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バレーボール コラム 2025年8月1日

鎮西高校、4年ぶりの優勝。主将不在の中で控えセッターが流した安堵の涙。インターハイ バレーボール男子

バレーボールコラム by 田中 夕子
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鎮西高校、4年ぶり5度目のインターハイ制覇

2021年以来、4年ぶり5度目のインターハイ制覇。勝利の瞬間、鎮西高校(熊本)の選手たちは喜びを爆発させた。

市尼崎高との決勝は25-12、25-21、25-20のストレート勝ち。優勝候補の大本命に挙げられた強さをいかんなく発揮する結果となったが、選手たちは鎮西のユニフォームを着て優勝の喜びを味わうのは初めて。笑顔で抱き合う中、エースの一ノ瀬漣(2年)は涙を拭った。

鎮西高校、優勝の瞬間

「自分でも、泣くとは思っていなかったんです。でも、大会前にセッターが代わった。同じ学年で、去年から試合に出て来た自分が助けなきゃ、と思っていたし、絶対に今年は優勝を狙えると思っていたので。実際に勝つことができて、3年生を勝たせる、優勝させることができて嬉しくて、涙が出てきました」

一ノ瀬以上に泣いていたのが、セッターとして全試合に出場した木永青空(2年)だ。実は大会直前に正セッターで主将の福田空(3年)が、腰の負傷で欠場を余儀なくされた。福田だけでなく、アウトサイドヒッターの小島涼晴(3年)も足関節捻挫で出場はかなわず。優勝候補の大本命と目される中、実は大会直前に抱いていたのは自信よりも不安だった。

中でも、セッターとして急遽出番が巡ってきた木永にかかるプレッシャーは計り知れない。試合が近づく中でもコンビがなかなか合わず、一ノ瀬が「練習中も(木永が)泣いていた」と言うように、昨年からレギュラーセッターを務めた福田に代わってどれだけ力が発揮できるかは、始まってみないとわからない。

抱え続けた不安を、木永が吐露する。

「すんごい不安で、プレッシャーもある。もともと考えこんでしまうタイプなので、『大丈夫かな、行けるかな』って、めちゃくちゃ不安でした」

支えたのは一ノ瀬だけでなく、先輩、同級生、後輩。コートに立つ選手も、サポートする選手も皆が皆、木永の不安を和らげるべく、それぞれがそれぞれの形で後押しした。

同学年の一ノ瀬が「合わなくても自分が決めれば上げてくれるので、どんなトスでも打ち切ろうと思っていた」と言えば、3年のミドルブロッカー西原涼瑛(3年)は「多少トスが乱れても俺らが全部打つから、と声をかけ続けた」と言う。

岩下将大(鎮西)

1年時からレギュラーとして出場を重ねてきたオポジットの岩下将大(3年)は自身の経験も重ね、木永を励ましてきた。

「木永のプレッシャーはすごかったと思うし、責任も感じていた。試合前は青ざめていて、くちびるも真っ青で、見ているこっちも緊張するぐらい、緊張していた。でも、1試合終わるごとに少しずつ緊張が和らいで、試合が終わるとニコニコしながら話していたので『試合中もそんな感じでやれよ』って、みんなで言っていました。

だけど、実際はそんなに簡単じゃないのはよくわかるから、木永が不安にならないように声をかける。それは自分が今まで先輩たちにしてもらってきたことなので、同じように、僕らもやる。そうすることで木永が少しでもやりやすくなれば、と思ってやり続けました」

経験、とひと言で片づけるには、その過程を振り返ればいろいろなことがあった。1年時から出場してきた岩下や一ノ瀬もまさにそう。

昨夏のインターハイ準決勝で駿台学園高校(東京)に敗れた時も悔しさを味わったが、それ以上に「大きな経験だったし、本当に悔しかった」と振り返るのが、今年1月の春高バレー、東亜学園高校(東京)との準々決勝だ。

3回戦と準々決勝、最も大事な試合が同日に行われるというありえない日程なのだが、さらに考えられないことに、鎮西は3回戦をその日4試合目に行い、準々決勝は6試合目。慶応高校(神奈川)との3回戦はフルセットの激闘を制したが、1時間も開かずに準々決勝が始まる。

一ノ瀬漣(鎮西)

1年生で初めての春高を戦った一ノ瀬にとって、そのダメージは想像をはるかに超えていた。

「気持ちも身体も限界で、脚が動かなかった。大事なところで決めることが全くできませんでした」

打数が多かった岩下も同様で、気力を振り絞って跳び、スパイクを打っても待っているブロックに阻まれる。フルセットで敗れた直後、当時のチームの主将に「よくやった。お疲れさん」と労われると、「先輩に申し訳ない」と人目をはばからず泣いた。

鎮西高校ダブルエースの一ノ瀬(左)、岩下

あの悔しい敗戦から7カ月が過ぎた8月、インターハイでは確実に成長した2人の姿があった。ともに「エース」として多くのトスが託され、常に2枚、3枚と揃ったブロックが並ぶが、どれだけ苦しい状況でも逃げずに打ち、決める。

一ノ瀬が「(春高の)悔しい経験があったから、今日(のインターハイ決勝)は最後の最後まで跳び続けて、打ち続けることができた」と笑みを浮かべれば、決勝では連続サービスエースやバックアタックを次々決めた岩下も、成長を噛みしめる。

「決めきらないといけないところで決める。その力はちょっとずつついてきていると思いますし、いつもは他のメンバーに支えられたり、助けられている感じが多かったんですけど、今は自分がチームを引っ張れている感覚もある。そこは、大きな進歩なのかな、と思えました」

涙する木永(左)を笑いながら労える

だから、涙する木永のことも、笑いながら労えた。

「試合が終わって、優勝して、めちゃめちゃ安心して泣いていたのを見て、『よく頑張ったな』って言いました。ほんとに、よく頑張ったと思います」

アクシデントも悔しさも乗り越えて、ようやくたどり着いた日本一。だが、これで終わりではなく、三冠を目標に掲げる今季の鎮西にとっては、インターハイ制覇は始まりに過ぎない。

今年80歳、51年の監督歴を誇り、30年前に同じ松江で開催されたインターハイで監督として初の日本一を成し遂げた畑野久雄監督も「勝ちたいとは思っていたけれど、勝てるとは思わなかった」と笑みを浮かべた後、これからに向け、再び表情を引き締める。

「レギュラーに学年は関係ない。レギュラーとして試合に出る以上は、果たすべき責任がある。自分を甘やかさずに1つずつ。三冠とかそんなことではなく、自分に厳しく。やることをやり続けるだけですよ」

夏の覇者を、敗れたチームたちは「次こそは」とリベンジを誓い追いかける。かつて、自分たちのその道を歩んできたように、また次の壁を超えるためには、力をつけ、自信をつけるしかない。

岩下が言った。

「これが最後じゃないので、まだまだ成長していきたい。勝てたことはとても嬉しいですけど、目標は三冠なので。ようやくスタートラインに立てた、そういう気持ちです」

さらなる飛躍と成長に向けて、一歩ずつ。着実に、進み続けて行くだけだ。

文/写真:田中夕子

田中夕子

田中 夕子

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。WEB媒体、スポーツ専門誌を中心に寄稿し、著書に「日本男子バレー 勇者たちの奇跡」(文藝春秋)、「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。「夢を泳ぐ」「頂を目指して」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」、凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること」(カンゼン)など、指導者、アスリートの著書では構成を担当

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