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このところすっかり逃げスペシャリストとしてならすスティーブ・カミングスが、ピレネー初日で独走勝利を決めた。大切な黄色ジャージを守るために、フレフ・ヴァンアーヴェルマートも29人の逃げに滑りこみ、奮闘実って3日目のマイヨジョーヌ表彰式に臨んだ。大物たちはひたすらコントロールに徹した。ほぼ問題なく、ほぼ全員が引き分けだった。もちろん、ヴィンチェンツォ・ニーバリとティボ・ピノという例外もいたし、フラムルージュでアーチの空気が抜けるという事件も起こったけれど……。結局のところ、総合争いはニュートラルのまま、ピレネー3連戦の1日目は幕を閉じた。
朝のスタート地には、リラックスした笑い声が広がった。前日の逃げのご褒美である「赤ゼッケン」を誇らしげにつけて、新城幸也はカメラの前でポーズを決めた。しかもチームバスの前には、日本代表監督の浅田顕氏の姿があった。夏季五輪に向けたピレネー高地合宿の前に、ツールを戦う新城を激励に訪れたのだった。
恒例より数日早く、難関山岳に突入したツール一行もまた、それほど緊迫したオーラをまとってはいなかった。最終盤に1級峠がひとつだけ。しかもゴールは下り切ってから。優勝嵐の大乱闘を繰り広げるには、コース難度が足りなかった。過去2回の優勝時には、難関山岳初日に鉄槌を下してきたクリス・フルームも、スタート前にこんな風に語っていた。
「今日は山頂フィニッシュじゃないからね。もちろん気を付けて走らなければならない。でも、むしろ明日や明後日の極めて難しいステージを見据えながら、うまくコントロールしていくべきステージだ」(フルーム、スタート前インタビューより)
つまり、逃げに、チャンスあり。当然のように、多くの選手がアタックを試みた。飛び出しを成功させたのは……、なんと29人!全出場22チーム中20チームが選手を送り込んだ。黄色いジャージのヴァンアーヴェルマート、5月のジロ・デ・イタリア総合覇者ニーバリ、新旧タイムトライアル世界王者のファビアン・カンチェッラーラやトニー・マルティン、ヴァシル・キリエンカetc……という豪華メンバーが揃った大きな集団は、メインプロトンに常に5分近いタイム差を保ち続けた。
ゴール前45.5km、4級峠の山頂手前だった。ニーバリが、ゆらり、と前に飛び出した。すでに総合では8分近くタイムを失った3大ツール王者が、山岳ポイントを取りに行っただけのようにも見えた。その実態は、本格的な加速への前触れだった。山からの下りで、ニーバリは再び、攻撃を繰り出す。カウンターアタックでダニエル・ナバーロが出ていくと、共に逃げていたチームメート、アレクセイ・ルツェンコに前を追わせた。
ここで、カミングスは賢く立ち回った。ニーバリとナバーロの動きを利用して、逆に自らが有利なパターンに持ち込んだのだ。
「逃げに乗るのは難しくはなかった。むしろニーバリとナバーロの存在が、厄介だった。でもナバーロに関しては、ヒルクライマーなのに平地でアタックして、自ら進んで体力を無駄遣いしてくれた。アスタナに関しては、ナバーロを追走するように、上手くプレッシャーをかけた」(カミングス、公式記者会見)
ナバーロを含む3人に、すぐに追いついた。さらに後方からニーバリやヴァンアーヴェルマートを含む8選手が、急激に追い上げてきていることを察知すると……。ナバーロが後ろを見ている間に、鮮やかな加速を切った。ゴール前27km。勝利への一発が決まった。
ただ、そのまま簡単に、独走勝利をつかんだわけではない。ここからがカミングスにとって、長く苦しい時間だった。しかもラスト20kmからは、1級コル・ド・アスパンの長い上りが待っていた。数十秒後ろでは、ニーバリやナバーロというプロトン屈指のヒルクライマーが、恐ろしい勢いでペダルをこいでいた。
「ニーバリに追いつかれるかもしれない、と怖かった。もしかしたら、彼を待って、後ろに張り付いて、最後にスプリントで破った方がいいんじゃないか……とさえ悩んだ。恐ろしい気分だった。マルコ・パンターニのようなやり方で、背後から抜きさられるんじゃなかろうかと、常にビクビクしていた」(カミングス、公式記者会見)
……1年前の第14ステージでは、ピノとロメン・バルデのお見合いの隙をついて、自分こそ凄まじい追い抜きを見せたくせに!
とは言うものの、カミングスの心配はもっともである。現にそこからのニーバリは、追走を牽引し、片手では足りないほどの急加速を繰り返した。総合争いは後輩ファビオ・アルに譲ったけれど、誇り高き王者は、自らの勝負も決して諦めていなかった。しかし、ジロからの連戦で、「精神的には無問題だけど、肉体的にきつい」状況だった。何度加速しても、カミングスの背中さえ捕らえられない。それどころかナバーロやダリル・インピーに、最終的に置いてけぼりにされてしまうのだ。
「アスパンの終盤はひどくきつかった。ずっとカミングスを追いかけ続けた。でも、登り前半で、あまりに体力を消耗しすぎた。ひどく疲れていた」(ニーバリ、ゴール後TVインタビュー)
カミングスは最後まで力強かった。ツール初登場のラック・ド・パイヨルで、大きく両腕を空に広げると、自身2度目のツール区間勝利に輝いた。所属チームのディメンションデータにとっては、マーク・カヴェンディッシュの区間3勝に続く今大会4勝目。また35歳ベテランにとっては今季4勝目で、うち3つが大逃げによる勝利だった。
「去年の区間勝利で、夢に手が届いた。そのあと、少し、自分を見失ってしまった。自問自答の日々だった。最終的に導き出した答えとは、あの時と同じようにやること。自分が勝った時のビデオを見るのは好きじゃないけど、自信をつけるために、ツールで勝った時のビデオはしょっちゅう見返しているんだ」(カミングス、公式記者会見)
マリア・ローザは、赤ゼッケンで1日を終えた。マイヨ・ジョーヌは、ニーバリの加速の犠牲になりながらも、マイペースで山を登り続けた。タイムやジャージを失うどころか、総合2位以下とのタイム差を、5分11秒から5分50秒へと突き放した。レース委員長ティエリー・グヴヌーのたっての希望である、「ヴォクレール風」ジャージ保守の日々に、もしかしたらヴァンアーヴェルマートは突入したのかもしれない。
「ジャージを守るためには、前で走った方がいいと考えた。プロトンもそれを許してくれた。それはきっと僕がクライマーではないし、ツール総合を勝てる選手でもないから。区間勝利なんて考えもしなかった。ただマイペースで山を登って、力尽きてしまわぬようにだけ気を付けた。でも明日はきっと辛いだろうな。でも、3日間ジャージを着られただけでも、すでに満足なんだ」(ヴァンアーヴェルマート、公式記者会見)
ベルギーのクラシックハンターに好意的だったメイン集団は、後方で淡々と隊列を走らせた。フルーム擁するスカイと、ナイロ・キンタナ抱えるモヴィスターが、集団コントロールの責任を負った。
アスパンの麓で、エフデジが猛然と牽引に取り掛かったこともあった。決して何かをカモフラージュするためではなかった。この時点ではそもそも、2014年ツール総合3位のピノは、「何かしてやろう」と本気で考えていた。
「でも、2kmほど走っただけで、悟ったんだ。自分の調子が悪いことを」(ピノ、ゴール後TVインタビューより)
なにも起こらない状況の中で、ただピノだけが、ずるずると遅れていった。1年前にはラルプ・デュエズを勝ち取り、今年に入ってからはツール・ド・ロマンディでキンタナに次ぐ総合2位の座を仕留めた。しかも苦手の下りを克服した26歳は、決して得意ではなかったはずのタイムトライアル能力を、今シーズン大きく伸ばした。ロマンディのTTを勝ち、6月にはTTフランスチャンピオンに輝いた。だから今年こそ、ベルナール・イノー以来36年ぶりのフランス人マイヨ・ジョーヌが誕生するかもしれない、とフランスファンを喜ばせた。
「全てがおじゃんだ。シーズンこれまでの準備が、ほとんど、泡となって消えてしまった。本当にたくさん準備してきたのに。ツールというのは1年かけて準備する大会であり、しかも数年前から、この準備を繰り返してきた。でも、去年と同じように、最初の山岳ステージで、目標がダメになった」(ピノー、ゴール後TVインタビューより)
最初の難関山岳ステージでは、誰が総合を勝てるのかは見えてこないが、誰が勝てないのかは見えてくる……とは、しみじみ真理を言いあてた表現である。ピノはこの日、総合ライバルたちから、3分04秒を失った。
その後いくつかの小さな飛び出しが試みられた。いずれも決定打には程遠かった。ピノのいない有力者集団は、ほぼひとつの塊になって、フィニッシュへと突き進んでいた。……ところが、ラスト1kmにちょうど差し掛かったところで、フラム・ルージュ(ラスト1kmの赤い旗)を示すエアアーチが、崩れ落ちていた!
自転車を担いで跨いだり、隙間を潜り抜けたりして、選手たちはどうにか前に進もうともがいた。アダム・イェーツはバイクをひっかけて、転倒した。幸いにもパニックはすぐに鎮められた。審判団もすぐに、巻き込まれたすべての選手たちに、「タイム救済」の適応を決めた。ちなみに、この場合ゴールタイムは、ゴール前3km地点の走行位置で決定される。そして皮肉にもその時点で少しだけ飛び出していたイェーツが、ジュリアン・アラフィリップから、わずか1秒差で新人賞マイヨ・ブランをむしり取ることになった。
気になるのは、空気が抜けた理由。当初は妨害行為か?との噂が駆け巡った。ただし開催委員会の調査結果によれば、観客の不注意による単なるアクシデントであるとのこと。なんでも観客の1人がフラムルージュの脇を通る際に、アーチを止めているピンに引っかかった。4本ある脚の一つが送風口から抜け、その風に煽られる形で脚が空へと跳ね上がり、アーチ全体のバランスが崩れてしまったようだ。
フルームは「スチューピッドな事故」と笑い飛ばし、スカイのマネージャー、ブレイルズフォードも「空気が抜けたと言えば、まあレース自体も気が抜けてたけどね」なんて気の利いた冗談でニヤリとした。幸いにも大きな事故にはつながらなかった。おかげで198人の選手が、無事にツールを走り続けている。しかも開幕から1週間たっていまだ1人の棄権者さえ出ていないというのは、113年の長い歴史を誇るツール史上、初めての記録である。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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