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フィギュア スケート コラム 2015年9月15日

【フィギュアスケーターのオアシス♪KENJIの部屋】羽生結弦選手エピソード3(前編)

フィギュアスケートレポート by J SPORTS 編集部
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宮本賢二さん、羽生結弦選手

スポーツテレビ局J SPORTSの人気番組「フィギュアスケーターのオアシス♪KENJIの部屋」2015-2016シーズンがいよいよスタート!日本選手はもちろん、海外選手のプログラムも多数手掛ける振付師・宮本賢二さん(KENJI)が、トップスケーターをゲストに迎えて、楽しく、真剣にトークを繰り広げます!
記念すべき新シーズン最初のゲストはソチ五輪・金メダリストの羽生結弦選手。第3回では羽生選手の被災地に対する想いなどについて語っていただきました。

東日本大震災

――地震があって、俺なんかが言葉にするようなことじゃないんやけども、それがあったことで何か影響とか自分の心というか思ったことの話をちょっとしてもらえたらなと思って

羽生:あんまりきっかけとかプラスっていう表現は使いたくないんですけれども、そのプラスマイナス関係ない話としてきっかけっていう言葉を使いますけど。震災があったことによって表現しようと思う気持ちっていうのはその上限も下限もかなり広がったなというのもありますし、あとはスケートに対する想いというか、スケートをやっている意味、またスケートのみならず羽生結弦という存在。僕自身が感じている普通の羽生結弦と、スケーターとしての羽生結弦と、被災地代表としての羽生結弦とそれぞれいろんな羽生結弦像があって。じゃあそのどれを信じたらいいんだろうみたいな葛藤もありました。

――“花になれ”ってやってたやん。あれは振り付けは振り付けなんやけども、良かったよね

羽生:あれが多分初めて僕が日本語の曲で滑ったものだと思いますし、初めて賢二先生に振り付けてもらったものですし。震災前のやつなんですけど、今もずっとやろうと思えるのは、僕自身その歌に救われたっていうのもあるし、歌詞の意味を考えた時に、僕の辛い経験とかをリンクさせることもできますけど、僕がその辛いことから乗り越えたみたいな表現をすることによって、その歌詞を皆さんが自分自身と照らし合わせたりだとか、または他の方を思ってそれをリンクさせたりだとか、そういうことをして頂けるプログラムだと思うので、非常にまだ大切に滑らせて頂いてます。

――それ以降すごい活躍になってきた。で、その時はどういう気持ちで試合に挑んでたかな?

羽生:最初は嫌でした。やっぱり被災地代表じゃないけれども、もちろん津波の被害にもあってないし原発の被害だって仙台は放射能に関してはそんなに注目されてないんですけど、その中で「自分はただ好きでスケートやってきたのに、なんでこういうものを背負わされなきゃいけないんだろう?」という気持ちもあったと共に、「でも僕にしかできないことなんだよな」っていういろんな思いもあって。だから最初のうちは、「僕は被災地代表としてではなくて、日本代表の1人として、羽生結弦としてこれから挑む試合に出ます」って言ってたんですね。ただ、そこからいろいろ試合を経て、たくさんのお手紙とかを頂いて思ったのは、今もすごく大事にしてることなんですけど、僕が被災地に近いとか、仙台も津波で被災した地区もあるんですけど、そういう所からがんばること、そういう所出身の選手ががんばることによって、より何か元気になって頂ければ、何か心が動くような演技ができれば。そういう思いを持ってやってたのが、その手紙とかをいろいろ読んでたら被災地の方々からエールを受けてて、逆に支えられてるというか。もちろん被災地の方々じゃなくても日本全国の方々から。

羽生結弦選手

それがオリンピックまでずっと続いたと思いますし、自分が好きなことをやって、結果を出そうと勝ちたいと思ってることが、皆さんにこれだけ支えられてるっていうのをその時非常に強く思いました。でも一番大事なことだなと思います。誰かの為にやってるっていうのも非常に大事だと思うんですよね。

それが例えば自分が手紙出したからって、僕が直接手紙の分うまくなるわけではないし、結果が出るとかそういうわけでもない、それでもそういう気持ちが僕を通して1つになれるっていうか。震災のことでそれぞれ原発のことで悩んだり、津波のことで悩んだり、それこそ地震で家が壊れてしまって住めなくなった方もたくさんいらっしゃいますし。そういう孤独になった方々も含めて、西日本と東北・東日本というものが自分を通して1つになれる。一番その頃っていうか今もですけど、オリンピックで金メダル穫れた時も、嬉しかったなって一番思えるものだと思います。

――最初に神戸に来てくれて滑ってくれた時に、やっぱりみんな涙流したし、良かったと思う

羽生:賢二先生も非常に辛そうな表情されたのは覚えてますけれども。あの時は“白鳥の湖”をやって、今でも鮮明に覚えてるんですけども、あれが今の僕のスケートをしようと思った原動力ですし。

――あれは素晴らしかったと思う

羽生:多分これから一生あの演技はできないと思いますし、あの時の自分の気持ちだからこそ表現できた、暗い所から飛び立っていくというのを込めた表現だったので、あれは自分の中でも特別ですね。あそこで僕がもし神戸に呼んで頂けてなかったら、多分ほんとにスケートをする時に絶対考えてたと思うんですよ。「自分がほんとにスケートしてていいのかな」って。あの神戸に呼んで頂いたおかげで、本当に思ってますこれは。

――ありがとうございます

羽生:とんでもないです、こちらこそ。

2012年世界フィギュア

宮本賢二さん

――世界フィギュア初出場で、3位。どやった?

羽生:自分にとって世界選手権ってすごく特別な場所で、自分が小さい頃から憧れてた選手がそこで激しい戦いをしてたというか、夢の舞台でもあった。そこに立ってそこで表彰台に上がるっていうことは、ほぼ夢が叶ったのと同じような体験だったんですね。すごく嬉しかったのは覚えてます。

――もう、「キャー!」みたいな感じ?

羽生:「キャー!」ですね。でもその時ショート悪かったんですよ。ショートが7位で、最終グループ入れなかったんですよ。4回転2回転になっちゃって、そのあとトリプルアクセルも微妙で、ルッツもパンクしてるんですよ。またルッツかみたいな。ショートへたくそなんですよ僕(笑)。

――それはなんなん、緊張してしまうの?

羽生:わかんないんですけどね、ショートの方が簡単だとは思うんですけど、ショートへたくそなんですよ。

――あれやって、言うたやんこの前も。考えすぎやって

羽生:考えすぎは結構あります。ただなんか、感覚とリズムと理論をうまいバランスでうまい具合に組み合わせなきゃいけないっていうのが僕の考えなので、そのバランスが例えば1:1:1だったら、それが1:2:0.5とかになるともうバラバラになりますよね。

――そうなんや。その頃にカナダに?

羽生:世界選手権3位になったのをきっかけに、カナダに拠点を移しました。

――で、ブライアンに教えてもらったと

羽生:はい。

【フィギュアスケーターのオアシス♪KENJIの部屋】羽生結弦選手エピソード
◆エピソード1
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◆エピソード2
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◆エピソード3
»後編の記事はこちら

J SPORTS編集部

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