット)が思い切った加速も仕掛けた。結局エヴァンスとバルベルデ、サンチェスが9分40秒遅れで同時にゴール。表彰台争いの選手の中では、モスケーラとヘーシンク、そしてイヴァン・バッソ(リクイガス)がわずかながら1秒失った。
第19ステージも天気予報は低温と雨。悪天候の中行われる2009年ブエルタ最後の山岳で、総合順位は動くだろうか。「チームはここまで素晴らしい仕事をしてくれた。彼らを100%信頼している」と、マイヨ・オロのバルベルデは最終決戦を前に何の不安もない。
●フィリップ・ダイグナン(サーヴェロ テストチーム)
ステージ優勝
今朝のチームミーティングで、監督からエスケープに乗るよう指示されていた。そのときは「おそらく最初の峠で逃げが出来るだろう」と言われたんだけど、まさにその通りだったね。最終盤はひどくナーバスになったよ。だってクルイジガーがエスケープ集団で最強選手だと分かっていたから。でも最後2人になったとき、スプリントなら彼に勝てるかもしれないと考えたんだ。ただし道はスリッピーだし、ロータリーも多く、おまけに石畳だったから少し怖かった。
最後ボクらは互いに少し様子を伺いあった。彼はなにか言ってきたけれど、何を言われたかはここでは言いたくない。とにかく最後の軽い登りで彼が仕掛けてくるだろうことは分かっていた。でもボクは自分の長所を最大限に生かして、そして勝つことが出来た。最高だね。
今日はアイルランド自転車界にとって非常に大切な日となった。だって1992年ツールでステファン・ロッシュが区間を制して以来、今まで誰もグランツールで勝利を上げてこなかったんだから。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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