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ラグビー コラム 2019年10月14日

トンガは花園で有終の美を飾る シアレ・ピウタウ主将、惜別のトライ ラグビーワールドカップ2019 アメリカ vs. トンガ

村上晃一ラグビーコラム by 村上 晃一
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「死のプール」と呼ばれたプールCは、イングランとフランスが決勝トーナメント進出を決めた。そして、プールC最後の戦いは、東大阪市花園ラグビー場で、10月13日、午後2時45分キックオフで行われた。対するのは、アメリカとトンガ。プール戦敗退が決まっている者同士の戦いだが、ラグビーワールドカップ(RWC)に意味のない試合など存在しない。自国のラグビーの将来のため、ひとつでも多くの勝利を目指すのだ。


キックオフ前の国歌斉唱では、トンガのキャプテンCTBシアレ・ピウタウの目から大粒の涙が流れ落ちた。この日が34歳の誕生日だったピウタウは、今大会で代表引退を決めている。トンガ代表として仲間と戦う最後の舞台に感極まった。筋肉の鎧をまとった屈強な選手が並ぶ両者の戦いは「フィジカル・バトル」とも言われた。しかし、トンガが中6日でこの試合を迎えたのに対し、アメリカは10月9日のアルゼンチン戦から中3日というハードなスケジュール。メンバーも3名を変更しただけ。アメリカの不利は否めなかった。

しかし、試合は拮抗する。立ち上がりはトンガが何度も攻め込み、トンガファンの多いスタンドを沸かせたが、反則やミスでチャンスを逸した。最初のトライは前半16分、トンガ陣からLOレヴァ・フィフィタがディフェンスを破ってアメリカ陣に入り、WTBヴィリアミ・ロロヘアにつなぐ。ロロヘアはハンドオフでタックルをかわして大幅ゲイン、ゴールラインに迫った。ここは止められたもののFWがしつこく密集サイドを突いて、最後はHOポーラ・ンガウアモがトライ。SHソネシ・タクルアのゴールも決まって、7-0とリードする。


アメリカも反撃。20分、WTBマルセル・ブラーシェの突進でトンガ陣に入ると、今大会初出場のFLマロン・アルジボーリがさらに前進。そこから連続攻撃を仕掛け、最後はNO8キャメロン・ドーランの片手でのパスが交代出場で入ったばかりのWTBマイク・テオに渡り、インゴール右中間に走り込む。SOのAJ・マギンティのゴールも決まり、7-7の同点。25分には、FBウィル・フーリーのロングパスを受けたテオが2つ目のトライをあげ、7-12と逆転。疲労困憊のアメリカの健闘でスタジアムは俄然盛り上がった。


後半もトンガはチャンスをミスで逃すことが多く、得点できない。ようやく追加点をあげたのは、後半11分のことだった。SHタクルアがPGを決めて、10-12。17分には、アメリカの攻撃中のミスを切り返し、CTBマリエトア・ヒンガノが瞬時の加速でタックラーを振り切ってトライ。17-12と逆転に成功した。続く21分、この日が代表最後の雄姿となるピウタウがトライし、24-12。アメリカもあきらめずに36分、FLトニー・ランボーンがトライを返したが、反撃はここまで。トンガが最後にトライを追加し、31-19で有終の美を飾った。ノーサイド後は、両チームともこれで大会が終了することもあり、笑顔で互いの健闘を称え合った。


「ここ2カ月、チームがやってきたことを誇りに思う。勝利でこの大会を終える価値のあるチームだ」とは、トンガのトウタイ・ケフヘッドコーチ。ピウタウキャプテンは、「いいプレーをして終わろうと、今週はずっと話し合ってきた。トンガの人たちが誇りに思えるパフォーマンスができたと願っている」と淡々と話した。


アメリカのギャリー・ゴールドヘッドコーチは、かつて神戸製鋼コベルコスティーラーズを率いたことがあり、日本のことはよく知っている。そして、将来、アメリカでのラグビーワールドカップ(RWC)開催について語った。「日本開催が決まった瞬間、この国(日本)のラグビーが変わった。素晴らしいサポーターがいて、街を歩く人たちを見れば(ラグビーへの熱が)分かる。米国も開催が決まれば、同じようにできると思う」。最終戦は負傷退場となった、ブレイン・スカリーキャプテンは、「RWCでは敵陣22mラインの内側まで行って(トライを)決められないと、押し返されて逆の立場に陥る。わずかな差だが、それがテストマッチであり、RWCだろう」と大会のレベルの高さを語り、最後に「素晴らしい経験、素晴らしいRWCだった」と締めくくった。


文:村上 晃一

【ハイライト】アメリカ vs. トンガ ラグビーワールドカップ2019 プールC

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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