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フィギュア スケート コラム 2025年10月31日

ろう者学とスポーツの関係について | 町田樹のスポーツアカデミア 【Dialogue:研究者、スポーツを斬る】 手話言語が拓くデフスポーツの未来 #20

フィギュアスケートーーク by J SPORTS 編集部
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ろう者学とスポーツの関係について | 町田樹のスポーツアカデミア 【Dialogue:研究者、スポーツを斬る】 手話言語が拓くデフスポーツの未来 #20

ろう者学とスポーツの関係について | 町田樹のスポーツアカデミア 【Dialogue:研究者、スポーツを斬る】 手話言語が拓くデフスポーツの未来 #20

皆さんは11月にデフリンピックが東京で開催されることをご存知でしょうか?耳が聞こえない、あるいは耳が聞こえにくいアスリートたちによって繰り広げられる世界規模の総合スポーツ大会。それがデフリンピックです。この4年に一度のデフスポーツと手話文化の祭典がここ日本で初開催されるということで、大変注目されています。

町田:本日は、そのような盛り上がりを見せるデフスポーツについて、ゲスト研究者の先生と共に探求していきたいと思います。今回ゲストにお迎えするのは、「ろう者学」ならびに「手話言語学」をご専門とされている大杉豊先生です。大杉先生は現在、筑波技術大学の教授であられるとともに、デフリンピックを統括する国際ろう者スポーツ委員会の副会長として、デフスポーツの最前線で活動されておられます。

町田:大杉先生も耳が聞こえないため、今回は手話通訳者の方々にもご協力いただきながら、デフスポーツ文化の魅力や課題についてじっくりと議論をさせていただきたいと思います。それでは、早速お越しいただきましょう。大杉豊先生です。よろしくお願いします。ろう者学をご専門とされておられるわけですけれども、先生がなぜ研究者になられたのか、その経緯や動機についてお伺いしていきたいと思います。研究者になられる前も、いろんなご活動をされていたとお聞きしています。幼少期からのその経緯についてお聞きできたらと思います。

■大杉先生のご経歴

筑波技術大学教授 大杉豊先生

筑波技術大学教授 大杉豊先生

大杉:私が聴力に障害があることがわかったのは3歳の時です。家族の支援もあってろう学校に通いました。その後は通常学校に通いました。ろう学校に通っていた頃ですけれども、周りが同じ耳が聞こえないろう者の仲間、7人ぐらいのクラスだったと思います。いつもコミュニケーションの手段は、声や口の形を見る、または身振りというような方法をとっていました。大事なことはアイコンタクト。きちんと目線を合わせることが大事だったと思います。私はやっぱり話すときに相手の顔を見る必要があるんですよね。通常学校ではいつもアイコンタクトはあまりとらずに、それぞれが好きな方向を向いて音声だけで会話をするという方法がとられます。そんな話の中で、それを理解するということは厳しい状況でした。

つまり、ろう学校の時には目を見てアイコンタクトをとって、何か起こったこと全てを理解するコミュニケーションの方法。一方で、通常の学校ではそれができなかった。なので、本当に仲の良い方とはアイコンタクトを取れたと思いますが、それ以外の方とはなかなかその状況が分からないという中で育ちました。

その後、名古屋で聞こえる学生に手話を教える機会をいただきました。当時の手話講習会は聞こえる人が教えているところが多かったです。通訳者が通訳活動または通訳の講師をする。聞こえない人が教える時でも、聞こえる人が通訳しながら教える方法、昔はそれが当たり前だったんです。けれども、私は同僚と二人で決心して、音声を使わずに、通訳もしない。学生はろう者の私から直接手話を学ぶ直接法を始めました。

それから、名古屋で犬山にあった京都大学霊長類研究所で、チンパンジーに手話を教えるという経験もしました。手話を教える良い方法はどんなものがあるのか。チンパンジーが単語を覚えられても文法を覚えるのが難しいといった知見を得たり、そんな研究をしたいという気持ちが沸き起こりました。それがきっかけで、いろいろなところから支援を受けてアメリカに行き、シアトルを起点にしてアメリカを回って、ろう者の手話の教え方、また手話言語についての研究など、そういったものを探索しました。

その後、今の大学、筑波技術大学に同じろう者、難聴者の学生たちにろう者としての生き方、ろう者の先輩たちがどのようにして生活をしていくのか、先輩たちからどのようなことを学べるのか、この後輩たちに教えるべきは何なのかということを研究して、ろう者難聴者に教えています。また、手話言語を分析する方法を教えています。アメリカの大学では、手話言語の分析の研究や、ろう者の生活文化を研究してきました。そうして今は大学でこれらの経緯を通して得た知見を学生に教えているといった状況です。

町田:なるほど、先生のご経歴は本当に厚いですね。たくさんインターナショナルなご活動もされている、まさに先生ほど国際的な手話の文化をいろいろと見てきた方はいないんじゃないでしょうか。そんなろう者学なんですけれども、スポーツやデフスポーツとどんな関わりがあるんでしょうか。

■ろう者学とスポーツの関係

ろう者学とデフスポーツの関わり

ろう者学とデフスポーツの関わり

大杉:ろう者学は、耳が聞こえない人たちの生活全てのことを対象にします。当然スポーツも入ります。少し面白い話があるのですが、「体育」という言葉がありますよね。その言葉を表す手話を調べてみたのですが、日本全国でそれぞれ違うんです。地域ごとに違った表現があります。その特徴を捉えた表現になって、手話がそれぞれ違うことがあります。そして、「スポーツ」という手話になるとほとんど同じ。だいたい2つになります。一つ目は勝負、それからもう一つは走るイメージから作られていると思います。みんな使い分けをしているんですね。こういったこともろう者学になります。

それから歴史を見ていくと、有名な話に、沖縄のろう学校野球部のことがあります。9人以上で野球は試合ができますよね。甲子園を目指して沖縄で予選大会が行われました。しかし、高野連は参加を認めなかったことがあります。これには理由があります。それは文科省が決めたことで、ろう学校は通常学校ではない。特殊教育という別の枠に入っているということでした。もし、ろう者が参加した場合に、ボールが当たってしまったら危険だとか、耳が聞こえないから危ないとか、そういう理由があって断られてしまったことがあります。全国のろう者や手話サークルが運動を展開して、やっと予選大会に参加が認められたという経緯があります。ごく最近の話です。

以前、実際にオリンピックに出られるくらい素晴らしい記録を持っていても、ろう者だからという理由で2番目、3番目の聞こえる選手が上の大会に進んだことがあります。歴史を探って、何がいつ起きたのか、どうして起きたのか、今その課題は解決できているのか。そういうのもろう者学に入ります。もう一つ、最近はろう者・難聴の子どもの数が減ってきています。ろう学校の経験がないまま、通常学校でスポーツを経験する子どもも増えてきています。そういう子どもが大学を卒業して、ろう者のスポーツ活動に参加する。しかし、手話ができないので、ろう者とのコミュニケーションは取れないこともあります。初めてそこでショックを受けるわけです。スポーツはやりたいけれども、そこで少しずつ手話を覚えて、周りからサポートがあって、コミュニケーションがやっと取れるようになる。スポーツを通して生まれ変わった経験をする人もいます。これまでとは全く違ったコミュニケーションの世界が広がり、初めてスポーツの楽しさを知ったと卒業論文に書いた学生もいます。そういったこともろう者学に入っています。

町田:デフスポーツと一口に言っても、いろいろな参画の仕方があって、ある人は普通の小学校で、ろう学校の経験なく、そのまま普通の学校からデフスポーツに参画するパターン。逆に一般の聞こえる人たちの小学校ではなく、ろう学校からデフスポーツに参画するパターン。あるいは両方の経験がある人が参画するパターンといろいろあるわけで、やっぱりその参画の仕方によって、一人ひとりスポーツとの関わり方、あるいはスポーツとの関係性やスポーツが自分にもたらす影響というのは違うんですよね。

文:J SPORTS編集部

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