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モーター スポーツ コラム 2024年3月19日

「僕にはこれしかない」山本尚貴、175日ぶりの“フッカツ”

モータースポーツコラム by 吉田 知弘
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山本尚貴(PONOS NAKAJIMA RACING)

今年は鈴鹿サーキットで開幕を迎えた2024年の全日本スーパーフォーミュラ選手権。例年より1ヶ月早い開幕で、予選日は気温が10℃を下回る極寒のコンディションとなったが、昨年から注目度が上がりはじめているスーパーフォーミュラを見ようと、昨年4月の鈴鹿2&4レースを上回る来場者数を記録した。

そんな中で始まった国内トップフォーミュラの今季初戦。朝のフリー走行で、いきなり気迫ある走りをみせたのが、山本尚貴(PONOS NAKAJIMA RACING)だ。

これまでスーパーフォーミュラで3度のシリーズチャンピオンに輝いている山本だが、ここ最近は苦戦するレースが続いている。そんな中、昨年9月にスポーツランドSUGOで行われたSUPER GT第6戦でGT300車両と絡んで大クラッシュを喫した。その後の精密検査の結果『外傷性環軸椎亜脱臼』および『中心性脊髄損傷』であることが判明。2023シーズン終盤戦は治療に専念するために、戦線離脱を余儀なくされた。

選手生命に関わるほど大きな怪我だったが、山本は諦めることなく復活への道を模索。そこで出た結論が手術をするということだった。

「治療方針を話しているなかで『レースを続けるのであれば手術をした方が良い』、『手術をやらないのであればレースを諦めてください』と言われました。自分の中の選択肢としては『レースを続けたい』だったので、そこ(手術)は避けて通れなかった。手術をしないで何とかレースに出たいと言うよりは、手術をしてしっかりと治して、また100%の体に戻してレースに出たいという決断をしました」と山本。

とはいえ、アスリートが自身の体にメスを入れるというのは、覚悟がいることだ。「実際に自分の体にメスを入れてどうなるのかというのは分からなかったので、不安もありましたが……すごく優秀な先生でしたし、病院の体制も整っているところだったので、僕はもう身を預けるしかないないなと思いました。しっかりと前を見てやっていけば大丈夫かなと思いました」と、山本は復活に向けた一歩目を歩み出した。

無事に手術は成功し、事故から約2ヶ月後に退院しリハビリとトレーニングに励むものの、怪我をした首の様子をみながらのトレーニングということもあり、スーパーフォーミュラのシーズン開幕時点で以前のような100%の状態に戻っているわけではなかったが、山本の闘争心は誰よりも熱いものがあった。

セッションが始まってコースインした山本は、いきなり全開で鈴鹿サーキットを攻め始め、1分36秒778のトップタイムを記録。フリー走行の後半まで、このタイムを上回る者は現れなかった。

山本尚貴(PONOS NAKAJIMA RACING)

「この週末に入るところから『絶対に一番を取ってやる』と思って……気合いというか覚悟と言った方がいいかもしれないですね。ドライバー人生が1回終わったと思っているので、逆に気が楽になったというか『失うものは何もない』と思って、もう土曜日の一発目から絶対に一番を取ってやろうと思って、(アクセルを)踏み倒していきました」

「正直『今年チャンスはないだろうな』と思っていたので、こうしてまたチャンスをもらえたことに逆に少しビックリしているくらいです。ここまでチャンスをもらったら……もうやり切るしかない。怪我のこともありますけど、とにかく(ナカジマレーシングで)4年目のチャンスをもらえたので、何とか(チーム総監督の)中嶋悟さんのためにも、良いレースをしたいなという気持ちになりました」

その覚悟が、結果としてひとつ表れた瞬間だった。

フリー走行を3番手で終えた山本は、午後の公式予選で5番グリッドを獲得。昨年は予選で苦しむことが多かっただけに、セッション後のメディアミックスゾーンでは久しぶりに笑顔が見られた。

日曜日の決勝レース。スタート前のグリッドインタビューで山本は「何よりこの場に戻ってこられたのが嬉しいです。ただ、ドライブしにきているわけではなくて、戦いにきているので、前にいるクルマの前に出ないといけないです。ナカジマレーシング2台揃って表彰台に立てるように頑張りたいです」と、レース前にも関わらず、いつになく笑顔が多かったのが印象的だった。

ひとつでも前を狙ってスタートした山本は、1コーナーでポジションをひとつ上げると、当初から決めていた作戦でピットウインドウが開いた10周目にタイヤ交換を敢行。上位陣がピットストップを終えたところで3番手に浮上した。

前を走る山下健太(KONDO RACING)の隙をうかがいながらも、後方から迫ってきている太田格之進(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)の動きもしっかりチェック。「前を追い抜くことを考えて、どこかで仕掛けようと考えていましたが、そこでオーバーテイクシステムを使って抜けなかった時に後ろからやられてしまう可能性もあったので、板挟みの状態にありました」と冷静に戦況を分析し、最適な選択肢を探りながら周回を重ねた。

結局、山下を先頭とした2番手争いは最後までこう着状態が続き、山本は3位でチェッカーフラッグ。2022年第7戦もてぎで優勝して以来、彼にとっては1年半ぶりの表彰台となった。

1年半ぶりの表彰台となった山本(右)

過去3度のチャンピオン経験を持つ山本にとって、表彰台に上がるというのは珍しいことではない。しかも、順位は優勝から2つ下の3位。普段の彼なら悔しさを見せたかもしれない。ただ……今回の山本は違った。レース後のパルクフェルメインタビューでは涙を流して、この3位を喜んでいた。

自身のSNSや普段の取材では、気丈に振舞っていた山本だが……怪我をしてからの半年間がいかに苦しいものだったのか……その涙が物語っていた。

「振り返れば、なんでも短くは感じるんですけど……あの9月以降、(2024年の)開幕が3月にあるのを分かっていながら、半年後ここに戻ってこられるとは思わなかったですし、表彰台に上がれるとも思えなかったですので……ちょっと辛かったです」

「(今回の3位獲得については)ホッとしたの一言です。優勝したわけではないですけど、昨年は表彰台にすら上がれなかったし、ずっとうまくいかないレースが続いていた中で、怪我もしてしまいました。正直『もうチャンスはないだろうな』と思っていたんですけど、またチャンスをもらえたってことは逆にちょっとビックリしているくらいです。ここまでチャンスをもらったら……もうやり切るしかない」

「怪我のこともありますけど、とにかく(ナカジマレーシングで)4年目のチャンスをもらえたので、何とか(チーム総監督の)中嶋悟さんのためにも、良いレースをしたいなと思いました。中嶋さんにレース後『よくやった』って言ってくれたのはすごく嬉しかったです」

山本のパルクフェルメインタビューで感動的な雰囲気に包まれた鈴鹿サーキット。とはいえ、冷静に振り返ると、レース復帰はおろか後遺症が残る可能性もゼロではないほど大きな怪我だった。手術という選択はもちろん、ここまでのリハビリも我々の予想を超えるほど厳しいものだったというのは想像に難くない。

それでも、レースに復帰することを諦めなかった原動力は何なのか? 

「僕にはこれしかないので」

山本はすぐにそう答えた。

「この世界で生き抜きたいし、僕からレースを取ったら何も残らない。やっぱり辞められないし、まだまだトップを目指して頑張りたいという火は消えなかったので、ここまでやれたのかなと思います。さらに火がついた感じがするので、もっと上目指して頑張ります」

「本当に手術してくれた先生、病院でケアしてくれた皆さん、あとトレーナーさんや家族、チームのみんな……本当に頭が上がらないです。みんなのおかげで獲れた3位だと思います。この体に戻してもらえたので、あとは自分の力で、優勝目指して頑張りたいなと思います」

山本尚貴(PONOS NAKAJIMA RACING)

とはいえ、本来の状態に完全に戻ったわけではないとのこと。100%のパフォーマンスに戻すべく、トレーニングに励む日々が続いていくという。

「パフォーマンスは(100%に)戻りきっていないんですけど、ここから先は時間が解決できるのか一生付き合っていかないといけないのかは、ちょっと僕も分からないんです」

「でも、今年は悔いなく出し切るというのが自分の中のテーマ。『痛くても、我慢すれば速く走れる』ということが分かったので、ここから体を事にしながら、また元のパフォーマンスにしっかりと戻せるように準備したいですし……『まだやれるな』というのが分かっただけでも、大きい収穫だったなと思いました」

山本は昨年12月のホンダレーシングサンクスデーで、事故後初めて公の場に姿をみせた。そこで「“本当の復活”はまだ先です」と話していた。この3位表彰台は“復活”と言って良いのだろうか?

「“本当の復活”は自分の中で優勝したときに使いたいなと思うんですけどでも、決してペースが遅かったわけじゃないし最後まで持たなかったわけではないので……復活できたと思います。ここを皮切りにもっとトップを目指していきたいです」と山本。何か手応えを掴んだ表情で語っていた。

もちろん目指すのは優勝であり、今回の3位表彰台は決して満足できる結果とは言えないだろう。

それでも、あのSUGOでのクラッシュから175日の時を経て、国内最高峰レースの舞台で活躍しファンを魅了する走りをみせる山本が帰ってきたことは……間違いはないだろう。

文:吉田 知弘

吉田 知弘

吉田 知弘

幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ

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