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ラグビー コラム 2018年11月26日

ほろ苦い勝利を来年の歓喜につなげたい 日本 vs. ロシア レビュー

村上晃一ラグビーコラム by 村上 晃一
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日本vs.ロシア

日本代表はどんな相手にも周到な準備をして臨まなければ勝つことは難しい。過去のラグビーワールドカップ(RWC)で何度も思い知らされてきたはずなのに、またしても再確認させられる戦いだった。

過去8回のRWCで日本代表が大量リードを奪って勝ったのは、1991年のジンバブエ戦だけだ。それ以外、勝てると思われた相手に敗れ、あるいは引き分け、苦汁をなめてきた。緻密な準備で3勝をあげた2015年大会でも、サモア、アメリカに容易く勝てたわけではない。ヨーロッパの中堅チームであるロシアは、6月に快勝したジョージアよりは格下という意識があり、日本代表選手たちからも「次にやっても勝てないと思わせたい」など快勝しなくてはいけないという言葉が聞かれた。試合は、その言葉通りの戦いをして苦しむことになった。

11月24日、日本代表の欧州遠征最終戦はイングランドのグロスターで行われた。雨を含み、ぬかるむ芝はスピーディーなラグビーには不向きだったが、日本代表はロシアのキックをキャッチしては自陣からボールを動かして攻め、ミスや反則で自陣にくぎ付けになった。SHからのハイパントを多用し、ディフェンスで徹底してプレッシャーをかけるロシアのシンプルな術中にはまったのだ。

前半は、ロシアに3本のPGを連続で決められた後、自陣から切り返そうとしたパスをインターセプトされ、0-16とリードを奪われる。前半24分、SO松田力也のPGで3点を返し、30分、FLリーチ マイケルがロシアのゴールに迫ったところでのPKから突進して10-16とする。しかし、その後も日本はロシアのハイパント攻撃に苦しみ、2PGを追加され、10-22とリードを許したまま前半を終えた。

本来であれば、前半のうちにプランを切り替え、エリアを重視しながらロシアの屈強な選手たちを後ろに走らせ、その勢いをまともに受けない工夫が必要だった。ボールを展開するにしても、縦に強いプレーを織り交ぜなくてはいけなかったが、日本代表は早めにワイドに展開してはロシアのプレッシャーを受けた。何をやっても上手くいかず、パニックに陥っているようにも見えた。

「前半にターンオーバーを10回され、ペナルティを8回してしまった。ハーフタイムに話したことをリーダーたちが後半に実践してくれたことで挽回できた。特にリザーブのメンバーが入ってゲームの流れを変えてくれたことには満足している」(ジェイミー・ジョセフヘッドコーチ)。後半の日本代表は、ロシアのキック戦法に対応して蹴り返し、エリアを意識しながら試合を進めた。

後半4分、WTB福岡堅樹のトライは出色だった。福岡は自陣で相手のアタックに好タックルを見舞うと、すぐに立ち上がって押し込み、ターンオーバー。そこからの連続攻撃ではFBウィリアム・トゥポウらの好走で攻め込み、最後は、福岡が左タッチライン沿い瞬時の加速で駆け抜けてトライ。松田のゴールも決まって17-22とする。その後は、15分にツイ ヘンドリックが自陣10mライン付近のラックから抜け出し、「ロシア代表が高くタックルしてくるのがわかった」と、タックラーを次々と弾きながらトライ。24-22と逆転した。

しかし、ロシアは交代出場のSOラミル・ガイシンがハイパント、地域をとるロングキックを巧みに蹴り分け、日本代表のディフェンスを翻弄する。19分、HOスタニスラフ・セルスキーがキックパスをキャッチして右コーナーにトライ。再び24-27と逆転されてしまう。このまま流れを持って行かれるかに見えてが、20分にSO田村優が交代出場で入ると、冷静にゲームをコントロール。相手反則で得たPGを確実に決めて同点にすると、32分には、田村が防御背後のスペースにキックを転がし、走り込んだリーチがディフェンダーを弾き飛ばしながらトライ。32-27として勝利を呼び込んだ。

テストマッチの経験豊富な選手たちが流れを引き戻したこと、フラストレーションのたまる試合を勝利で終えることができたのは若い選手にとって何物にも代えがたい経験になっただろう。また、ロシアは来年のRWC開幕戦の相手であり、彼らのプレースタイル、個々の選手の能力を見ることができたのも収穫だった。ほろ苦い勝利を来年の歓喜につなげたい。

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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