人気ランキング
コラム一覧
ホーム最終戦で挨拶をする安永拓弥
最後の椅子は1つ。
「大同生命SV.LEAGUE(SVリーグ)」男子、チャンピオンシップ出場権の6位を争う広島サンダーズと、日本製鉄堺ブレイザーズの今季最後となる直接対決。すべて大切な試合とはいえ、互いにとって「絶対に負けられない」最終決戦の初戦は日鉄堺が、3-1で勝利した。
日鉄堺の北島武監督が「シーズンをかけて、高い意識を持ちながら練習を重ねてきた成果が発揮された」というサーブが序盤から走り、リベロの森愛樹の好守や、アウトサイドヒッター安井恒介がラリーを制する絶妙な攻撃を見せ、会心の勝利を収めた。
残り試合が2つ上回る日鉄堺にとっては大きな1勝であるのに対し、この日敗れた広島THは自力でのチャンピオンシップ進出の可能性が消滅した。
まさに崖っぷち。
苦境に追い込まれただけでなく、アクシデントは重なり、1-3で堺に敗れた試合終盤では、ここまでチーム最多得点のモレイラ ロケ フェリペが負傷交代。ロケの出場を見送った30日の試合前練習では、セッターの阿部大樹が負傷し、ベンチ入りしたセッターは金子聖輝、1人だけ。
オポジットにはこれまでアウトサイドヒッターで全試合に出場する新井雄大が入り、カメホ ドルーシー オレオルと、坂下純也が対角に入る「練習でも一度もやったことがない」(金子)という布陣で臨んだ。
だが、この策が奏功した。
30本中20本を決めた新井が66.7%、21本中13本を決めた坂下が61.9%、チーム全体も60.5%と高いスパイク決定率を残した。
大学まではオポジットを本職としてきた新井は、「楽しみ半分、不安半分だった」と明かしたが、トスを上げた金子は「大爆発だったので、むしろ自分も乗らせてもらった。『ありがとうな』って気持ちです」と笑わせた。
とはいえ、負ければ終わりの依然追い込まれた状況は続く。だが、それすらも「ワクワクする」という選手がいる。
ブロックに飛ぶ安永拓弥
今季限りでの現役引退が発表されたミドルブロッカーの安永拓弥だ。日鉄堺との大一番、勝利した30日の試合では第1セットの最後に「今までで一番だった」というブロックで25点目を決め、チームに勢いと流れをもたらした。
「今までもずっと後悔しないようにやってきたので、残りの試合も変わらずやるだけ。いつ終わるかわからない状況ですけど、そういう中で戦えることも幸せだと思います」。
安永がバレーボールを始めたのは中学3年から。男子バレーボール部はなく、遊び半分のスタートだったが、当時から身長は高かった。
190センチ近い高身長を買われ、高校は東海大浦安へ。強豪というには程遠かったが、高校2年時に出場した関東大会が、安永にとっては最初の晴れ舞台とも言うべき場所だった。
SVリーグや日本代表と異なり、高校生の大会は体育館に 3~4面のコートが並び、同時に試合が進む。関東大会も例外ではなかったが、安永たちの試合が始まる頃にはコートの周りやスタンドに多くの観客が押し寄せた。
無名の高校でも、こんなにたくさんの人たちが見に来てくれる。やっぱり関東大会ってすごいんだ、と喜んだのも束の間、多くの人たちが集まった理由がすぐにわかった。目当ては自分たちではなく対戦相手の深谷高校だった。
「みんな八子(大輔)さんを見に来ていたんです。そりゃそうですよね。相手は春高でも優勝したスーパースターで、試合が始まる前の練習から次元が違う。スパイクに触ることすらできなかったし、僕らは何点取ったかわからないぐらいの惨敗でした(笑)」。
その日を境に、安永にとって八子は憧れの存在へと変わった。高校卒業後は1学年上の八子と同じ東海大学へ進学し、1年時からミドルブロッカーでレギュラーとして出場機会をつかむ。
2年時には八子とともに日本代表へ選出され、2009年のワールドグランドチャンピオンズカップにも出場した。東海大学でも全日本インカレ優勝など、華々しい戦績を残し、2012年にJTサンダーズへ入団。以後、13年という長きに渡り、コートに立ち続けてきた。
2014-15シーズンには、創部以来初のリーグ優勝も経験したが、振り返ればいい時ばかりではない。レギュラーシーズンで勝てず、下部リーグとの入れ替え戦に臨んだシーズンもあれば、安永自身がコートに立つこともできずに苛立ちを抱え続けたシーズンもある。
その時々「腐るなよ、必ず出番が来るから」と励ましてくれるコーチや先輩の存在に救われてきたが、2021年に八子が現役引退、2歳上で東海大学の先輩でもある深津旭弘(現・東京グレートベアーズ)が退団を発表した時は、「初めて、先が見えなくなった」と明かす。
「これからどうなるんだろう、自分はどうしよう、って悩みました。それぐらい僕にとっては絶対的で、信頼できる人たちだったので」。
それでも、自分を奮い立たせて続けてきた理由がある。
「他のチームでプレーすること自体が考えられなかったので、ここで最後まで一生懸命やりたい、という気持ちがモチベーションでした。正直、30歳を過ぎてからは毎年、『今年で終わるかもしれない』と思っていたし、終わってもいい、と思うぐらいやりきってきた」。
「選手によっていろんな考え方がありますけど、僕の理想は最後までずっと、試合に出ている状態で終わりたかったんです。見ている人に『安永さん引退するんだ、そうだよね』と思われるのは悔しかったし、『まだやれるでしょ』とお世辞でもいいから言われながら終わりたかった」。
「だから今、こうして終わりが決まっても、やることはやったと思っているので、後悔は残っていないんです」。
ただ、しいて挙げるなら1つだけ。
「現段階で優勝争いできる順位にいなかったことだけが、今は心残りですけど、まだ、チャンスはありますから」
安永拓弥(左)と八子大輔
広島でのホームゲーム最終戦となる3月30日の試合後には、今季限りでの退団選手を送るセレモニーが開催された。安永だけでなく、唐川大志、熊倉允、平井海成、カメホ ドルーシー オレオルの5選手の写真がプリントされたTシャツを着た選手から、花束が渡される中、安永の前に現れたのは八子だった。
当初は主将の井上慎一郎が花束を手渡す予定だったが、井上の粋なサプライズで急遽、八子がコートへ。満面の笑みで抱き合った後、安永が言った。
「『長いこと頑張ったね』と、労いの言葉をかけてもらえて、すごくうれしかったです。僕がバレーを始めた頃からずっと追いかけてきた憧れの人。八子さんと一緒にやりたい、と思って広島に来たので、最後のホームゲームを見に来てくれて、力になりました」。
万感の思い、と言いたいところだが、噛みしめるのはまだ早い。チャンピオンシップ進出をかけた戦いはまだ残っているからだ。残り1枠の座を勝ち取るのは広島か、4試合を残す日鉄堺か。痺れる戦いは、まだ終わっていない。安永が言った。
「また、ここから切り替えて、切磋琢磨してバチバチ行くだけ。同級生の小澤翔くん(現・東海大学監督)はリーグ優勝して引退したので、僕も彼に負けないように。ファイナルへ行って、下剋上して有終の美を飾りたいです」。
残る椅子は1つ。最後の最後まで、ワクワクする戦いが続く。
文:田中夕子
田中 夕子
神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。WEB媒体、スポーツ専門誌を中心に寄稿し、著書に「日本男子バレー 勇者たちの奇跡」(文藝春秋)、「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。「夢を泳ぐ」「頂を目指して」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」、凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること」(カンゼン)など、指導者、アスリートの著書では構成を担当
あわせて読みたい
J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題
ジャンル一覧
J SPORTSで
バレーボールを応援しよう!
