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サイクル ロードレース コラム 2016年4月12日

【パリ〜ルーベ/レビュー】石畳のでこぼこ道を制したのは戦列に復帰したばかりのマシュー・ヘイマン

サイクルNEWS by 寺尾 真紀
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日曜日に開催されたパリ〜ルーベ第114回大会は、スタートから90kmの地点で形成された逃げグループから生き残り、ボーネン、ファンマルケ、スタナード、ボアッソンハーゲンという強力なライバルたちをベロドロームのスプリントで制した、オリカ・グリーンエッジのマシュー・ヘイマンの優勝で幕を閉じた。
37歳のヘイマンは、過去15回のパリ〜ルーベに出場しており、これまでの最高位は2010年の8位。2月のセミクラシックで右上腕を骨折し、先週スペインのレースで戦列に復帰したばかりだった。

また、今回初の試みとして、スタートからゴールまでの全行程が生中継され、ニュートラルゾーンから始まる257.5kmの熱い攻防のすべてが世界中に届けられた。

2月

時は戻る。 2月27日、ベルギー、オーデナールデ郊外。本格的なクラシック・シーズンの前哨戦であるオムループ・ヘット・ニウスブラットで、空撮ヘリは、あるクラッシュの様子をとらえていた。ゴール前41.4km地点。ファンアーヴェルマート、サガン、ロウらの先頭グループを追うメイン集団後方で、何人かの選手がハーグフクの石畳に投げ出された。BMCレーシングのジルベールとクインジアートが倒れた数メートル先に、自力で立ち上がったものの、バイクに覆いかぶさるように体を二つに折り曲げた、長身の選手の姿があった。白地にグリーンとブルーのジャージ、オリカ・グリーンエッジの一人だ。彼は、コース脇の草地までバイクを押したが、そこで力尽きたようにぺたんと腰を下ろした。ボランティアのレーススタッフが駆け寄り、ひざまづいて話しかけるが、日陰になっていて彼の表情は見えない。右腕を気にしているような仕草だけは見て取れる。オリカ・グリーンエッジのチームカーを呼び止めるために、スタッフが立ち上がる。たった一人で草むらに残された彼は、力なく右腕を体に沿わせ、前方に視線を向けている。その目には何も映っていないように見えた。

この日のチームのプレスリリースには、クラシックチームのキャプテンであるマシュー・ヘイマンが右上腕部を骨折したこと、クラシックシーズンにおける彼の不在がどれだけの痛手であるかということ、そしておそらく4週間後には、屋外でのトレーニングを始められるだろう、ということが書かれている。

ヘイマン自身はこうコメントしている。 「今日起きたことは、レース、あるいは我々のスポーツからはどうしても切り離せない部分だ。それでも、なかなか簡単には受け入れがたい。クラシック・シーズンのために何ヶ月もトレーニングを続けてきたのに、それが一瞬で無駄になってしまうなんて。ただただ落胆しているとしか言えない」
「やっかいな骨折ではないようだから、早く治して、一日でも早くレースに復帰できるようにと願っている」

ドクターによれば彼のクラシックシーズンは終わりだったが、ヘイマン自身は、家族との時間さえ犠牲にして取り組んできた5ヶ月のトレーニングを無駄にするつもりはなかった。一日2回、自宅のガレージにこもり、ホームトレーナーのペダルをただただ踏み続けた。その道のりがどこに続いているかは知らずに。

4月10日 パリ〜ルーベ

ここ数年、思い出せる限りのパリ〜ルーベの朝がそうであるように、この日も、コンピエーニュの町は真っ白な朝もやに包まれていた。前夜の雨は上がり、朝日が昇るにつれ、空気が透き通ってくる。空の端に青空が顔を見せる。どろんこのルーは今年もお預けだ。雨のおかげで、時にもうもうと巻き上がる砂煙も控えめにはなるが、乾いた部分と濡れた部分が混在する路面は、この上なく手ごわい。ちょっとしたコースの取り間違えやハンドル捌きが、落車につながる。

10時50分、予定より10分遅れで、198人の選手たちが走り出した。

ニュートラルゾーンから、アタックに備えた攻防が始まった。できるだけ前へ前へと位置取りを進めるため、選手たちは大きく横に広がり、赤いディレクター・カーを取り囲む。レース・ディレクターであるクリスチャン・プリュドムがルーフトップから上体を出し、スピードを落とし、少し下がるように手で指示を送る。

スタートを示す白い旗が振り下ろされた瞬間から、アタックが始まった。誰かが加速しては、その後ろに何人かが細長く続く。集団からカウンターアタックが起きる。わずかなギャップをつけても、完全に振り切ることができず、また引き戻されていく。スタートから50kmで形成された、ステイン・デヴォルデル(トレック・セガフレード)、マッテオ・トレンティン(エティックス・クイックステップ)、マーク・カヴェンディッシュ(ディメンションデータ)らを含む、総勢20人以上の大エスケープ集団は、ここに選手を送り込みそこなったアスタナ、ランプレ、ロットNL・ユンボの働きで、吸収された。この逃げ集団の生き残りだったエリア・ヴィヴィアーニ(チームスカイ)、アレクサンドル・ポルセフ(カチューシャ)、ボーイ・ファンポッペル(トレック・セガフレード)の3人も、スタートから67km地点まで先行し続けるが、やはり吸収されてしまった。

90kmに及ぶ攻防の末、ついにこの日の逃げが決まったのは、この日最初の石畳区間(27番)トロワヴィル〜アンシーの手前だった。集団前方からイェーレ ・ワライス(ロット・ソウダル)と、マウヌス・コー・ニールセン(オリカ・グリーンエッジ)が抜け出した動きに、ヤロスラフ・ポポヴィッチ(トレック・セガフレード)、マシュー・ヘイマン(オリカ・グリーンエッジ)シルヴァン・シャヴァネル(ディレクト・エネルジー)、イマノル・エルビーティ(モビスター)らが加わる。プロトンから最後に滑り込んだ何人かを加えた16人が、レース先頭に躍り出て、集団とのタイム差を20秒、30秒・・・と広げていく。メイン集団も、追走の手を緩め、21番の石畳区間(ケレネン〜メン)の入り口(レース残り120km)までで、その差は3分半程度まで広がった。

ここまでにも小規模の落車は発生していたが、レースの流れを変える大きな落車がこの石畳区間で発生する。区間の出口付近で起こった大規模落車が、メイン集団を2分したのだ。前方の集団には、トム・ボーネン、トニー・マルティンらのエティックス・クイックステップ勢、イアン・スタナードらのチームスカイ勢、セプ・ファンマルケらのロットNL・ユンボ勢が前方の集団に入ったのにひきかえ、ペーター・サガン(ティンコフ)、ファビアン・カンチェッラーラ(トレック・セガフレード)、アレクサンドル・クリストフ(カチューシャ)、ニキ・テルプストラ(エティックス・クイックステップ)、ズデネク・スティバル(チームスカイ)らが落車の混乱の後方に取り残された。

【この時点での状況】 逃げグループ(ヘイマン、ポポヴィッチら)←第1グループ(ボーネン、ファンマルケら)←第2グループ(サガン、カンチェラーラら)

元TT世界王者(2011〜2013)であり、ルーベは初出場ながら、昨ツールの石畳ステージを制しているトニー・マルティンが大きく加速し、第1グループを牽引しながら、次の石畳区間(メン〜モンショー=シュル=エカイヨン)に飛び込んでいく。続く、アヴルイ〜ワレー(19番目)の石畳区間でも、エティックス、ユンボ、ディメンションデータが力を合わせペースアップをはかり、サガン・グループとのタイム差は、みるみるうちにふくらんでいく。

今日最初の勝負どころと目されていた18番の石畳区間、トゥルエ・ダランベールにたどり着くころには、逃げグループとボーネン・グループのタイム差は2分弱に、ボーネングループとサガングループのタイム差は1分半になっていた。

鬱蒼とした森をまっすぐ突き抜けるアランベールは、パリ〜ルーベを代表する石畳区間のひとつ。石畳の難易度(悪路であればあるほど星が増える)は最高の5つ星で、選手たちは歯を食いしばり、ハンドルバーを強く握り、前でクラッシュが起きないことを祈りながら、荒れはてた路面を駆け抜けていく。
(今大会に登場する中ではほかに、モン=アン=ペヴェールとカルフール・ド・ラルブルがこの「5つ星」を獲得している)※ 5つ星の3石畳区間についてより詳しくは、パリ〜ルーベのプレビュー記事をどうぞご参照ください

それぞれの集団が、アランベールの森の奥へ、奥へと進んでいく。先頭集団、前方の集団(ボーネングループ)は事無く2.4kmの悪路を走り終えたが、サガングループの後方では、ミッチェル・ドッカー(オリカ・グリーンエッジ)が落車による怪我で鮮血をほとばしらせ、その落車のために足止めされた選手にモトが突っ込む、という二重事故が起こっていた。

アランベールを抜け、次の17番に向かう第1グループ(逃げグループの次の集団)から、ボーネン、マルティン、スタナード、ボアッソンハーゲン、ロバート・ワグナー(ロットNL・ユンボ)が抜け出すが、16番の石畳の手前でファンマルケ、ルーク・ロウ(チームスカイ)ハインリッヒ・ハウッスラー(IAMサイクリング)らに追いつかれ、16人のグループを形成。エティックス・クイックステップ、チームスカイ、ロットNL・ユンボが中心となって高いペースを保ち、13番の石畳区間の出口(レース残り64km)で、次第に数を減らしていた逃げグループ(90km地点から逃げ続けていた)を追いつめ、吸収した。

元の逃げグループと、ボーネン、ファンマルケらのグループが合流して生まれた新しい先頭グループと、落車による分断以降、後方を走行し続けるサガン、カンチェッラーラらのグループとのタイム差は、12番の石畳区間、オルシに入る時点で、50秒だった。しかし、この3つ星の石畳で、怪獣、いやスパルタカス(カンチェッラーラ)と元怪童(サガン)という、2人のフランドル覇者の脚が炸裂。50秒のタイム差が、みるみるうちに30秒台前半へと縮まっていく。

この状況を知ってか、これまでマルティンが中心となっていた先頭グループの牽引を、チームスカイの4人がとって代わる ― が、11番の石畳区間(オシー=レ=オルシ〜ベルセ)出口の水たまり(泥)でジャンニ・モズコン(チームスカイ)が転倒。真後ろのロウも避けきれず、横倒しになった。チームスカイの不運はさらに続く。数キロ先では、同じように水たまり(泥)でサルヴァトーレ・プッチォも転倒し、荒れた石畳と舗装路の切り替えだけでなく、ドライ・ウェット・ドライ・ウェットとめまぐるしく変化する路面の難しさをあらわにした。

しかし、前日の雨でところどころぬかるんだ路面の餌食は、これで終わりではなかった。
5つ星の石畳区間、モン・アン・ペヴェール(10番)で、先頭から3番目を疾走していたカンチェッラーラが、ぬかるみにタイヤを取られて転倒。右半身から路面に打ちつけられた。そのすぐ後方を走行していたサガンは、持ち前のバランス感覚とバイク操作(ミラノ〜サンレモでも、これが彼を落車から救った)で、辛うじてクラッシュを回避。このハプニングで、先頭グループとサガン・グループのタイム差は1分10秒にふくらんだ。バイクに飛び乗り、追走を開始したカンチェッラーラだが、サガンから遅れること1分40秒、先頭グループとは2分50秒の差。ボーネン、ロジェ・デ・フラミンクに並ぶ4回目の優勝で現役最後のパリ〜ルーベを終える、という夢は、さらに一段と、あるいはすでに手が届かないところへ、遠のいた。

カンチェッラーラが転倒した頃、同じモン・アン・ペヴェールの石畳のさらに前方では、先頭グループからファンマルケがアタックを試みた。この動きにスタナード、ボーネン、ボアッソンハーゲンらが反応し、分断が起こるが、タンプルーヴ(7番)の石畳を前に合流。そこからも、マルセル・シーベルグ(ロット・ソウダル)、ボーネンらが加速を試みるが、抜け出すことはできないまま、カンフィン=アン=ペヴェール(5番)の入り口に到達する。

この間も、サガンは集団の先頭で黙々と牽き続けていたが、他チームからの協力を得られず、先頭グループとのタイム差を縮めることができない。さらにその後方では、ポポヴィッチらチームメートのサポートを受けながら、カンチェッラーラが前を目指す。フィニッシュラインまで19.5km、石畳区間を5つ残して、先頭グループからサガングループまでのタイム差は1分20秒。サガングループからカンチェッラーラグループまでのタイム差は2分。先頭グループからこのレースの勝者が誕生するという可能性が、刻一刻と濃厚になっていく。

カンフィン=アン=ペヴェールの石畳で、まず大きく加速したのはロウだった。渾身の力でグループを引きちぎり、力を使い果たして後方に取り残される。直前の打ち合わせの通り、間髪を入れず、今度はスタナードがアタックを引き継ぐ。この加速に反応し、ついていくことができたのは、ボーネン、ボアッソンハーゲン、ヘイマン、ファンマルケだけ。おそらく、この日の勝利を競うことになる顔ぶれのセレクションが、ここで決定した。

最後の石畳区間から数えて4番目、例年パリ〜ルーベの最終局面に登場し、数々の熱闘が繰り広げられるカルフール・ド・ラルブルを勝負の場に選んだのは、ファンマルケだった。この難関区間で、ファンマルケを誰が追うか ― その間にも、ファンマルケとの距離はみるみるうちに開いていく。ボアッソンハーゲンが先頭に立って追い始め、続いてスタナードが、サドルの上で全身を揺するようなペダリングで加速し、徐々に差を詰めていく。残りレース12km、シェランの町で、4人はようやくファンマルケを引き戻す。

残り8km、2番の石畳(ヴィルム〜ヘム)では再度ファンマルケが、残り6kmではスタナードがアタックをかけるが、どちらも引き戻される。肩越しに振り返り、互いをけん制しあいながら、そこからアタック、カウンターアタックが続く。残り4.5kmでヘイマン、続けてファンマルケ。これを追ったボーネンがそのままアタックに入れば、スタナードがカウンター。残り2.8km。スタナードの前方にボーネンが飛び出し、そのまま後続を引き離しながら、ルーベの町へと入っていく。

勝利の可能性に賭けるなら、逃げ集団の中で、とにかく脚を温存すること。その言葉を胸に、90km地点からここまで走り続けてきたヘイマンが急加速でボーネンに追いつき、そのまま引き離しにかかった。これにボーネンがくらいつき、2人は交互に先行しながら、ベロドロームへのアプローチを進んでいく。ドロームを埋め尽くしたファンの歓声が、次第に大きくなる。コーナーを右に曲がり、2人はベロドロームに到着する。前にはボーネン、その後ろにヘイマン。いつの間に追いついたのか、ファンマルケもわずかに遅れて続く。最終回を示す鐘が打ち鳴らされる中、スタナードとボアッソンハーゲンもベロドロームに到着する。

インコースを進むボーネンのアウトコースから、ヘイマンが先にスプリントを始め、その後輪にボーネンがつく。ボーネンの右横にファンマルケが並んだため、ボーネンが右に飛び出し、スプリントを切るタイミングがわずかに遅れる。ファンマルケのさらに右側から、スタナードが急加速し、前へと上がっていく。ヘイマンはがむしゃらにスプリントを続け、白いラインの上でハンドルを前に投げる。その両手を頭上に上げ、それから右手を掲げたまま、信じられないような面持ちで今走り抜けてきたバンクを振り返る。前人未到のルーベ通算5勝にあと一歩及ばなかったボーネンが、口もとをゆがめ、がっくりと肩を落とす。スタナードは3番手でフィニッシュラインを越えた。

歓声で湧くベロドロームのセンターフィールドで、ヘイマンは両手で顔を押さえ、信じられないような面持ちで何度もあたりを見回した。チームの誰かが彼の背中を叩き、水のボトルを手渡す。冷たい水を顔にふりかけ、ヘイマンはもう一度、祝福の歓声と拍手で溢れるベロドロームを見渡す。今日叶ったのは、彼の夢なのだ。ほかの誰のものでもなく。

2000年、当時ラボバンクに所属していた彼は、初めてのルーベに出場した。65位。プロになる前からよく観ていて、何よりも走ってみたかったレース。すぐさま恋に落ちた。
「走ってみたらすぐ分かることなんだ。このレースに中間はない。好きか嫌いかのどちらか」
「このレースと恋に落ちたら、どんなことがあってもここに来たいと思う。プロトンのほぼ半分は、バスクのレースに行って、ルーベはテレビで楽しんだほうがいいと思っている。ここにきて、走りたいなんて思わないんだ。どうしてもここに来たい、このスタートラインに立ちたい、そう思うなら、このレースを愛しているということだよ。そして間違いなく、ぼくもその一人なんだ」

表彰台でトロフィー ― モン・アン・ペーヴェルから採取した12kgの石畳 ― を受け取ったマシュー・ヘイマンは、その形を確かめるようにじっと見つめ、その重みを確かめるようにぎゅっと腕に抱き、それからおもむろに、至極真面目な顔で、くちびるを押しつけた。長いこと想い焦がれてきた、もしかしたら手に入らないかもしれないと思っていた恋人を、ついに彼は、手に入れたのだ。
“Vainqueur de PARIS-ROUBAIX 2016 ”
(「2016年パリ〜ルーベの勝者」 トロフィーに刻まれた文字)

一人の夢が叶う一方で、破れる夢もある。
右ひじに血をにじませ、ジャージを泥だらけにして、カンチェッラーラは最後のパリ〜ルーベを終えた。大きな歓声に応えて手を挙げたあと、指揮者がオーケストラの音楽を止めるときのようなしぐさを見せて、フィニッシュラインを越えた。長く重厚な、交響曲が終わったのだ。ヘイマンから遅れること7分35秒、40着。4度目のルーベの栄冠は、手に届かないままだった。

ミックスゾーン裏でヘイマンに大きなハグをプレゼントしたボーネンは、穏やかな笑顔で表彰台に立った。メダルを受け取り、花束を受け取って、歓声に応えて手を振ってみせる。ルーベの表彰台で、あるいはこのレースで彼の姿を見るのはこれが最後だろうか。モチベーションを持ち続け、誰も成し遂げたことのないルーベ5冠に来年も挑戦するのだろうか。その答えはまだわからない、と彼は笑う。胸の中の嵐が去るまで、もう少しだけ時間が必要だと。

「僕のボスはカンチェッラーラ」と真顔で言うポポヴィッチは、この日のレースで現役生活を終えた。何年にもわたって、石畳のクラシックでカンチェッラーラをアシストしてきたことを、何よりも誇りに思ってきた。最後のルーベでは、カギとなる逃げに加わり、誰よりも一番早く、アランベールの石畳に乗り込んだ。そして「ボス」がピンチだと知るや、ペダルを踏む足を止め、アシストのために下がっていった。「ボス」を勝利に導くことはできなかった。けれど、「これもレースだし、それこそが自転車の美しさ」と、彼は肩をすくめる。今夜は祝杯だ。

ルーベをこよなく愛したマールテン・チャリンギ(ロットNL・ユンボ)も、クラシック・シーズン後の引退を表明している。11回のルーベで、最高位は3位(2011年)。ベロドロームで家族に迎えられながら、彼は27位で最後のルーベを終えた。
「今日は何が起きても楽しむつもりだと、仲間たちには伝えてあった。クラッシュでも、パンクでも、メカトラでも、なんでもこいと思っていた。そしてちゃんと途中でパンクしたよ(笑)。きっといつまでもこの日のことは忘れないと思う。今は、ないまぜになった感情がある。悲しみと、ああ終わったんだ、という、安堵の気持ち」

選手たちのコメント

マシュー・ヘイマン(オリカ・グリーンエッジ)
「パリ〜ルーベは、ブレーク(逃げ)がフィナーレまでたどり着くチャンスがある、数少ないモニュメントの一つ。もし逃げに入ることができたら、フィナーレまで、強い選手たちが追いついてくるまで、辛抱強く待たなくちゃいけないことは分かっていた。たぶんそれはファビアン(・カンチェッラーラ)かサガンになるんじゃないかと思っていたよ。トラブルを避け、ただただエネルギーをためていた。ぼくたちに追いつくために、彼らはずいぶん力を使わなくてはいけないはずだから」
「この勝利を実感するには、まだ時間がかかるだろうね。今日は、いろんなことがうまくいったんだ。不運はこれまでいくらでもあった。ぼくのラッキーデーが訪れるまで、15年も待たなくてはいけなかったんだ」 「パリ〜ルーベが近づくと、監督たちは選手にこういって聞かせる。パリ〜ルーベの逃げは、いいリザルトにつながってるって。だから、逃げに入るのがこんなに難しいんだ。ルーベは、夢を見るチャンスを与えてくれるレース。ぼくがその証拠だよ」

トム・ボーネン(エティックス・クイックステップ)
「スタンダードなパリ〜ルーベだったね。それがいちばんぴったりくる。何の情報もなく、ただ走っているだけ。今いったいどういう状況なのか、15回は訊いたと思う。逃げを捕まえて初めて、自分がどこにいるか分かったくらいだった。毎年こうだよ。カオス、クラッシュ、パンク…。テレビでレースを見ているのがいちばんいいかもしれない。レースの中にいたら、先頭にいるとき以外は、自分がどこにいるのかさっぱりわからないんだからね」
「みんなが限界まで走っていた。ぼくが5勝目をあげたくてうずうずしているのは誰もが知っていたから、なかなかアタックが成功しなかった。最後、みんなが疲れたタイミングで、やっと抜け出すことができたんだ。マシュー(・ヘイマン)がぼくを追い越していった。とても速かった。彼の後輪にはりつくのは、死ぬそうな苦しさだった。もしかしたらタンクが空になってたかもしれないと、そのとき思った。だけど、疲れているのは誰もいっしょだし、スプリントには自信があった。そして、いちばん前方からスプリントを始めなくちゃいけないとわかっていた」
「ミスをした訳じゃないんだ。追い越すために十分なスペースがなかったのが、アンラッキーだった。これはスプリントなんだから、何がいつ起きるかは予測できない。でも、最後のコーナーを、先頭で通過しようとしていたんだ。けれどそこで、マシューに追い越された。セプ(・ファンマルケ)がぼくを追い越そうとしている間に、40mほど待たなくてはならなかった。勝利を失った、あるいは、少なくともちゃんとしたスプリント勝負ができなかったのは、そのためだったと思う。もう手遅れだったんだ。もう少し早い段階で、スピードをもう少し落として、飛び出すべきだったのかもしれない」
「月曜日にどんな気持ちかは分からないけれど、あの怪我(昨年の10月に頭蓋骨骨折の重傷を負った)からここまで回復できたんだから、いい走りができたと思う。2位も、もしかしたらそう悪いものじゃないかもしれない。もう一年、というモチベーションをくれるかもしれないし」

イアン・スタナード(チームスカイ)
「フィナーレはかなりナーバスだった。タフなレースで、本当のところ、誰の脚も残っていなかったからね。普段ならもっと速いスプリントができるはずのやつらも、もうほとんど力を残していなかった。どれだけハードなレースだったかがわかるよ」
「表彰台に乗ることができて満足だけど、あと一息なのに、手が届かなかった。誰もが100%以上の力で戦っていた。少なくともぼくはそうだったよ! ボーネンやエドヴァルド(・ボアッソンハーゲン)とスプリント勝負はしたくなかったから・・・。でも今から思えば、あそこで脚をためたほうがよかったのかもしれない。そうしたら、結果は違っていたかも・・・」

セプ・ファンマルケ(ロットNLユンボ)
「カルフール・ド・ラルブルでアタックしようということは、少し前の段階から考えていた。石畳の上では自分がいちばん良い走りをしているように思えたから、すこしのギャップが作れれば、それを広げていけるんじゃないかと思ったんだ。でも、それでは足りなかったね」
「確かにあそこでたくさんの力を使ってしまったけれど、カルフール(・ド・ラルブル)でアタックしなければ、ほかにアタックできる場所なんてないと思ったんだ。10秒ほどの差をつけ、だんだんと差を広げていっていた。最初は、掴まらないんじゃないかと思っていたけれど、アドバンテージを保つことができなかった。レースのフィナーレでは、ギャンブルも必要だ。でもあのアタックのせいで、ゴール前1kmにたどり着いたときには、かなり不利な状況だった。ベロドロームの入り口で、ヘイマンとボーネンになんとか追いつくことはできたけれど、ポディウムに届くようなスプリントはできなかった」

ファビアン・カンチェッラーラ(トレック・セガフレード)
「分断のあとは、かなりハードなレースを強いられることは分かっていた。けれど、ルーベはタフなレースだし、いつ、何が起きるかわからない。だから、とにかく闘い続けた。自分にとって最後のルーベだし、レースが本当に終わってしまうのは、自分が諦めたときだと知っているからね。(自分の)落車のあと、10〜15km走ったところで、あきらめた。不可能だ、ということがわかったから」
「(こういう形で最後のルーベを終えるのは)つらいとも、つらくないとも言えないね。先週の結果を受け入れるほうが難しかった。今はただ、レースが終わったことがうれしい。ベロドロームにたどり着いたときには、もうかなりリラックスした気分だった。フランドルでは、最後の最後まで勝負を競っていたから。レースの内容についてハッピーかと訊かれたら、そうではないとしか言えない。それとは別の意味で、このレースを走り終えたということ自体がうれしいんだ」
「このあとは、ポポ(ポポヴィッチの愛称)と楽しみたいね。は二人で走る最後のルーベだったし、彼にとっては最後のレースだ。ベロドロームをもう一周だけして、それからホテルに戻り、お祝いだ。レースには勝てなかったけれど。でもそれがスポーツだし、それが自転車レース。勝つことも負けることもあるけれど、そのすべてを祝うことができるんだ」

ペーター・サガン(ティンコフ)
「ルーベで勝てるかどうかいろんな人が質問してきたけれど、これはパリ〜ルーベ。何が起こるかなんて誰にも分からない。長い伝統のある、すばらしいレースだけど、勝つのは本当に難しいレースだ。どのチームもそれぞれの戦略を立てて、このレースに臨んでくる。けれど、今日は優勝候補の2人がクラッシュの後方で足止めされ、前方の集団により多くの選手を送り込めたチームが、レースのコントロールを握った。アランベールの前に、すでに2つの落車に巻き込まれて、他のチームの協力なしでは、何をするのも難しかった」
「ファビアン(・カンチェッラーラ)と協力体制を取っていたけれど、彼のクラッシュのあと、我々は勢いを失ってしまった。幸いなことに落車は避けられたけれど、たぶんあそこで僕のレースは終わってしまっていたね」

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寺尾 真紀

東京生まれ。オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジ卒業。実験心理学専攻。デンマーク大使館在籍中、2010年春のティレーノ・アドリアティコからロードレースの取材をスタートした。ツールはこれまで5回取材を行っている。UCI選手代理人資格保持。趣味は読書。Twitter @makiterao

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