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モーター スポーツ コラム 2024年11月16日

石浦宏明(No.38 KeePer CERUMO GR Supra)「予選では、水煙で前が見えなくても全力でずっとプッシュし続けた」 | SUPER GT 2024 第8戦 モビリティリゾートもてぎ【SUPER GTあの瞬間】

SUPER GT あの瞬間 by 島村 元子
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石浦宏明(No.38 KeePer CERUMO GR Supra)

石浦宏明(No.38 KeePer CERUMO GR Supra)

「あのとき、何があったの?」__ レースウィークの出来事、ドライバーに話してもらいたいと思いませんか? タフなレースを終えたドライバーに改めて話を聞く「SUPER GT あの瞬間」。2024年シーズンもレースの舞台裏に着目し、ドライバーの気持ちをコラムでお伝えします!

今シーズン、新たなコンビで戦いに挑んでいるNo.38 KeePer CERUMO GR Supra。開幕戦から上位入賞を果たし、以後確実に結果を残す戦いを続けてきた。もてぎでは、終始、前後車両とのタフな攻防戦を繰り広げ、シーズン3度目の表彰台を獲得。大いにスタンドを沸かせた1台でもある。残る最終戦では、表彰台の真ん中がターゲットとなる石浦宏明選手に、もてぎでの熱戦を振り返ってもらった。

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── ウエットコンディションの予選。公式練習は走らず、ぶっつけのQ2担当でした

石浦宏明(以下、石浦):土曜日に予選ができるのかできないのか、そういう天気になってしまいました。(金曜日夕方に行なわれた)ドライバーズミーティングでは、(土曜日に)もし予選ができなかったら、オートポリスと同じように日曜日の朝にやる可能性も検討しているというアナウンスがありました。天気予報見て、土曜日の夕方がかなりの雨量の予報だったので、予選はないんじゃないかと思っていたところもあって……。実は、フリー走行(公式練習)で大湯(都史樹)選手がクルマのセットアップなどの評価を先にやってたんですけど、そこでちょっと軽くコースアウトがあって。クルマに入った砂利の清掃などで、実のところ僕は走ってないんですよ(苦笑)。なので、(本降りの雨になった)土曜日は気を抜いてしまって、自分の出番はないかなと思っていました。メカさんたちからも『今日、石浦、まったく働いてないよね!?』みたいなふうに言われるぐらいで。そしたら突然、思いの外天気が良くなり、雨量が少なくなって予選ができることになってしまって。自分としては結構焦った予選だったんですけど、そこで開き直るしかなくて。みんなほかのドライバーもバックオフ(スロットルペダルを戻して)して視界がいいところを探そうと、一生懸命スペースを作ってたんです。でも、僕の場合はもうQ2自体が初コースインだったんで、そんなことしてる場合じゃなかったんで。とにかく見えてなくても、水煙で前が見えなくても全力でずっとプッシュし続けて、タイヤを温め続けたっていうのが意外とうまくいきました。予選4番というポジションを獲れたっていうところが、オーバーテイクが難しいもてぎのレースに対してはすごくいい流れになったのかなと思うので、何がいい流れに繋がるか、なかなかわからないもんだなっていう感じですね(苦笑)。

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石浦宏明「予選では、水煙で前が見えなくても全力でずっとプッシュし続けた」

── 公式練習では、走りたかったけれど走れない事情があったのですね。予選Q1、Q2の担当はどのように決まったのですか?

石浦:普段は、僕がQ1を担当して、大湯選手がQ2をやるんです。ですが、今回はもし雨量が途中から増えてきたらQ2ができない可能性もあるという想定でした。ほとんどのチームがQ1だけで終わった場合を想定してドライバーの布陣を組んでいたので、“元気いっぱい”の大湯選手にQ1を行っていただいて(笑)。もしQ2ができる状況なら僕が登場する、というような戦略でしたが、結果として、まさかQ2ができてしまうという状況になりました(苦笑)。

── その雨のなかで、いきなり仕事ができるのはやはりベテランならでは、だと思います。

石浦:正直、緊張はしていました。突然予選からコースインなんて、身体もまだ馴染んでないし、とか言い訳じゃないですけど、いろんな言葉が出てきてたんです。そしたら、立川(祐路)監督から『石浦、何十年レースやってんだよ』、『もうもてぎだって何十時間、何百時間どころじゃないぐらい走ってるんだから、目をつむったっていけるでしょう!?』みたいなことをぼそっと言われて(笑)。もてぎはいつもウエットテストもやるサーキットだし、僕もウエットコンディションで相当走り込んでるコースでもあるので、『そう言われたら確かに慣れてるな』と思い、開き直って予選に行きましたね。

── さすが立川監督! もともと選手として石浦選手とコンビを組んでいただけに、状況も踏まえた上での“ひと言”が、落ち着きを与えてくれたかもしれません。いいチームですね。

石浦:そうですね。立川さんはスーパーフォーミュラで監督とドライバー(の関係)だったときもそうでしたが、そうやって緊張をほぐしてくれるのが上手なんです。ドライバーコントロールをちゃんとやってくれる監督ですね。なので、笑いながら予選に行くとちゃんと自分のパフォーマンス出せるっていう(笑)。無駄に緊張しない、そういうところも今のチームの良さかなと思います。

── 翌日の決勝は好天という天気予報でした。決勝に向けて、立川監督や大湯選手、さらにエンジニアとはどういう話をしましたか?

石浦:サクセスウェイト考えると、(ウェイトの影響を受けにくい)ウエット(コンディションで)の予選だったことで我々は前に並ぶことができたと思っていました。そういう意味では予選まではいい流れでしたが、ドライで走る決勝に関しては、全車がしっかりしたデータがないなかでやらなければいけない。なので、予選が終わり、普段は決勝に向けてクルマをどうしようこうしようっていうミーティングをするんですが、なにせ僕らもドライで走ってないし、ミーティングのしようがないっていう状況になりまして(苦笑)。ただ、ミーティングはしました。ちゃんと大湯選手とエンジニアと監督と集まって話し合いをしたんですが、クルマのセットアップに関しては、『あとは岡島(慎太郎チーフ)エンジニア、いいようにやっといてね』っていうひと言で終わり(笑)。

僕らは(サーキットから)帰るしかないっていう状況でした。エンジニアにはすごくプレッシャーがかかって、眠れない夜を過ごしたんじゃないかなとは想像がつくんですけどね。でも、事前の準備段階からしっかりといろんなセットアップを検討して持ち込んでくれていたし、翌日は(決勝前の)ウォームアップで走って、こういう結果だったらこのようにしようみたいなところまで先読みして準備してくれました。ウォームアップでは僕が中心になって走ったんですけど、僕のコメントだけじゃなく、データから分かったことで、さらに決勝に向けてかなりアジャストもしてくれました。決勝に向けて、周りのチームに対しても短い時間でアジャストすることができていたんじゃないかと思います。

── 決勝はドライになるだろうと想定して準備をするなか、どういうことを気にかけて初のドライコンディションのウォームアップ走行に臨んだのですか?

石浦:選んでいるタイヤがどういうふうに振る舞う(パフォーマンスを見せる)のかとか、そういうことを限られた20分間のウォームアップで感じなきゃいけない。だから、なるべくドライバーとしてもたくさんエンジニアにインフォメーションを伝えたいなと思うんですが……。とはいえ、20分あると思いきや、タイヤの皮むきとかをやらないといけないし、さらに今回トヨタ勢のピット位置が一番うしろだったので、信号が青になってコースインする頃にはもう2分ぐらい経ってるわけですよ(苦笑)。で、さらに皮むきのために(ピット)アウト〜(ピット)インしてタイヤ交換して……を二回繰り返したので、実質ちゃんと走れたのが10分しかなかったんです。

No.38 KeePer CERUMO GR Supra

No.38 KeePer CERUMO GR Supra

なので、10分、しかもニュータイヤからのウォームアップになったので、本当だったらタイヤが垂れたところのクルマのバランスっていうのをしっかり見たいところなんですが、まったくそれは見れないまま決勝に臨まないといけない状況でした。まぁ、それは自分たちだけじゃなくて全員そうなので、“予想大会”みたいな状況なんですよ。実際に決勝の終盤がどういうふうになっていくかっていうのは、もうドライバーもエンジニアも誰もわからないなか、“想像の世界”にはなったんですが、やっぱりどうしても完璧ではないので(決勝では)最終スティントの大湯選手がうしろから追われたりとか、実際にARTAの2台(8号車、16号車)は決勝ペースが終盤すごく良かったように見えたんです。決してウチのペースが悪かったわけではなくて、それ以外のクルマは大体同じようなペースだったりもしたので、普段だったらウォームアップから得られたデータで、大体決勝ペースが読めるんですが、今回のもてぎに関しては、やってみないと本当にわからないっていうところでしたね。でも、そのなかで大湯選手が最後まで凌いでくれたのは、本当にいい仕事をしてくれたなという感じがします。

── レース序盤は、ライバルの手の内を探りながら……という展開でしたが、そのファーストスティントを石浦選手が担当することはいつ決まったのですか? またスタート自体はどんな感じでしたか?

石浦:今シーズン、チームメイトも、エンジニアも、そして監督も変わって……という環境のなか、シーズン前半は“セルモのスタイル”というものがまだ確立しておらず、いろいろ“お試し”を続けてきたんです。シーズン中盤から後半になって、だんだんスタイルが固まってきて、今回のレースでも土曜の夜のミーティングの時点で、エンジニアと監督から、『(ポールポジションからスタートを担当した第6戦)SUGOのときもいい感じだったし、“石浦スタートパターン”で行こうと思うからよろしく』と言われたんです。以前はあまりスタートを担当してなかったので、監督も若干大丈夫か? みたいな顔をしていたんですけど(笑)、信用してもらっていること自体うれしかったですし、しっかりとその仕事をうまくやらなければな、と。また、エンジニアは、僕に対して決勝当日に(担当を)伝えるのではなく、土曜日の段階で『スタート(担当)だよ』と伝えてくれることで、僕に準備をする時間をくれた感じもありました。夜、ホテルに戻ってからは、いろいろスタートドライバーの“イメトレ”ができる時間があったし、いろんなことを考えながらスタートを迎えてました。周りのクルマのタイヤの温まりの状況など、ある程度は想像がついてたのでイメージしながらスタートしました。とりあえずスタートは無難にいきましたけど、そのあとの1周目から2周目、3周目あたりのペースは結構いいなという感じで前4台が抜けて出して、うしろは離れていくという状況だったので、スタート直後としては、展開として作りやすかったという感じでした。

── 早速、序盤の16周、17周目と立て続けに90度コーナーで(ポジションアップを決める)“石浦ショー”を披露。狙いを定めての逆転だったのでしょうか?

石浦:レース序盤から64号車(Modulo CIVIC TYPE R-GT)と8号車、36号車(au TOM’S GR Supra)、そして自分(38号車)と、同じようなペースではあったものの、36号車と自分のほうが少し余力があるかも、となんとなく感じていました。スティント後半になるとそれぞれタイヤ(のパフォーマンス)も落ちてくるわけですが、ペースが落ちてきたときに、それぞれ(のクルマ)がどういうペースになるか次第で、そこから本当の“よーいドン”(競争)が始まるかという雰囲気でした。

そのなかでFCY(フルコースイエロー)明けでうまく(36号車の)坪井(翔)選手がシビック勢をパスしていったのを見て、『これは自分も続かないと』と。やっぱり36号車と勝負したいと思ってたので、ちょっとまずいぞと。逃げられちゃうかも、というのがあって、シビック勢をオーバーテイクしたいと思っていたところ、14周目あたりからシビック勢のペースがさらに落ちて、うしろから39号車(DENSO KOBELCO SARD GR Supra)はじめ、急激に集団でみんな迫ってきました。自分がこの集団の前にいるシビックを抜いていくのか、うしろの集団に飲まれてしまうかで、結果を大きく左右することもわかっていたし、レースでチャンスを作るのは今しかないと思い、そこで、自分がセクター3が速いことはなんとなくわかってたので、V字からヘアピンにかけて差を詰めて90度コーナーでオーバーテイクするというチャンスをうまく2周続けて作ることができました。

そこまでの流れはすごい良かったんですが、ただ、前に出たあとは思いの外、36号車がもう見えないぐらい離れてしまって……。これは必死で追いかけなきゃと思ったんですが、想像してたよりは自分のペースが上げられなかったというか。うしろとはペースが違ったんで離すことができたんですが、タイヤに少しピックアップもついたし、想像していたよりもちょっとスパートできないなっていう感覚もありましたね。ただその時点で、大湯選手が担当する後半、もしかしたら少しツラくなるのかなと想像できたので、チームと無線でやり取りして、予定通り早めのタイミングでピットに向かい、『あとは大湯、頼むぞ!』みたいな感じでした。

── 36号車と勝負がしたい……だからこそ、36号車よりも早いピットインという形だったのですね。

石浦:そうです。もてぎは本当にオーバーテイクが難しいですし、アンダーカットが結構有効なサーキットなので、毎年“(ピットに)早く入る合戦”になりやすいんです。とはいえ、自分たちの好きなタイミングで入れるかというとそういうわけでもない。前後のピット位置のクルマのタイミングと重なると入れなくなっちゃうので、例えば、隣にいるGT300クラスのクルマともやり取りしながら入れるタイミングを探さなきゃいけないんです。ミニマム(22周終わり)の周回で入ったんですけど、その途中、『やっぱりステイアウト!』と無線で叫ばれて……。『わかった、わかった。ステイアウトするね』って、ヘアピンを立ち上がったんです。おそらく隣のピットのクルマだと思うんですが、ちょうど僕が90度コーナー立ち上がるころにそのクルマがピットから出ていったみたいで、ピット前がクリアになったので、(無線で)『やっぱりBOX(ピットイン)!』と言われて(苦笑)。ギリギリのタイミングで間に合って、予定通りの周回で入れたっていう感じなんです。お客様から見ると、いろんなタイミングでクルマが(ピットに)入ってきているので、好きなタイミングで狙った通りに入ってきてると思われるかもしれないですけど、実は横のピットの人たちといろんな打ち合わせをしながら、誰かが急に『やっぱりピットに入れる』とか言うと、その隣のピットが影響を受けて、また隣のピットが影響を受けて……という感じになって。並んでピットに入ると、もう(クリアにピットを)出られなくなっちゃう。レース中にそういう“駆け引き”が結構行なわれてたりするので、ウチはなるべく早く入りたかったんです。なのでうまく調整がついて、狙っていた周で入れて良かったという感じです。

── てっきり、予定通り、戦略通りうまくやったと思っていました。もてぎならではの、“ピットインあるある”があったとは!

石浦:そうなんですよ。なので、例えば予定より自分たちが1周遅らせたりすると、その周に入ろうとしていたクルマも入ってきたりとか、1周遅らせるつもりが、結果的に4周も5周も遅らせなきゃいけなくなる可能性もあるので、かなりリスクがあるんですよね。

── 交代した大湯選手は、タイヤが厳しいなかで終盤は3番手走行中に16号車との攻防戦を展開。そのなかで見事に猛追をシャットアウトする走りでしたが、どうご覧になりましたか?

No.38 KeePer CERUMO GR Supra

No.38 KeePer CERUMO GR Supra

石浦:(8号車の)野尻(智紀)選手にかわされるまでは2位を走っていましたが、(8号車とは)だいぶペースが違いましたね。でもなんとか16号車は抑えてほしいなと願いを込めて応援をしていました。とはいえ、見るからにうしろのペースが速そうで、これは残り周回を考えるとちょっと3位も難しそうだなっていう感じで。裏事情になりますが、待ってる側のドライバーとしては僕も汗だくで(クルマを)降りてるので一旦着替え終わっているんですが、表彰台に上がるとなるとレーシングスーツを着なきゃいけなくて。だけど、3位と4位の境目だったので、これは着替えていいのかな、着替えちゃいけないのかなっていう感じで(苦笑)。一旦は残り10周ぐらいで(レーシングスーツに)着替えたんですけど、自分が着替えたあとに抜かれたらすごいなんか嫌だなと思いつつ、また私服に着替える覚悟を決めたりとか……。なので、普通だったらファイナルラップはピット側に行くんですが、どっちに着替えていいかわからなかったので、トランポの部屋のTVでチェッカーシーンを見ていました。こんなことって滅多にないですよね(笑)。

── タフな攻防戦をしのぎ切った大湯選手ですが、スティント中は無線を通してなにかやりとりはしていたのでしょうか?

石浦:我々は作戦的としてピット時間をなるべく短くしたかったので、給油量も決して余裕がある状況ではありませんでした。大湯選手とは、レース中も無線で燃費の話をずっとしていて。見るからにツラい状況でしたが、彼はうしろを防ぎながらさらに燃費も気にしながら走らなきゃいけなくて。ものすごくこう、同時にいろんなことを考えて、いろんな技を使いながらレースをしなきゃいけなかった。もう本当に頭をフル回転させながら仕事をしていたと思います。なので、レースのあとはあまり喋った記憶はないのですが、レース中は『もう燃料使っていいの?』とか『もう全開で走っちゃうよ」とか、『行けるようになったら教えて』みたいな、そういう燃費に関するやり取りとタイヤに関するやり取り…… もうとにかく必死でやれることをやってるからっていうのがずっとあったんですけどね。僕としては、3位を守ってくれてうれしかったんですが、戻ってきた大湯選手の表情は、もう相当悔しそうな感じで。やっぱりもともと2位を走っていたっていうのもありますし、36号車と戦いたかったっていう気持ちもあったので、かなり悔しそうな表情で帰ってきましたね。

── 悔しさを見せた大湯選手だったようですが、一方、今シーズンの38号車としては着実に仕事ができているという部分もあります。今回の結果を「嬉しい気持ち」と「安堵した気持ち」、「 ああ疲れた」というふうに分けるとしたら、石浦選手のなかではどのぐらいの割合になるんでしょうか?

石浦:やっぱりチャンピオンシップを戦ってるので、今回のレースに行く前は、 ここで大きなステップを踏んでチャンピオン争いのど真ん中で最終戦に行くのを想像して戦っていました。そういう意味では、ほぼほぼ(タイトル獲得の)可能性が低くなった、チャンスはなくなった、というショックは結構大きかったですね。大きかったんですけど、でも、それぞれがいい仕事をしたという感覚もあって。なので、結構複雑な心境です。

── とはいえ、レースは"水物"。終わってみるまでわからないなかで、最終戦の鈴鹿を迎えます。展望をお聞かせください。

石浦:数字上は(チャンピオンの)権利があるんですが、実質ポール・トゥ・ウィンでライバルが“0点”みたいなものすごく限られた状況なので、ここは自分たちにどうこうできるようなポイント差ではないかなと正直思っています。なので、自分たちはポール・トゥ・ウィンを目指すということで。ま、それはいつも目指していることなので、今回特別に、というようなことはないんです。ただやっぱりチャンピオンシップがかかる最後の戦いで、権利を残した状態で迎えられるという数少ないクルマの一台なので、そのなかできっちりポール・トゥ・ウィンを決められたら一番いいなと思っています。シリーズチャンピオン争いとは関係なくまだ勝っていないし、しっかり勝ち切って最終戦を終われたら一番いいのかなと思います。

── では、最後に。今一番興味・関心のあることは何か、教えてください。

石浦:最近ちょっと新しい趣味を始めまして。ちょっとSNSには載せたんですけど、周りの影響もあって、ドリフト用のクルマを買いまして。先日、日光サーキットで行われた走行会にクルマを持ち込んで、大嶋(和也)とか佐々木さん(雅弘)、平良(響)や小高(一斗)、あと松井(孝允)と一緒に、“普通に”申し込み書を書いて、みんなで一般のドリフト走行会に参加しました。そこでドリフトの練習をしてきたんですが、初めてだったのですごく楽しかったですね。なかでも大嶋は今、競技に出てますが、競技に出るとたぶんすごく緊張もするだろうし、プレッシャーもあると思うので、楽しむこととはまた違うと思うんですよね。ドリフト用に改造されたクレスタっていう昔のクルマを買ったんですけど、そういう“おもちゃ”を手に入れて、みんなでうまくなるために練習をするという感覚が新鮮で。元からクルマは好きだし、ドリフトも見るのは好きだったんですが、まさかその練習できるなんてうれしいですし、できなかったことを練習するとうまくなっていくみたいな感覚がすごい楽しくて(笑)。まだ一回しか行ってないんですけど、次また行く計画を立てています。今年から始めた習い事みたいな感じですかね。

文:島村元子

島村元子

島村 元子

日本モータースポーツ記者会所属、大阪府出身。モータースポーツとの出会いはオートバイレース。大学在籍中に自動車関係の広告代理店でアルバイトを始め、サンデーレースを取材したのが原点となり次第に活動の場を広げる。現在はSUPER GT、スーパーフォーミュラを中心に、ル・マン24時間レースでも現地取材を行う。

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