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モーター スポーツ コラム 2024年9月5日

リザルトとは、時に“残酷な現実”を突きつけるもの~スーパーフォーミュラ第5戦~

モータースポーツコラム by 吉田 知弘
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今シーズン2勝目を挙げた牧野任祐

「ごめんなさい。今日は格之進のレースだったけど……アイツには申し訳ない」
「アイツには本当に申し訳ない。今日はアイツが勝っていた。俺はあの1周で捉えられなかった時点で終わっていた」

2024年のスーパーフォーミュラ第5戦もてぎ。このレースで優勝を飾った牧野任祐(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)は、トップチェッカー後にチームラジオでそう語った。

自身にとっては今季2勝目、そしてランキング首位の野尻智紀(TEAM MUGEN)に対して5ポイント差に迫った1戦だったにも関わらず、レース後に彼から聞こえてきたのは「今日は負け」という言葉だった。

ポールポジションから好スタートを決めた山下健太(KONDO RACING)がリードしていくなか、それを追いかけていったのはDOCOMO TEAM DNDELION RACINGの2台だった。このうち太田はタイヤ交換義務が有効となる10周目にピットイン。相手がピットに入るまでの間にタイムを稼いでいき最終的に逆転を狙う“アンダーカット”の作戦を採る。

太田格之進(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)

これに対して牧野は、逆に後半まで引っ張る作戦を進めていく。22周目にピットストップを済ませ、翌周にタイヤ交換した山下を逆転。さらに新しいタイヤの利点を活かして追い上げていき、25周目には大湯都史樹(VERTEX PARTNERS CERUMO・INGING)をオーバーテイク。残る目標は10秒先を走る太田だった。

牧野は「やることは分かっているから大丈夫!」とチームに無線し、1周あたり1秒前後のペースで太田との差を詰めていく。両者の距離が縮まるとチームから太田・牧野に対して「クリーンファイトでお願いします!」と指示が飛ぶ。

チェッカーまで残り3周、いよいよチームメイトバトルが始まる。先に仕掛けたのは牧野で、96秒残っていたオーバーテイクシステム(OTS)を作動させて太田に近づいていく。これに対して太田も2コーナーを立ち上がったところでOTSのスイッチをオン。後半にタイヤ交換した牧野に分があり、コース後半になるにつれて距離を縮めていく。

そして、並びかけるには少し遠そうな距離ではあったが“ここがチャンス”と捉えた牧野は思い切ってイン側に飛び込んだ。ただ、少し強引だったこともあって止まりきれず、イン側にできたスペースを見逃さなかった太田が逆転。その後の90度コーナーでもサイドバイサイドのバトルを展開したが、今季初勝利が何としてもほしい太田がポジションを守った。

同チームによるクリーンファイトはスタンドを沸かせた

これにはもてぎに駆けつけたファンも大歓声で熱狂。2人のバトルに釘付けになった、が…。そこから約1分40秒後、スタンドの歓声は悲鳴に変わった。

残り2周、90度コーナーまでトップを守っていた太田のマシンにスロットルペダルのトラブルが発生。それが原因でスピンを喫してしまった。

「あーー壊れた!スロットル!」

公式映像でも、無線で発せられた太田の叫び声が流れた。

チェッカーまで、およそ6km弱というところまでトップを走っていた太田は、やり場のない悔しさを押し殺すかのように顔をうつ伏せていた。そのまま車両回収用のトラックに乗ってピットに戻ってくると、HRCの佐藤琢磨エグゼクティブアドバイザーが出迎えると、それまで強引に仕舞い込んでいた想いが爆発したのか…しばらくの間チームのプラットホーム前に座り込んで号泣した。

その頃、オーバルコース上に設けられたポディウムでは暫定表彰式が始まっていた。その中央には今季2勝目となる牧野が立っていた。この1勝を手にしたことでランキング2番手に浮上し、首位の野尻との差は5ポイントに縮まった。シーズン後半のチャンピオン争いを考えるとこれ以上ない結果と言える。

しかし、彼の表情に笑顔はなかった。

チェッカー後、勝者の牧野任祐に笑顔はなかった

「えーっと…。今日はアイツ(太田)のレースだった思うし、1回仕掛けて、1周バトルをして、OT(オーバーテイクシステム)もほぼほぼ使い切って、そこでもう抜けなかったので…今日は俺の負けだと思います」

レース直後の優勝インタビューでそう切り出した牧野。

「まぁ、レースなので色んなことがあるのは承知の上ですけど…。ここで僕がアイツのために何かを言っても、アイツが何か報われることもないしアレだけど、ただ僕たちダンディアイアンは一見ふざけているように見えるかもしれないけど、めちゃくちゃ真剣にレースをやっているので、それが今日のバトルだと思います。次戦の富士も、アイツとまた良いバトルができるように、しっかりと準備して次に臨みたいと思います」

本来は優勝したドライバーの喜びの声が届けられる瞬間だったにも関わらず、牧野から返ってきたコメントは以上の通り。その後の記者会見でも「今日は勝負に負けた」と一切と言っても良いほど笑顔をみせない。

一方の太田は、決勝後のメディアミックスゾーンに真っ先に登場。レースでの出来事やトラブル時の状況、早めに動いた戦略などを淡々と話してくれたが、どこか精魂尽き果てた様子だった。

太田格之進(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)

メディアミックスゾーンや記者会見が終わり、撤収作業が進むパドックに行って関係者らの取材をしていた時、偶然にも太田とバッタリ出会した。

普通なら、こういう結末で終わった時はいち早くサーキットを離れたいところだろうが、どうやら今回は牧野の車で2人一緒に移動していた模様。つまり記者会見が終わって、帰りの身支度が整うチームメイトを待っているという状態だった。

それでも、トランスポーターの中に閉じこもって外部との関わりを遮断することが多いが、太田は外に出てチームやHRC関係者らと話していた。

すでに彼の取材はメディアミックスゾーンで終えていたため、特に追加取材をする予定はなかったのだが「いやぁ、あそこ(スピンを喫した90度コーナー)を抑えられれば、勝ったなと思いました」と話し始めた太田。追加で色々と話を聞いているうちに、彼は言葉を詰まらせて涙を流し始め「一番悪いのは、運を持っていなかった自分」と自らを責め出した。

思い返せば、彼が初めてスーパーフォーミュラで優勝したのは2023年の最終戦。ルーキーイヤーのラストに掴み取れた勝利というところもあってか、今季序盤は少し肩の荷が下りて昨年以上に落ち着いた印象があった。

第2戦オートポリスで牧野が初優勝を飾った時も、自ら彼に対して祝福のコメントをしていた太田。おそらく、この時は「次は自分の番」と心の中で誓っていたと思うが、そこから歯車がズレ始めていく。

第3戦SUGOでは土曜日のフリープラクティス中にスロットルトラブルでクラッシュ。マシンの修復が間に合い予選に出走できたものの7番手に終わり、雨模様の決勝レースではコースオフを喫して順位を落とし、ノーポイントに終わった。

第4戦富士では日曜日のフリープラクティスでペース良く走行し、決勝に向けて密かに手応えを感じていたのだが、決勝前のグリッドウォーク中にオルタネーターのトラブルが判明し、フォーメーションラップ直前になってマシンがピットへ戻された。レース後「今回は自信があったのになぁ……」と久しぶりに悔しい表情をみせていたのが印象的だった。

本人の「結果を出したい」「勝ちたい」という気持ちとは裏腹に、それが叶わない日々が続く。それだけに今回のもてぎラウンドにかける想いは、おそらく人一倍強かったことだろう。予選・決勝ともに太田の走りはいつも以上に鬼気迫るものがあり、チームラジオのやり取りを聞いても、何がなんでも勝利を掴み取りにいくという気迫が感じられた。

だからこそ、掴みかけていた“優勝”の2文字を失ったというのは、本人にとって大きすぎる出来事だった。メディアミックスゾーンでは、どこか平静さを保とうとしているように感じられたが、やはり本人の中では抑えきれない悔しさがあったのは想像に難くない。

「(今回は)ラスト1周で止まるって…ある意味で情けないなと。やっぱり『運も実力』と言うじゃないですか。運を味方につけられなかったことが悔しいし、情けないんです」と、どこか自暴自棄になっているようにも感じられた。

前述でも触れたが、今年の第3戦SUGOでも6号車に同じようなスロットルトラブルが発生し、チームは再発防止のために試行錯誤を重ねてきた。その頑張りを間近で見てきたからこそ、太田はチームスタッフを責めることは一切しなかった。

「チーフメカが目に涙を浮かべながら謝ってきてくれて…僕も『もっと頑張ろう』という気持ちになりました。今回はチームメイトが勝って、チームとしては良かったかもしれません。だけど6号車メンバーも『6号車で勝ちたいという想いがあります。SUGOでトラブルが出た後も、チームはすごく対策をしてくれていました。誰が悪いというのは全くない。一番悪いのは、運を持っていなかった自分なのかなと思います」

結果こそ残らなかったが、太田が魅せた熱い走りが、多くの人々の心に届いていたことは間違いない。牧野もコメントしていた通り、今回の彼は優勝に値する走りをみせていた。レース後もSNS上には太田の健闘を讃える声が多く投稿されていたように感じる。

プラットホーム前で泣き崩れる太田のもとには、真っ先に迎えに行った佐藤エグゼクティブアドバイザーのほかに、加藤寛規SFドライビングアドバイザー、PONOS NAKAJIMA RACINGの伊沢拓也監督が声をかけにきた。

「レース後いろんな人が僕のところに励ましにきてくれて……チェッカーは受けられなかったけど、ラスト1周まで全力で走ったことは意味があったことだなと思えました」と太田。そこでかけられた言葉については詳しく話してくれなかったものの、多少なりとも報われた時間になったことは間違いない。

レース後、太田格之進(左)と牧野任祐(右)

しかし、現実とは残酷なもので、今回の正式結果(リザルト)では優勝したのは牧野。太田はトップから2周遅れの19位となっている。

今はレース内容を覚えている人が圧倒的に多いため、太田への賞賛の声が大きい印象だが…これが5年、10年と時間が経過すると、結果という記録が先行されることになり『このレースの勝者は牧野だった』として語られることになる。

リザルトとは、時に“残酷な現実”を突きつけるもの。こういうレースに触れるたび、つくづくそう思う。

だからこそ、優勝をかけてチームメイトの猛追を振り切り続けた太田の戦いぶりが、今回のレースを観戦した方々の記憶に残り続けてくれれば幸いだ。

いずれにしても、思わぬ結末に「このレースで勝ったのは誰なのか?」と一瞬感じてしまうくらい、レース直後のサーキットは独特な雰囲気だった。その“モヤモヤした気持ち”は、当事者2人の心にも残っていることだろう。

その一部は、時間が経って自然に消えるものもあるかもしれないが…結局はコース上で白黒ハッキリさせないと、2人の心が晴れることはないはず。

次回のスーパーフォーミュラは、10月12・13日の富士スピードウェイ2連戦。この物語の続きと結末がどうなるのか…ぜひ、その目に焼き付けてほしい。

文:吉田 知弘

吉田 知弘

吉田 知弘

幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ

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