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スポーツテレビ局J SPORTSの人気番組「フィギュアスケーターのオアシス♪KENJIの部屋」2016-2017シーズンがいよいよスタート!日本選手はもちろん、海外選手のプログラムも多数手掛ける振付師・宮本賢二さん(KENJI)が、ゲストを迎えて、楽しく、真剣にトークを繰り広げます! “若手コーチスペシャル”の2番手は、長野、ソルトレークと2度の五輪出場経験を持ち日本フィギュアスケート界のレジェンド的存在である本田武史コーチが登場。エピソード2では、現役時代のお話しや今後の抱負を熱く語ってくれました!
キャリアを振り返る
――キャリアを振り返るということで。1993年シーズン、初めての国際大会トリグラフトロフィー、ノービスで優勝したけど、初めて?
本田:初めてですね。
――すごいな。その時はもう、トリプルアクセル?
本田:いや、まだトウループとサルコウくらいじゃないですか?
――ノーミス?
本田:はい、多分。でもあんまり覚えていないです。スロベニアっていう国にどうやって行くかもわからないで行ってるので。
――俺もスロベニア行ったわ。俺もよくわかってなかった。それで、初のシニアで、NHK杯で4位?
本田:4位。
――どうやった、緊張した?
本田:いや、それが、一緒に世界ジュニア行ったじゃないですか、オーストラリアの。世界ジュニアに行って、表彰台に乗って、急に「NHK杯に出ていいよ」って言われて。あの時世界ジュニアまだ11月だったじゃないですか。NHKまで1週間しかなくて。
――あ、あの後出たんや
本田:あの後すぐでした。ゴールドコーストで泳いでる余裕はなかったんですけど(笑)。
――そうやね(笑)。行ったよね
本田:あのあとNHK杯に出てました。
――そうなんや。あの日焼けしたあとに4位やったんや。すごいな。
本田:けど何もわからないで出たので、なんかテレビで見たことある選手が出てるなって感じでした。
――世界ジュニアも銀メダルとったよね?
本田:2位でした。14歳で世界を意識
――そのまま全日本選手権男子シングルを14歳で史上最年少優勝。すごいね
本田:それも、全日本ジュニアで優勝しているから、推薦枠で出させていただいて。
――出たら、優勝しちゃったんだ。
本田:はい。
――やっぱり、ちがうんやね。
本田:その年は、僕の中でもノリにのってたんですよ。トリプルアクセル、フリーで2回入る。ショートでもトリプルアクセルが入ってますし。フリーでトリプルアクセル2回で。全日本ジュニアの時は4回転2個やってたんですかね。
――今やその4回転がちょっと当たり前のようになってるけど、その時はね。22年前に4回転2回
本田:今みたいに映像もないですし。分析もできないじゃないですか。あるのは、VHS?を何回も見て。でも跳んだことある選手も少ないじゃないですか。
――あの時はね。ほんとに世界で何人かっていう
本田:なので、どうやっていいかわからなかったんで、とりあえず回ろうって。
――それで周れるのがすごいね
本田:回っちゃいましたね。
――その全日本で優勝して、世界選手権。初めて出た時に、13位?その時のことは覚えてる?
本田:覚えてます。もう忘れもしないっすね。予選、ショート、フリーとほぼ完璧だったんですよ。自分の中でもよし、良かったって演技だったのに、13位だったんでむちゃくちゃショックでした。
――なんやったん?
本田:もう全然、敵わないんですよ。大人と子供の差があるんで。
――ああー。その時まだ14歳?14歳で世界選手権ってすごいね
本田:怖かったですね。NHK杯は、12人とかじゃないですか。世界選手権だと、あの時って予選もあったから80人くらい出てるんですよね、AとBに分かれて。その中で予選もしなきゃいけないので、みんな二十歳越えてる。あとはオリンピックでメダル獲ってる選手が目の前でジャンプばんばん跳ぶので、壁にひっついたまま滑れなかったんですよ。長久保先生にめちゃくちゃ怒られて、「おまえ滑ってこーい!」って言われて、はいっ!て滑りに行ったんですけど、すごいショックでしたねあの時は。
――でも内容は自分の中では良かったんでしょ?
本田:トリプルアクセル、トリプルトウループも入って、ショートもノーミスだったので、手ごたえはあったんですけど、悔しかったですね。
――そんで俺もっとやったろ、ってかんじやったのかな?
本田:そこからどうやったら世界で通用するかっていうのを考えましたね。
――14歳で?すごい
本田:それでその次の年から4回転を始めて。
――これじゃダメだって?
本田:その時に4回転降りるのも世界選手権ではあんまりいなかったので、じゃあなんか一発ドカンといったらいけるかなって。
初めての五輪の思い出
――本田武史と言えば長野オリンピック、すごい覚えてるんやけど、決まった時どうやった?
本田:決まった時は、正直、オリンピックに出れる嬉しさよりは、オリンピックって何なんだろう、って。要するに、オリンピックってすごい場所なんだっていうのは知っているけど、どんな所なのかっていうのはイメージがつかなかったです。
――やった結果、順位は15位?どうやった初めてのオリンピック
本田:これにもいろいろ話がありまして、簡単に言うと日本からオリンピック直前に海外に出ちゃったんですよ、先生を変えて。コーチを変えて海外に住み始めて、インターネットもない、携帯もない、英語も話せない、ホームシックの状態でのオリンピックでした。
――そうやったん?
本田:スケートの調子は良かったんですけど、メンタルは大変でした。早く日本に帰りたい。
――あ、日本に帰りたい。日本帰ってきて長野オリンピックで自国開催やから雰囲気は凄かったでしょ?
本田:凄かったですね。フィギュアスケートってそこまで注目されてなかった時代じゃないですか。その時にメディアの方が並んでるのを見ると、「あ、すごいんだ」って。
――そこでまたテンション巻き返して?
本田:そうですね。五輪のマークがフロントについたジャージを着ると、やっぱりオリンピックだなって。
――そんなことがあったとは全然知らんかった。てか初めてしゃべったねそんなん
本田:そうですね。長野の時はいろんな意味で辛かったです。
――翌シーズンのGPシリーズで2位。あ、四大陸。初めての四大陸、第一回目やんね
本田:初代チャンピオンです。
――凄いやん、この時はどないやったん?
本田:この時は、「四大陸が始まります」、でもどういう大会か誰も知らない。でもヨーロッパ選手権と並ぶ試合だから出ますって感じでした。ちょうどケガもしていたので、4回転はやらないという状態で行ったんですけど、エルビス・ストイコが出てたり、中国の選手がばんばん4回転跳ぶんですよ。4回転なしで勝負しに行って、ほんとにたまたまでしたね。ショートもフリーも完璧に滑りきって、その時エルビスが4回転を2,3回失敗したのでたまたま優勝できました。
――すごいね、初代やもんね
ソルトレイク五輪の思い出
――その後、二度目のソルトレイクオリンピック?ショートが2位やってフリーでちょっとミスがあって、4位?
本田:はい。
――惜しくもメダル……、悔しかったやっぱり?
本田:長野で失敗したことを、なんで失敗したのかということもいろいろ考えながら、アメリカからカナダに移動して練習を始めました。そこで習っていた先生がエルビス・ストイコだったりブライアン・オーサーにコーチだったので、オリンピックまでの持って行き方をすごく教わって。
――どういう風に練習していって直前にはこういうことをして、みたいな? 本田:そうですね。――実はメダルを狙っていた?
本田:メダルは、正直狙ってはいなかったです。その前の年の世界選手権5位だったので。ま、届いたらいいなっていうくらいで。
――2回オリンピック行ったやん。やっぱりちがう?長野の時はよくわかんないみたいな。ソルトレイクで2回行ったらどう?
本田:ソルトレイクはもう準備万端でした。もう絶好調。体調も滑りも、4回転の失敗も一回もない状態で行って、ショートもノーミスで。でも2位になった所からが自分の中でちょっと狂いがあったかも。できたら3位か4位でいたら、もっと追い込めたのかもしれないけど、まあそれは終わったことなんで。フリーの時のメダルへのプレッシャーはすごかったかな、とは思いますね。あんまり考えてなかったんですけど。
――ショートで2位になってから初めて、一番上を意識した?
本田:ちょっとチラつきましたね。狙っちゃいました。
――いやでも狙っていかなね
本田:フリーで4回転ステップアウトしたんですけど、そのオリンピックまでの1ヶ月間で初めて失敗したんです。それまで4回転を一回も失敗したことがない。それが本番で、ステップアウトしちゃった。それが一番悔しいです、何よりも。
――練習ではずっとできてたのに
本田:ほぼ100%でした。どこで跳ぼうが、どんな時間で跳ぼうが、必ず成功するくらい自分の中では完璧な仕上がりだったんで。
――それはでも悔しいね
本田:悔しかったです、ほんとに。一瞬ちょっと力んだだけで。
――ちょっとのズレで。難しいね
本田:難しいですね
――そのオリンピックが終わって、1ヶ月後の世界選手権。佐野稔先生以来のメダル、銅メダル。どうでした?
本田:オリンピックで4位だったので、なんとしてでもメダルが獲りたい。しかも長野でやる。これはこのままオリンピックからの気持ちをキープしたままやっていこうと。
――その時は気持ち良くできたの?
本田:できましたね。予選、ショート、フリーも、気持ち良く。
――長野一緒に行ってたもんね
本田:オリンピックでやらなかった4回転を2発入れるっていうのを、世界選手権でやってるんで。まあ2回目で転んじゃったんですけど。
――すごいわ。そんな選手が2005年10月に引退表明。引退を決めた気持ちっていうのは?
本田:それがトリノの選考会の前だったんですけど、2年間ケガをして、手術をするしないっていう所までいって、すごく悩んでいた時期でもあったので。けど若い選手も出てきてるし、自分が目標としてる理想図に全然近づけない自分がいたので、もう痛み止めの薬ずっと飲んでたり副作用でボロボロだったので、スッキリしようと思って。今シーズンで引退しますっていう話を誰一人言わずに、誰にも相談なく言いました。コーチにめっちゃ怒られましたけどね。マネージャーにも。
――周りはびっくりしたやろね
本田:多分うすうす感じてた部分もあったんじゃないですかね。
――スッキリしたんや。その引退するまで長いキャリアの中で一番印象に残ってる試合っていうのは?
本田:やっぱりソルトレイクですかね。こう心身ともにオリンピックに向けて全てを持ってったあの2分50秒と4分半ていうのは。4回転3回降りた時もすごくうれしかったんですけど、あんまり記憶にないというか。
これからの抱負
――プロスケーター、コーチ、そして解説者として、これからの抱負を教えてください
本田:プロスケーターとしては、できるだけ滑り続けたいなっていうのがありますね。
――ファンも待ってるしね
本田:そうですね、もう10年滑ったんですけど、まだ頑張りたいなっていう所もありますね。コーチとしては、やっぱり自分が学んできたこと、海外で学んだことであったり、跳んできた感覚を伝えられたらいいなって思います。最終的に、スケーター何がいちばん大切かなって考えたんですけど、長くスケートを好きでいてほしい。辛い練習もするけど、楽しかったよねっていう所を作りたい。
――なんか今ジーンときた
本田:僕はそう思ってるんですけど、プロになって10年、やっぱスケート好きだったんだなっていうね。辛かったけど、ここまで滑れるんだなっていうのを経験したんので。それも伝えられたらいいなって思います。
――素晴らしいな
本田:解説者としては、ルールであったり選手の気持ちを短い言葉で一瞬で伝えられるように、日本語を勉強しなきゃなって思います。どうやったらすんなり入るかっていうのをその一瞬で言えたらいいなと。
――武史先生の声、心地良いもんね
本田:あんまりこう上がらないので、ずっとフラットでいくんですけど。
――でも本当に素晴らしい経験と技術もいろいろ持ち合わせてるので、日本のスケートのためにこれからも頑張ってください
本田:はい、がんばります。ありがとうございます。
J SPORTS 編集部
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