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【宮本あさかのツール2020 レースレポート】歴史に刻まれる《世紀の逆転劇》。若者は美しく、そして残酷に、異次元の走りで全てを奪い取る「これがレース。僕らはみんな勝つために走っている」(ポガチャル) / 第20ステージ
サイクルロードレースレポート by 宮本 あさかマイヨ・ジョーヌを奪い取ったタデイ・ポガチャル
それは衝撃以上のなにかだった。現象か。怪物か。32.6kmの登坂タイムトライアルを、まるで火球のように駆け抜けて、57秒差をひっくり返した。もしかしたらこれをカニバルと呼ぶのかもしれない。かつてエディ・メルクスがほしいままにした恐るべき別名。3つ目の区間勝利に、総合優勝マイヨ・ジョーヌ、山岳賞マイヨ・ア・ポワ・ルージュ、新人賞マイヨ・ブランを手に、21歳最後の日、タデイ・ポガチャルは2020年ツール・ド・フランス王者として首都へ凱旋する。
「信じられない。想像さえしなかった。今朝は総合2位に満足していて、その地位を守ることを目標に走ったのに。ただ今日はすごく調子が良かった。おかげで今、僕は、こうしてマイヨ・ジョーヌを着ている。最高に嬉しい」(ポガチャル)
大多数の選手にとって、平均勾配8.5%・最大勾配20%の山道の果てには、笑顔があった。約1時間の孤独な努力の終わりは、3週間の長き戦いを無事に生き延びたことを意味するからだ。たとえばサム・ベネットの不安は、幸いにも杞憂に過ぎなかった。制限時間より3分59秒も早く、余裕を持って山頂へとたどり着いた。これで24時間後には、連日こつこつとポイントを収集し、守り続けてきたマイヨ・ヴェール姿で、正々堂々と最後のスプリントへ挑むことができる。
そのサム・ベネットのチームメートのレミ・カヴァニャが、この日の前半戦でベストタイムを叩きだした。すでに前日ひとり逃げでたっぷりペダルを回し、ウォーミングアップは万全。6日後の世界選手権個人TTで「優勝が夢だけど、現実目標はトップ5入り」を目指すフランスTTチャンピオンは、長時間にわたってホットシートを温め続けた。
約3時間後に新たにトップに立ったのがワウト・ファンアールトであり、トム・デュムランだ。プリモシュ・ログリッチを支えるユンボ・ヴィスマのメンバーとして、平地でも山地でもほぼ完璧な仕事を遂行してきた2人は、3週間の疲れをまるで感じさせない好走を披露する。特に3年前の世界選TTでやはり「前半は平地、後半は上り」というコースを制したデュムランは、プランシュ・デ・ベルフィーユのてっぺんでも、57分16秒30で暫定首位に立つ。最後から4番目に出走したリッチー・ポートをもコンマ58秒で退け、2018年第20ステージ以来の区間勝利も当然のように期待された。
「上りに関しては、自分としても、最高の出来ではなかった。それでもフィニッシュラインを越えた瞬間、かなりいいタイムトライアルが実現できたぞ、と感じたよ。だから僕が優勝か、さもなければ負けても優勝にかなり近いタイムが出せたはず..と思っていたんだ。でも1分以上も突き放されてしまうとはね」(デュムラン)
全長5.9kmの上りに入る前に、すでに6分42秒の遅れを喫していたリチャル・カラパスは、もちろん区間優勝などはまるで頭になかった。むしろコース前半3分の2は、「あえて」ゆっくり、体力を無駄遣いせぬよう走った。
考えていたのは、ただ、登坂タイムだけ。ポガチャルに対する2ptリードをなんとか守り切り、2日前に手に入れた山岳ジャージをパリまで持ち帰ることだけ。走り終わった時点で登坂タイムは4位。しかし全員がフィニッシュした後には、7位に後退していた。区間勝者からは1分12秒の遅れだった。ポイントは1点も取れぬまま。一方でライバルは10ptを収集し、赤玉ジャージを横取りした。
「このジャージを着て走った時間を、1秒たりとも無駄にせず楽しんだ。マイヨ・ア・ポワを守るために、あらゆる努力を尽くしたよ。でも単純に言えば、彼は、僕より強かった」(カラパス)
若者は美しく、そして残酷であった。区間勝利や、山岳賞はもちろん、ポガチャルはマイヨ・ジョーヌさえもさらっていく。
ログリッチの調子がいつも通りでないことは、誰の目にも明らかだった。なにも異様だったのは、サイズの合わないヘルメットだけではない。崩れた走行ポジションに、くすんだ顔色。「たしかにベストデーではなかった」と本人は簡潔に答えただけ。ただ3つの地形が織り交ぜられたコースの、第1部の平坦ゾーンで、同国の後輩から早くも13秒をむしり取られた。第2部アップダウンゾーンで差は36秒に広がり..第3部の最終登坂が始まっても、被害は加速度的に拡大するばかり。重くて硬いTTバイクから軽めの登坂用自転車へのバイク交換のタイミング(ポガチャル5.7km、ログリッチ5.2km)は、本人がこんな状態だけに、おそらくほとんど影響はなかった。残り3.9kmで、虎の子の57秒をすべて失った。
イエロージャージを失ったログリッチ
ちなみに平坦では1kmあたり0.9秒になんとか食い止めていた損失が、起伏の始まりと共に1.46秒に拡大した。さらにはプランシュ・デ・ベルフィーユの登坂5.9kmだけで1分20秒を落とした。つまり1km登るたびに、ログリッチは13.56秒を失っていったことになる。それでも全体的に見れば区間5位。2位デュムランから35秒遅れなのだから、むしろ好走とみなしてもおかしくない。とにかく、11日間守って来たマイヨ・ジョーヌをあっさり手放さねばならぬほど、酷い成績ではないはずだ。
「コースの隅から隅まで全力で戦った。持てる力の110%を尽くした。自分自身を限界まで押し上げた。ただ純粋にパワーが足りなかった。もしかしたら僕は十分に追い込まなかったのかもしれない。もしかしたら、やるべきことを、やらなかったのかもしれない。でも、自分にできることは、全てやったんだよ」(ログリッチ)
大会の祖国フランスは、さかんに1989年大会の伝説を例に出し、世紀の逆転劇と書き立てる。そう、最終個人タイムトライアルでグレッグ・レモンが50秒差を逆転し、フィニョンからマイヨ・ジョーヌを奪ったと言われる、いわゆる「伝説」である。ただ2011年には今回と同じ57秒差を、カデル・エヴァンスがひっくり返して初戴冠している。そもそもログリッチには、2018年第20ステージの個人TTで、総合3位から4位へと陥落した苦い思い出だってある。
2年前のあの日は、前日の猛攻が疲労として体に残っていた。今回は単純に、相手が強すぎた。「0か100か」を信条に、今ツールを極めて攻撃的に走ってきたポガチャルは、ストップウォッチ相手にもアグレッシブに挑みかかった。デュムランのように決して美しくスマートな走行ではなく、がつがつとがむしゃらさを前面に出すことも厭わない。山頂へ向けて夢中でダンシングし、ライン上では思いっきりハンドルさえ投げた。
「ログリッチは間違いなく今ツールではベストライダーだったし、本当に強いチームに支えられていた。彼らはファンタスティックな仕事をして、素晴らしいレースを作り上げた。僕自身は彼を心から尊敬しているし、とても良い友達だ。だから彼の想いを感じ取ることができる。マイヨ・ジョーヌを最後の最後に失うなんて、すごく難しいこと。彼がどんな気持ちでいるか、手に取るように分かる。でもこれがレース。僕らはみんな勝つために走っている」(ポガチャル)
出走146選手中で唯一の55分台という異次元の速さでーー55分55秒21秒ーーポガチャルは今大会3つ目のステージ優勝を手に入れた。2位デュムランに1分21秒、最終走者ログリッチには1分56秒の大差をつけた。朝には57秒あった遅れは、夜には59秒リードに変わり、最終ステージでは生まれて初めて黄色いジャージに袖を通す。
「子供じみた夢なんだけど、僕の夢は、単にツール・ド・フランスに出場することだったんだ。それが今や、あと少しで大会を勝ち取るところまで来ている。信じられないね」(ポガチャル)
ツール史上2番目に若い総合覇者が誕生する一方で、35歳リッチー・ポートは、10回目のツール挑戦でついに初の表彰台乗りを決めた。区間3位の好成績で総合3位に浮上。7日目にはポガチャルと共に風の影響で1分21秒を失い、第18ステージでは勝負所でパンクに見舞われたが、これ以上の悪夢ははねのけた。「長い旅の果てにようやくつかみ取った。自分が誇らしいよ」と記者会見でしみじみと語りつつ、「少なくともこれで1枚は、シャンゼリゼ表彰台の写真を、家の壁に飾ることができる」と笑顔をほころばせた。
代わりに前日までの3位ミゲルアンヘル・ロペスは一気に6位に陥落し。ポート、ミケル・ランダ、エンリク・マスがひとつずつ順位を上げた。また大会前半に調子が上がらず、エースの座から一段下がったデュムランも、アシストしつつ最終的には7位に食い込んだ。
それにしても3週間フランスの道をトップで走り続け、総合トップ20に4人を送り込む快挙を成し遂げたユンボ・ヴィスマの列車が、シャンゼリゼ入場時に最前列で見られないのは残念だ。また新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、パリ市内の周回コースには厳しい観客制限が布かれる。大会が完全に終わるまでは家族や友達も接触厳禁。つまりはいつもならシャンパンの泡が弾けるコンコルド広場のチームバス駐車場も..今年は最後まで泡の中に閉じこもったままだ。
文:宮本あさか
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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