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米山裕太(東レアローズ静岡)
静岡で19年、慣れ親しんだ青いユニフォームで米山裕太が最後のホームゲームで別れを告げた。
試合後に行われた引退セレモニー。日本代表でも苦楽を共にした大阪ブルテオンの清水邦広、永野健コーチ、サントリーサンバーズ大阪の山村宏太・前監督、2021年の引退後、解説者としても活躍する福澤達哉氏からのビデオメッセージ。
さらに東レに同期入社し、Vリーグ、日本代表で長い時間を過ごし、現在はスタッフとしてマーケティングを担う富松崇彰氏から花束が手渡され、熱い抱擁を交わすと涙を拭う。
家族から感謝状を渡される米山
続いて、家族からの花束と「いつも頑張っている姿を見せてくれてありがとう」と記された手紙と、「たくさんの人に勇気を与えてくれた」という感謝状の贈呈。
温かな空気の中で進むセレモニーの中、米山が「昨日のように思い出す」と自らのスピーチで振り返ったのは、まだ日本体育大学在学中で東レアローズ静岡に内定選手として加わって間もない頃だった。
ラストホームゲームでの対戦相手でもある広島サンダーズの前身、JTサンダーズとの試合がデビュー戦。1本目のスパイクが上がってくると「嬉しさと緊張のあまり、突っ込むようにネットタッチをした」と笑う。
そんなほろ苦いデビューから優勝や入替戦、いい時ばかりでなく、もっと苦しい経験も重ねながら歩んできた19年の選手生活にピリオドを打つ。この日、4月6日のホームゲームではスタメン出場し、試合開始直後に1本目のスパイクも決めた。
「特別な思いはなく、勝つためにプレーしただけ」と振り返ったが、阿部裕太監督は「コースを狙って打つのではなく、とにかく振り切っていた。米山らしい、清々しい1本だった」と笑みをたたえた。
まだ十分、選手としても、選手兼コーチとしてもできるのではないか。そう思わせる引き際に寂しさも募るが、長年見てきたファンに対してだけでなく、周りの選手たちに対しても米山が残したもの、見せてきたことの影響は計り知れないほど大きい。
武田大周(東レアローズ静岡)
東レでのルーキーシーズンを終えようとしているリベロの武田大周もその1人だ。
「大周、空いてる?」
2人1組での対人レシーブで、米山が声をかけたのが武田だった。1984年生まれの米山と、2001年生まれの武田、年齢差は実に17歳。リベロとしてレシーブには自信を持っていたが、さすがにレジェンドと言うべき相手との対人レシーブに「最初は緊張した」と武田は笑う。
「変なところに打ったら取ってくれない、と思うことはなかったですけど、顔面に当てたらどうしよう、って(笑)。でも、僕は対人を激しくやりたいタイプなので、ガンガン打ってほしい。よねさんもわかっているし、僕に対して遠慮する理由もないのでがっつり打ってくれる。1本1本、いろんなことを学んできました」。
レシーブできた、できなかった、という安易な結果ではなく、レシーブ、スパイクを互いに繰り返す練習の中で、レシーブが返る位置によって相手がどこへ打ってくるか、身体の向きや軸を見て予測する。しかも打球をとらえるポジションが正確な米山が打つボールは、これ以上ない実戦練習でもあり、試合の中でも活かされた。
さらにもう1つ、武田にとって忘れられない出来事がある。
小学生からバレーボールを始めた武田は、高校、大学ではリベロとしてチームに欠かせぬ存在として試合に出続けてきた。考えるのは「いかに勝つか、自分のプレーで勝たせるか」ということで、コートに立って表現するのがいわば当たり前。
だが、SVリーグでは同じ意識や技術ではコートに立ち続けるどころか、立つためのチャンスを得ることもできない。東レには同じリベロに山口拓海がいて、長年の経験と安定感、周囲への指示も含めたクレバーさで勝る山口の評価は高く、武田は初めて「試合に出られない」という壁に直面していた。
「SVリーグをなめていたわけではもちろんないけど、今までずっと出てきたから、どこかで自分は試合に出られる、って思っていたんです。だけどそんなに甘くない。でも、今まで試合に出られない経験がなかったから、どうすればいいのかわからない。今、思えば練習やトレーニングに対してもふてくされて、どこか投げやりになっていた時期がありました」。
東レでリベロとして結果を残して、日本代表でも活躍できるような選手になりたい。強く思えば思うほど、うまくいかない現状に悩む日々が続く。転機になったのはSVリーグが開幕してから数ヶ月が経った頃だ。
山口の安定感と比較し、武田はいい時はいいが悪いと崩れる。好不調の波が激しいことが、チームからの信頼につながっていないと指摘され、少しでも自分のプレーや試合を見て課題を見つけ、克服しようとスタッフのもとを訪れると、同じ部屋で治療を受ける米山がいた。
思わず、出られない悔しさやもどかしさを伝えた。そんな武田に米山が言った。
「まだ1年目だろ。うまくいかないことがあるのも当然だし、俺だってそう。東レでも日本代表でもなかなか出られなかったし、出ても代えられることがしょっちゅうあった」。
「だけどそれも経験だから。大周が自分のプレーに波があると思うならそれをなくせばいいし、課題が見つかったのはむしろ収穫。ネガティブになる必要はないでしょ」。
その言葉に、武田は号泣した、と振り返る。
「めちゃくちゃ刺さりました。同年代で励まし合うのは全然違う。いろんな経験をしてきたよねさんだからこそ、ぐさっと来た。まだ選ばれてもいない自分が何言ってるんだ、と思ったし、やらなきゃ、って本気で思いました」。
練習前の準備をするのも新人選手の仕事。同期の選手たちと1時間早く体育館へ行くのが日常なのだが、自分たちより早く体育館にいて、練習に向けてストレッチをしたり、自分がすべきパフォーマンスを発揮するための準備をしていたのが米山だった、と武田は言う。
「年齢はもちろんあるかもしれないですけど、でもこうやってずっと準備を続けてきたからこんなに長い間トップ選手であり続けたんだ、って。その姿だけでも伝わってきました」。
「僕らが見えないところでも身体に気を遣ってきたと思うし、直接『こうしろ』と言われなくても、よねさんを見ていたらアスリートってこういうものだ、ってわかる。僕は1年でしたけど、ずっと凄さを見せつけられてきました」。
すでにチャンピオンシップ出場の6チームが決定した。可能性が潰えた東レ静岡は、4月13日の大阪ブルテオン戦が今季最後の試合で、米山にとって現役最後、東レのチームメイトと共にプレーする最後の試合でもある。
すでにチャンピオンシップ出場を決めているとはいえ、大阪ブルテオンもレギュラーラウンドの首位争いの最中にいる。どちらにとっても、負けられない試合であるのは同じこと。
だからこそ、試合前の対人レシーブの1球1球からすべての力と思いを込めて。そして、勝って送り出すことができたら最後に全力で伝えたい。
よねさん、ありがとうございました、と。
文:田中夕子/写真:(C)SV.LEAGUE
田中 夕子
神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。WEB媒体、スポーツ専門誌を中心に寄稿し、著書に「日本男子バレー 勇者たちの奇跡」(文藝春秋)、「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。「夢を泳ぐ」「頂を目指して」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」、凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること」(カンゼン)など、指導者、アスリートの著書では構成を担当
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