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ラグビー コラム 2020年2月20日

ラグビー新リーグ準備室長はどんな人? 谷口真由美室長の考えるラグビーの価値とは  覚悟の就任編

村上晃一ラグビーコラム by 村上 晃一
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2020年1月28日、日本ラグビーフットボール協会は、メディアブリーフィングでジャパンラグビートップリーグに代わる新リーグの骨子を発表した。新リーグの法人準備室長に就任した谷口真由美理事は「ラグビーがあって良かったという社会にしたい」と語った。谷口理事は、2019年6月に日本協会の理事に就任したばかり。法学者として大学で教鞭をとるかたわら、テレビやラジオのコメンテーター、パーソナリティーを務めるなど幅広く活躍している。特に関西では知らない人がいない有名人だ。ラグビーとの縁も深い。父・谷口龍平さんは近鉄ラグビー部の元選手で元コーチ、花園ラグビー場(東大阪市)のメインスタンド内にあったラグビー部寮の寮長も務めていた。谷口理事も6歳から16歳までという多感な年ごろ、花園ラグビー場で暮らした。ラグビーが生活の一部だった谷口理事は、どんな人なのか、そしてどんな改革を目指すのか。前編と後編に分けてご紹介したい。

──まずは、新リーグ準備室長になられた経緯について聞かせてください。

「1月のはじめに、岩渕健輔さん(日本ラグビーフットボール協会専務理事)、清宮克幸さん(同協会副会長)からお話をいただきました。新リーグを検討する小委員会に私も参加していて、皆さんの考え方の良い部分をうまく調整するというニュートラルな立場にいたので、そこが適任と思われたようです」

──花園ラグビー場に住んでいたという稀有な経歴がありながら、法学者としてラグビー外の世界で活躍されていた。それが良かったのでしょうね

「私の目標は国連職員になり、プログラムオフィサーになることでした。そのためには、ドクター(博士号)が必要です。それで大阪大学大学院に行きました。ところが、恩師が亡くなってしまい、亡くなる前に私の後を継いでくれと言われて大学教員になりました。29歳で大学院を卒業し、その年に結婚して翌年に子供も産まれました。そんなこともあって、ラグビーとは長らく離れていました」

──どんなきっかけで再びラグビーとの縁ができたのですか。

「友人のわかぎゑふさん(女優、劇作家、エッセイスト)が、ラグビーのトークイベントをするということで見に行ったことがあります。2015年のラグビーワールドカップ(RWC)の後でした。出演されていた元日本代表の冨岡耕児さんとお話したら、『えっ、ラグビー場に住んでいたんですか。それ、めちゃくちゃ面白いですやん』という反応で、そこから引きずり込まれました(笑)。冨岡さん世代の元日本代表選手たちとも仲良くなって、最初は、姉さんと言われ、次に兄貴と呼ばれ、最近では、おじきと呼ばれています(笑)」

──日本協会の清宮克幸副会長との出会いも大きかったようですね。

「RWC日本大会の一年前に北海道でRWCについて語るスポーツフォーラムがあり、清宮さん、元明治大学ラグビー部監督の丹羽政彦さんがパネリストで、村上さんがコーディネーターでしたよね。私も所属事務所から声がかかり、パネリストとして参加しました。それが清宮さんとの出会いです。私はラグビーから距離を置いていましたが、書物としては大西鐵之祐さんの【闘争の倫理】などを読んでいました。スポーツライターの藤島大さんの本も読み、大西先生の『ラグビーをするのは戦争をしないためだ』、『目の前に5億円積まれたら、本能的に拒否できるような人間であれ』というようなフレーズを目にしました。私は、法学者なので、『正義よりも公平、ジャスティスよりもフェアネス』といった言葉は、よく意味が分かるんです。ラグビーは、ルール(規則)ではなく、ロー(法)。私の専門分野とラグビーのことをもっと勉強したくなり、図書館で外国のも含め、ラグビーの論文を読み漁りました。基礎法学としてとても面白かったです」

──静岡で設立された女性と子供に特化したスポーツクラブ(アザレアスポーツクラブ)の理事も務めていますね。

「大西先生のことを話したことで清宮さんが興味を持ってくださって、手伝ってほしいと声をかけていただきました。ただし、日本協会の理事に推薦してくださったのは、関西ラグビーフットボール協会の坂田好弘会長、大阪国際大学副学園長の川村幸治さんです。私は関西枠なんですよね」

谷口真由美さんインタビュー

──室長としての責任を果たすため、学者としての仕事のほか、テレビのコメンテーターなど、すべて降板されると伺いました。

「一つ目の理由は物理的な時間がとれないことです。現在、週5本、テレビ、ラジオのレギュラーがあります。どれも拘束時間が長く、新リーグの準備との両立は無理です。何かを手放さないといけないと考えたとき、辞めるならすべて辞めないと仁義が通らないのです。もう一つは、ラグビー人ではない私がラグビー界に受け入れてもらうためには、腹をくくらないといけないと思いました。また、リーグを立ち上げて公益社団法人を作ることになったとき、そこにかかわる人間が個人的な見解をメディアで言っている時期ではない。私の意見に賛成の方も反対の方も含めて、関係者の皆さんやファンの皆さんとも一緒にやっていかないといけないわけですから。室長就任が決まったとき、所属事務所のマネージャーに3月末で全部のメディアを卒業させてほしいと連絡しました。3月に国連の会議に行く予定もありましたが、これも見送りました。4月から大阪芸術大学の客員准教授になること、そして継続して大阪大学の非常勤講師をすることが決まっていて、すでにコマ数なども決まっていて断ると迷惑をかけますから、これだけはやることにしています」

──谷口さんは理事に就任当初から、ラグビーの社会的意義についても強調されていますね。

「日本協会の理事として初めて挨拶したとき、子供たちが最初に始めるスポーツがラグビーであってほしい、ラグビーボールが街にあふれている、日常にある、そういう風景を見てみたいという話をしました。RWCをやっている最中の10月、イラクのクルド自治区に行く機会がありました。近鉄ライナーズからセカンドジャージ、新品ボールを10球、カンタベリーからも10球、トップリーグのボールも3球いただき、それを持ってクルドで唯一のラグビーチームを表敬訪問しました。次に難民キャンプの子供さん、小児がんの施設にも行って、いま日本でRWCが行われている話をしました。13歳の小児がんのお嬢さんに、ラグビーは国代表ではなく、ユニオン(協会)代表なんだよ、だから日本のマークは桜、アイルランド、スコットランドも国ではなく、協会代表として出ているんだよと話したら、『ラグビーなら、国を考えなくていい、戦争しなくていいんだね』と言われました。私は、大西鐵之祐先生の『ラグビーをするのは戦争をしないためだ』という言葉が好きです。ラグビーの持つ価値と哲学は、誰一人取り残さないSDGs【Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)】の考えとも親和性があります。そんな良さを知れば、ラグビーを見たいと思う人が多いでしょう。ラグビーの社会的意義とは、ラグビーが社会にあって良かったと思ってもらいたいということです」

──トップリーグの神戸製鋼コベルコスティーラーズとNTTドコモレッドハリケーンズの試合で、SDGsマッチと銘打ち、視覚障害者の方を招待し、ABC朝日放送の伊藤史隆アナウンサーと谷口さんで、分かりやすく実況・解説もされましたね。

「視覚障害者はそういうところに行くものではないと皆さんが思っているとしたら、発想の転換をすればいいと思います。一週間に2時間でも3時間でもいいから、優しい気持ちになり、良い人になると、人間は変わることができると思うんです。たとえば、神戸製鋼とNTTドコモのSDGsマッチは、盲導犬を両チームの選手が体験し、感想を言ってくれました。『思った以上に速くて怖い』と。それを感じることで、実際にそういう人に出会ったときにどうすればいいか考えるようになる。点字ブロックの上に自転車を置いていたら、どけようとする。それだけで社会が変わるかもしれません」

──現在のトップリーグの企業も何かできることがありそうです。

「トップリーグのSDGs推進会議でいろいろな話をしています。たとえば、キヤノンは3Dプリンターでスクラムを組んでいる模型を作ってくれました。

谷口真由美さんインタビュー

触ることで、スクラムを感じることができます。22mラインがどこにあるかなども分かる。すると、いまここです、と触って分かってもらえる。

谷口真由美さんインタビュー

そういうものを、ラグビー界としてパッケージにしておけば、どこの試合でも活用できます。それぞれの特性の部分で、社会の周縁化されてしまった人たちを、センターに持ってくるということが大事です。センターに持ってくるためには、チャリティを続けていてはいけない。それは、サステナブルではありません。いまはトライアルなので視覚に障害のある方はご招待ですが、将来的にはお金を払って見に来てもらう。お金を払って行くのが当たり前の場所にスタジアムをしなくてはいけないんです。そのために何をするかを考えているところです」

«後編(新リーグへの想い編)に続く»

文:村上 晃一

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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