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ラグビー コラム 2022年6月27日

土田雅人氏が日本ラグビー協会の新会長に就任。故・平尾誠二さんへの想いとともに世界No.1の協会を目指す。

ラグビーレポート by 斉藤 健仁
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日本ラグビー協会の土田雅人新会長

6月26日、日本ラグビー協会は都内のホテルで評議員会および理事会を実施し、2022年度と23年度の理事を決定した。

2期3年で退任した森重隆会長(70歳)の後任に、同志社大学やサントリー、日本代表で活躍し、指導者としてもサントリーや日本代表で実績のあるサントリーホールディングス株式会社・常務執行役員の土田雅人氏(59歳)を新たな会長に選出、岩渕健輔専務理事(46歳)は再任となった。森前会長は名誉会長に就任した。

まず、岩渕専務理事は土田新会長が就任した経緯として「日本ラグビー協会は中期戦略計画を推進しており、それを実行するには2つの大きなポイントがあります」。

「(日本協会は)スポーツ競技団体であるが、高いビジネスに関する知見が必要。もう1つはラグビーに深い知見が、現時点ではかなり重要な要素。その2つの知見を兼ね備えている人間が、森会長体制を引き継ぎ、さらに進める重要なポイントだと理事の中で一致しております。新会長に土田を推す声があり、全会一致で選任されました」と説明した。

岩淵専務理事(左)と土田新会長

選手時代には新会長の指導も受けた岩淵専務理事は、さらに「土田会長が推薦されたのは経営的な視点以外では、ご自身が代表選手の経験があり、日本代表の指導に携わった。大学、社会人の選手としても、指導者でも国内で優勝している。国内で選手、指導者として成し遂げられることは、ほぼすべて達成してきており、適任者は他にいないだろう議論でした」と加えた。

土田新会長は選手時代はバックローとして活躍。秋田工業高校時代に高校日本代表に選出、大学時代は同志社大学で3連覇に貢献。サントリー入部後、1985年には日本代表キャップも得た。サントリーでは2度の監督を経験し、3度の日本選手権優勝やウェールズ代表撃破に貢献し、1997~1999年には平尾誠二監督の下、日本代表FW(フォワード)コーチとしてワールドカップも経験している。

ビジネス、そしてラグビーの実績で申し分のない土田雅人新会長は、こう挨拶した。

会見中の土田新会長

「2015年に亡くなった平尾(誠二)君とともに、日本のラグビーを変えていこう、2人で改革をやろうと、日本ラグビー協会の理事となりました。その年に、ラグビーワールドカップがあり、そこでエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)率いる日本代表が3勝し、ジャパンラグビーは大きく変わりました」。

「そして、みんなで盛り上げていこうということで、2019年ラグビーワールドカップでは選手たちの頑張り、国民の皆さまと感動し、見届けることができました。その後、リーグワンを作ろう、もっと協会を変えていこうという思いで、前・森会長、岩淵専務理事とともに頑張って参りました」。

「今回、そういう結果の中で会長に就任しました。仕事との両立の面で大変迷いましたが、高校時代からラグビーを始めて、本当にラグビー界にお世話になったことから、その恩返しをしたいという思いで引き受けました。

「大きな目標は3つあります。1番の目標は、もう一度、ラグビーワールドカップを日本へ、アジアに持ってくること。そのためには日本代表チームの強化はもちろんですが、日本ラグビー協会が世界ナンバーワンの協会になること、誇れる協会になること、世界と対等に仕事ができる協会になることを強く思っております。そのために、岩渕専務理事と一緒になってやっていきたい」。

「2つ目は、ラグビーワールドカップで男女ともに、ベスト4以上を狙えるチームを作っていきたい。(セブンズの)オリンピックではメダルを獲ることを目標に、チームを作っていきたい」。

「そのためには各ユニオンと連携、レフリーの育成もあります。男子はワールドカップで吹けるレフリーがいないことが問題だと思いますし、女子ラグビーの普及は、まだまだ道半ばであります。セブンズはまだまだであります。これらの課題に、協会をあげてしっかりと取り組んでいきたい」。

「3つ目には、ラグビー人口を増やしていきたい。小学生、中学生の選手は増えていますが、残念ながら高校生や社会人は減っています。女子は少し伸びていますが、それでも全体的な人数としては、まだまだ少ない現状です」。

「三支部協会、都道府県協会としっかり手を組んで、全国で1人でも多くの子どもたちがラグビーをできる環境を整備し、指導者、支えてくれるご家族を含めた、ラグビーファミリー全体でプレーヤーを支えていけるよう、少しでも協会が中心となってやっていきたい。みなさまとともにいい協会、世界に誇れるような協会、日本代表チームとなれるように一生懸命頑張ってまいります」。

土田新会長は、仕事は両立しながら続けていく方向で、東京サントリーサンゴリアスのシニアディレクターからは外れるという。

同志社大学の同級生で、ともに日本代表を指導した盟友の故・平尾誠二さんへの思いを聞かれると「2015年6月に理事になりましたが、実は平尾君に誘われました。当時、私は役員になって、サントリーフーズの社長をやっていました。両立できる環境ではなかったが、平尾君から『もっと世界に打って出る協会、チームを作ろう』という話があり引き受けました」。

「1997年、岩淵さんが選手の頃から、1999年まで平尾君と一緒にコーチとなりワールドカップに行って、世界に初めて行った。選手がプロ化していましたが、コーチ陣がプロ化していなかったが、どうしたら日本代表強くなれるか。お互いに考えながら、理事になって、彼と改革しようとスタートしました」。

「残念ながら、その年の9月に平尾君が吐血し、ガンが見つかった。悔しい思いで見ていました。彼の思い、今でも鮮明に焼き付いています。ワールドカップを病室で見ている、病室で神戸製鋼のビデオを見ている。その姿が未だに忘れられない。この7年、理事をやってきたのは平尾君とともに、やり遂げられなかったことが、まだまだあると思って続けてきたのかなと思います」と話した。

まず、新会長として何に取り組みたいかと聞かれて、土田会長は「自分の与えられた2年で、結果出していきたい、先頭に立って走りたい。昨日のウルグアイ代表戦を見ましたが、日本代表ががんばってくれています」。

世界一の協会を目指す土田新会長(右)と岩淵専務理事

「自分自身、1985年、日本代表でフランス、スコットランドを回ったときからすると、素晴らしい成長をしている。そういう意味では代表に遅れをとっているのは協会で、世界一と言える協会になっていないと思います。日本を代表する、世界を代表するラグビーユニオンにみんなと一緒にしていきたい。そこが一番大事なことだと思います」と語気を強めた。

日本代表には大きく15人制の男女、セブンズの男女と4つのカテゴリーあり、それぞれの強化については聞かれて、土田新会長は「2015年6月、私が理事になり、7月にエディー(・ジョーンズ日本代表HC)が辞めるという話になり、次の(日本代表監督の)候補は誰?ということになりましたが、次の監督を決めたら勝つではなく、代表チームたるもの『こういうチーム』というストーリーであるべきと思います」。

「(各カテゴリーで)そういうのが作られているかどうか、しっかりと見ていきたい。男女両方メダルが取れるようにセブンズもやっていきたい。一番は『こういうチームになりたい』と見せてあげて、そこに対してチームを作っていくことが大事」と意気込んだ。

副会長など、その他の役員は7月以降の理事会にて決定されるが、土田新会長は今後、今回決定した24名いる理事(退任3人、新任4人)に仕事を任せる方向だという。

「先ほど(会長に)なったばっかりで、まだまだ協会のこともリーグワンのことも、代表で起こっている事実も知るのはこれからです」と具体策の話は避けたが、これから2年間、ビジネスマン、そして指導者として培ってきた土田新会長の手腕に大きく期待したい。

文/写真:斉藤健仁

斉藤健仁

斉藤 健仁

スポーツライター。1975年生まれ、千葉県柏市育ち。ラグビーと欧州サッカーを中心に取材・執筆。エディー・ジャパン全試合を現地で取材!ラグビー専門WEBマガジン「Rugby Japan 365」「高校生スポーツ」の記者も務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。「エディー・ジョーンズ 4年間の軌跡」(ベースボール・マガジン社)、「ラグビー日本代表1301日間の回顧録」(カンゼン)など著書多数。≫Twitterアカウント

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