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モーター スポーツ コラム 2024年8月1日

“互いに頂点を目指したからこそ、当人たちにしか分からない悔しさがある” 夏の富士で坪井夫妻がみせた涙の理由

モータースポーツコラム by 吉田 知弘
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日本のモータースポーツ史に残る夫婦優勝を果たした坪井翔選手と斎藤愛未選手。

2024年の全日本スーパーフォーミュラ選手権第4戦。今回は初めて女性ドライバーだけのシリーズである『KYOJO CUP』と併催されるということで大きな注目を集めたが、そこで日本のモータースポーツ史に残る快挙が生まれた。

今回、KYOJO CUPは土曜日と日曜日にそれぞれ決勝が行われたが、いずれも斎藤愛未(Team M岡部自動車 D.D.R VITA)が優勝。そして日曜日のスーパーフォーミュラ決勝では、斎藤と2022年末に結婚を発表した坪井翔(VANTELIN TEAM TOM’S)が、4番手スタートから力強い走りで逆転し、自身4年ぶりとなる国内トップフォーミュラ優勝を飾った。

パルクフェルメでは、坪井のもとに妻の斎藤が駆け寄り、喜びを分かち合った。その感動シーンに、グランドスタンドで観戦していた観客からはあたたかい拍手が贈られた。

その週末に同じサーキットで開催されたレースに、夫婦が別々のカテゴリーで参戦して同時優勝を飾る。モータースポーツ界の歴史に刻まれる快挙となったことは間違いないだろう。

各メディアでも“夫婦で優勝”と取り上げられ、モータースポーツ界のみならず、多くの人がそのニュースに触れた1週間だったように感じる。

ただ、筆者個人の感想としては…、ここに至るまでの間、それぞれがレースで悔しい思いをし、その度にお互い支え合って頂点を目指す姿を見てき。だからこそ、2人が喜ぶ姿を見て、過去取材してきた様々なシーンが思い出された。

【妻の初優勝に夫が涙。その裏にあった“悔しい2位”】

斎藤愛未(Team M岡部自動車 D.D.R VITA)

これまでインタープロトシリーズに夫、KYOJO CUPに妻がエントリーするという例は何度もあった。しかし、今回は国内最高峰と言われているスーパーフォーミュラのレースウィークということで、金曜日から各メディアが2人のもとへ取材に訪れ、その注目度の高さがうかがえた。

まず見せ場を作ったのが妻の斎藤だ。

7月20日に行われたKYOJO CUP第2戦の決勝で、3番手スタートからトップ争いを展開。12周で争われる決勝レースのうち、後半に入ってからの追い上げが素晴らしった斎藤は、しっかりとチャンスを見極めて8周目に入ったところで先頭に躍り出た。そこからファステストラップを連発して、2番手を走る下野璃央(Dr.DRY VITA)に対して1.2秒差をつけた。

スプリントレースであるKYOJO CUPにおいて、1秒以上の差は大きいなものであるのだが、斎藤にとっては“ここからが勝負”だった。

2020年からKYOJO CUP参戦をはじめ、早い段階から上位争いを繰り広げていた斎藤。そんな彼女に初優勝のチャンスが舞い込んだのは2022年の最終戦だった。

後半にトップを奪ってリードを広げたが、ファイナルラップに入る手前の最終コーナーで、近づいてきた後方車両に気を取られてハーフスピンを喫した。これで4番手に下がるものの、最後の1周で猛追して2位を獲得。自己最高位ではあったが、レース後の表彰式では悔し涙が止まらなかった。

翌2023年も表彰台争いには絡むが、優勝には手が届かず。そして“集大成の1年”と決めて臨んだ今季は、前年チャンピオンに輝いたTeam Mへ移籍し、三浦愛監督のもとでさらなるレベルアップを目指した。

そんな中で挑んだ5月の開幕戦では、予選で自身初のポールポジションを獲得。決勝では翁長実希(Car Beauty Pro RSS VITA)との一騎打ちとなるなかでリードを奪い、トップでファイナルラップに突入した。

今度こそ初優勝かと思われたが、翁長も意地のオーバーテイクを見せ、斎藤はまたしてもトップ陥落。レース後、意気消沈した様子で「またダメでした…」と話していた表情が印象的だった。

彼女にとって“鬼門のファイナルラップ”をトップのままクリアすることが、今回達成したい一番の目標。それを達成するために、第2戦までのインターバル期間で特訓を積んできた。

早速、第2戦で克服チャンスが巡ってきたのだが、10周目にコースオフ車両が発生してセーフティカー導入。レースが再開されないまま、12周を完了してチェッカーフラッグが出された。

「初優勝はとても嬉しいですが…悔しい気持ちもありました。セーフティカー先導のままで終わると、第1戦での課題をクリアできないままだったので、正直チェッカーフラッグが見えた瞬間は『このまま終わるんだ。悔しいな』という気持ちでいっぱいで、ガッツポーズもできませんでした」(斎藤)

待望の初優勝であるものの、パルクフェルメに戻ってきた斎藤は、どこか喜び切れていない様子だった。そこに駆け寄ってきたのが、夫の坪井。その目には涙が溢れていた。

「トップを走っていたけど最後にスピンして逃した2年前のレースがフラッシュバックしてきました。あとは今年も開幕戦で悔しい思いをしているのを横で見てきたので…本人はどうか分からないですけど、どれだけ悔しかったかは同じドライバーだから分かるところでもあります」

「おそらく最後にセーフティカーが入らなくても、あのままトップで逃げ切っていたと思う。しっかりと自分の手で初優勝をとったというところで、いろいろと思い出して、向こうが泣く前にこっちが泣いてしまいました」(坪井)

優勝した自分よりも先に涙を流して喜んでくれる坪井の姿に「『自分、優勝したんだ…喜んでいいんだ』と思えるようになりました」と斎藤。不完全燃焼の形で初優勝となり、どこかモヤモヤした妻の気持ちを、夫が助けた瞬間だった。

【今度は妻から夫へ、KYOJO CUP 2レース目の力強い走りに「気合いが入った」】

坪井翔(VANTELIN TEAM TOM’S)

日曜日のKYOJO CUP第3戦。前日の初優勝を経て、斎藤はさらに進化した走りを見せる。このレースも翁長、下野とともに1周目から激しいポジション争いを展開した。

「第2戦と違ってメインストレートが向かい風だったので、絶対に混戦模様になるだろうと三浦監督からも言われていました。自分としては『いかに落ち着いてレースをするか』がカギでした。そこは第2戦の時と変わらず、落ち着いてレースができたと思います」(斎藤)

さらに今回は金曜日の予選から1セットのタイヤで走り切らなければならず、タイヤマネジメントも大きな要素だった。それでも斎藤は「12周のレースでいかにタイヤを痛めずに最後まで走り切るかというところに焦点を当てて走り続けていたので、後半になってもタイヤが苦しくなるということはなかったです」と、今までの彼女にはなかった冷静さが垣間見えた。

そして、これまでは“鬼門だった”ファイナルラップで、斎藤は下野をオーバーテイク。狙っていたかとばかりにラストスパートをかけ、見事2連勝を飾ったのだ。

今回は直後にスーパーフォーミュラの決勝スタート進行が始まる関係上、パルクフェルメに坪井の姿はなかったが、自身の課題をクリアできたと、斎藤は満面の笑みで写真撮影やインタビューに応じていた。

「第2戦では『最終ラップのバトルでトップを守り切る』という課題が、SC先導状態でレースが終わったことでクリアできませんでした。多分、いつもKYOJO CUPを見ている方は『たまたま勝てたのではないか?』『まだ課題が残っているのではないか?』と思われたかもしれません。今日はしっかり戦って勝つことができたので、速さも強さも証明できたので、非常に嬉しい優勝です」(斎藤)

この斎藤の頑張りが、直後に控えていた夫の決勝レースを間接的に助けることになる。

「あのレースを見せられたら『自分もやらなきゃな』と思いました。プレッシャーよりもスイッチが入ったという感じでした」(坪井)

前日の予選では0.030秒差で4番手に終わり、悔しさを見せていた坪井。スタート時の混乱で順位を落としてしまうが、そこから前のマシンを次々とオーバーテイク。ライバルが早めのピットストップを選択する中、全体の3分の2にあたる28周目までコース上に留まってピットイン。後半に追い上げてトップに躍り出るという作戦だ。

前半から好ペースで周回を重ねていた坪井ではあったものの、計算上では4~5番手付近で復帰することになる。つまり、残り少ない周回のなかで彼自身が自力でオーバーテイクをしないと優勝に届かないという状況だった。

それでも、この日の坪井はライバルを凌駕するスピードを披露。30周目の13コーナーで牧野任祐(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)を追い抜くと、そのままメインストレートで野尻智紀(TEAM MUGEN)の前に出た。この時点で実質トップの大湯都史樹(VERTEX PARTNERS CERUMO・INGING)は3.8秒の差があったが、すぐに追いついて34周目のコカ・コーラコーナーで逆転。その後は一気に後続を引き離し、まさに“誰にも手がつけられない速さ”を披露。2020年の最終戦以来、4年ぶりのトップチェッカーを受けた。

4年ぶりにトップチェッカーを受けた坪井翔。

それを、自身のピットガレージで見守っていた斎藤は、自然の涙が溢れていたという。

「やっぱり4年ぶりの優勝だったので、嬉しかったです。本当に自然と感動して涙が出てきました。今こうして振り返ると長かった気がしますけど、いざ4年ぶりと言われると『そんなに経っていたっけ?』という感じがしました」(斎藤)

坪井が勝利から遠ざかっていた4年間について、あまり多くは語ってくれなかったが、あと一歩で2位に終わり、悔しい思いをしている夫の姿を誰よりも近くで見てきたのが、彼女自身だった。

2020年の第2戦岡山で初優勝を飾り、その年の最終戦でも激戦を制して2勝目を飾った坪井。当時は“期待の若手”と大きな注目を集めたが、翌年は7戦中5戦でノーポイントという苦い経験をする。2022年の第6戦富士で実質トップを守り切ってピットアウトするも、セーフティカーのタイミングで1台に逆転され、悔しい2位フィニッシュ。昨シーズンも“このままいけば勝てる”という流れの中、セーフティカー導入で風向きが変わり、悔しいレースを経験してきた。もちろん、それらのことは坪井本人の記憶にも深く刻まれていた。

「残り5周くらいから、今までのことが全部フラッシュバックしてきて、チェッカーを受けた時は泣いていました。4年ぶりということもありますし、そろそろ勝たないと自分の立場がヤバいなと思っていました。TOM’Sのみんなも良いクルマを作ってくれて、最高の戦略も立ててくれて、これ以上言うことのないレースでした」(坪井)

結果的に“夫婦同日優勝”という快挙になったが、そこに至るまでにコース上で悔しい経験をたくさんしてきた2人でもある。だからこそ、2人にとっては特別な週末になったことは間違いないだろう。

そして、レースウィークを通して感じたことは、お互いがそれぞれのレースでベストを尽くして刺激し合ったことが、結果的に勝利を掴むための“精神的な助け”になっていたということ。

月並みな言い方をすれば“夫婦の絆”という表現になるかもしれないが……この2人が乗り越えてきた数々の苦労があったからこそ、感動的な結末になったような気がする。

文:吉田 知弘

吉田 知弘

吉田 知弘

幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ

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