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サイクル ロードレース コラム 2013年12月2日

頂トーク! ロードレーサー新城幸也×大畑大介 対談

サイクルNEWS by J SPORTS 編集部
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元ラグビー日本代表の大畑大介さんと元プロテニスプレーヤーの杉山愛さんがナビゲーターとなり、世界の頂点を目指す日本代表の選手に熱いエールを送る「世界頂!ニッポン代表応援TV」。第9回は、本場ヨーロッパで活躍するプロロードレース選手、新城幸也選手が登場します。

<青春時代をかけて夢中になったハンドボール>

大畑: ハンドボールをされていたということですが、いつからされているのですか?
新城: 中学1年の2学期からです。
大畑: 始めたきっかけはどんなものだったんですか?友達に誘われたとか、ハンドボールに魅力を感じたとか、そういうことがあったのですか?
新城: 実は最初はバスケ部に入部したんですけど、バスケ部の人数があまりに多かった。そこでバスケ部の顧問とハンドボール部の顧問が相談をして、何人かをハンドボールに、という話になったんです。
そのハンドボール部は何年か前に全国大会にいったこともあって。けれどぼくたちの時代には人手不足になっていた。それで『レンタル移籍』したんです。
大畑: レンタル移籍のはずだったのに、やってみたら非常に楽しかったと。
新城: はい、そうなんです。ハンドボールの方が楽しかった。
大畑: 実際にやってみて、ハンドボールのどんなところに魅力を感じたのですか。
新城: 走って、投げて、バスケットよりハードなんですよね。たくさん走れる、という。そこにまず魅力を感じました。
それから部員が多い部活動では1年生のときにはあまり試合には出られない訳ですが、ハンドボールは試合に出られた。単純ですが、そこもひとつの魅力でしたね。
大畑: どんな選手だったのですか。
新城: 高校までに全部のポジションをやらせてもらったんです。ですが、ぼくは点を決めるというよりは、走る専門の選手でしたね。
大畑: ハンドボールで将来頑張って行こう、という思いを持っていたとか。
新城: はい、ありました。将来は大学に進学して、ハンドボール競技を続けて、教員になって、地元に帰ってきてハンドボールを広めたい、という気持ちがありました。
大畑: ハンドボールは団体スポーツですから、そこから学んだこともたくさんあったでしょうね。
新城: 一緒にハンドボールをプレーした仲間たちは、いまでもずっといい友達です。本気でやってたからケンカもありましたが、それもチームの団結力を強めたと思います。
大畑: 新城選手の原点を作ったのはハンドボールと言っても過言はない訳ですね。
新城: はい、その通りだと思います。

<福島選手との出会い>

大畑: 大学に進学してハンドボール競技を続ける、と考えていた新城選手が自転車の道へ。そのきっかけになった福島選手との出会いを教えてください。
新城: 福島選手は、元は父の友人だったのです。父は膝を痛めたことがきっかけで自転車に乗り始めたのですが、沖縄の大会で出会い、福島選手が『石垣島に遊びに行っていいですか』と聞き、父が『どうぞどうぞ』ということで親交が始まったのです。ぼくはまだ小学生だったので最初は覚えていないのですが・・・
大畑: 新城選手が高校3年生のときに、ある出来事があったとか。
新城: ツール・ド・沖縄という自転車の大会の翌日に、福島選手が石垣に遊びに来たんです。一緒に自転車に乗ることになり、その途中にある坂を上ったんです。
大畑: そのときの新城選手の走りを、福島選手はいまも鮮明に覚えているそうです。その坂で、トップのプロ選手である福島選手の後ろについて、普通はついていくだけでも大変なのに、坂の後半で差をつめたそうですね。やはり生来の負けず嫌いの気持ちが出てきたのでしょうか。
新城: そうですね。ついてしまった差を、最後につめる、というのは大事なんですよね。ダメならば離れてしまうじゃないですか。いま自転車をここまでやってきて、最後のひと絞りができるというのは、やはり必要だなと思います。
大畑: そこで一歩踏めた、というところに、新城選手の自転車選手としての素質を感じたんですね。
新城: はい、その坂で兄ちゃん(福島選手)は心を決めたそうです。当時のぼくはまだ何もわからなかったですから、自転車のことは。

<フランスに留学>

大畑: それから福島選手の説得があり、新城選手は自転車の本場フランスに留学することになりました。
新城: フランスを選んだのには、自転車選手になるなら日本でやるのではなくて本場に来た方がいい、いう福島選手の考えがありました。
ただ、ぼくのなかではまだハンドボールを諦めていなかったんです。高校を卒業してからまず3カ月フランスに行って、いろいろ見て回って、日本に帰って予備校に通って、大学を受験しようと思っていたんです。それがなんでかこうなってしまったんですけど・・・
大畑: フランスで、自転車にのめりこんでいくことになった。
新城: 到着してから1カ月は練習だけでレースはなかったんですが、1カ月後に初めて本場のレースを走ったら、『なんだこりゃ!』という衝撃を受けたんです。まずスピードが速くて、こんなハイスピードで走ったことがない!
それから、自転車ってこんな動きをするんだ、ということにびっくりしました。コーナーでブレーキして立ち上がるときには集団がフルスプリントだし、道が狭くなったり、車などが止まっていたら、キーーーーッと急ブレーキ。
力がないので1戦目はリタイヤ。2、3,4レース目は立て続けにパンクでリタイアです。それでも初めて走るレースが本当に楽しくて、朝起きて自転車に乗るのが楽しみでした。
大畑: 楽しみながらトレーニング、という福島選手の練習法もあったそうですね。
新城: あそこのパン屋まで行って、パンを食べて帰ってくるとか。自転車選手っていいなあ、と思いました。そして5レース目でやっと完走して上位に入ったんです。『なんだ、いけるじゃん!』と。いま思うとちょっとした勘違いですけれど(笑)。
大畑: フランスに渡られて苦労、という感じはあまり感じないですか?
新城: 身近に福島選手がいた、というのが大きかったと思います。ぼくが外国で苦労しないように、遠回りしないように、まっすぐ一直線に目標に向かっていけるように、本当に助けてくれました。

<プロになってツールドフランスに出場>

大畑: 目標としていたツール・ド・フランスに2009年初出場。見事完走します。
新城: ツール・ド・フランスに出られるか出られないか、というのはチームにとって重要なことで、ヨーロッパではその出場権を争うというのは戦争のような感じなんです。そしてチームの中での争いも本当に激しいです。
大畑: 初出場の喜びはひとしおでしたか?
新城: 絶対に嬉しいだろうなと思ったのですが、意外なことに緊張しました。本当に周りの方は応援して喜んでくれて、だからその分ぼくは『よし、頑張るぞ』というように、気が引き締まったんだと思います。
大畑: 2012年のツール・ド・フランスでは敢闘賞を獲得。日本人で初めてグランツールの表彰台に上りました。やはり、ご自身にとっては特別なレースなのですね。
新城: フランスに暮らしているからこそ、自然とそこに意識が向いていったということもあると思います。フランスで初めてツール・ド・フランスを見たとき、それは衝撃でした。ああ、これに出たい、という気持ちになりました。ツール・ド・フランスに出場すること、そしてそこで優勝すること。それを目標にスケジュールを組み、一年間準備しているんです。

新城選手の強さは、パワーや肉体だけでなく、苦しいときにも弱音をはくことなく前を目指す、強靭な精神力。そこに沖縄の大自然の中で育ったおおらかさが加わり、目の肥えた本場のファンにも愛されてやまないトップ選手の一人である。
来年のツール・ド・フランスを目指して前進する新城選手の魅力を感じる時間となった。

(構成:寺尾真紀)

J SPORTS編集部

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