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モーター スポーツ コラム 2022年8月4日

スーパーフォーミュラ第6戦レビュー 笹原右京「諦めないでやることが本当に大事」 不屈の挑戦で掴んだ初優勝と、そこで垣間見えた“変化”

SUPER GT by 吉田 知弘
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スーパーフォーミュラ初優勝を遂げた笹原右京。

富士スピードウェイで行われた2022全日本スーパーフォーミュラ選手権の第6戦。予選日は大雨に見舞われ、急きょ公式予選のフォーマットが変更されたほか、決勝日もアクシデントやトラブルが続出する波乱のレースウィークとなった。

そんな1戦を制したのが、今季初のシリーズレギュラー参戦を果たしている笹原右京(TEAM MUGEN)だ。彼にとっては、これまでの苦労が報われた瞬間だった。

これまでは、海外のレースにも参戦するなど、様々な舞台で速さをみせ、ポルシェカレラカップジャパンやアジアンF3などでチャンピオンを獲得した実績も持っていた。しかし、トップカテゴリーになかなか上がれるチャンスがなく、国内では2018年に全日本F3選手権でランキング3位を獲得するも、国内トップフォーミュラのレギュラーシートをつかめずにいた。

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それでも、常に貪欲な姿勢で、参戦チャンスを探り続けた笹原。その努力が実り、2020年には、コロナ禍の影響で入国できない状態にあったユーリ・ビップスの代役として、TEAM MUGENから参戦することになった。結果的に、シーズン全戦に出場することになったが、あくまでも“代役”ということで、参戦が決定するのが、そのレースの直前。つまり、彼にとっては目の前の1戦でパフォーマンスを出し尽くして、アピールをしなければ“次がない”という状況。それが空回りしてしまう場面もあった。

2021年には、病気療養のため序盤2戦を欠場することとなった牧野任祐に代わり、DOCOMO TEAM DANDELION RACINGからスポット参戦。第2戦鈴鹿では3位表彰台を獲得し、パフォーマンスの高さをアピールするも、第3戦以降はシートがない形となった。それでも、何か自分のプラスになればと、第3戦以降もサーキットに姿をみせていた。

そういった地道な努力が、ついに今シーズン実った。当初は1台での参戦体制で準備を進めていたTEAM MUGENが急きょ2台体制となり、そこに笹原が乗ることになったのだ。

「ホンダの体制発表(2022年1月)の時は僕の名前はなかったですが、まだドライバーも決まっていないクルマもあったので、可能性が1%でもあるのであれば、諦めずに何とかしたいなという思いはありました。そこにTEAM MUGENの皆さんが、2台体制でやりたいという思いがあって、そこで乗せるなら僕を乗せたいと言ってくださっていました。さらに支援してくださるパートナーさんやサプライヤーさんがいなければ、成り立たなかった話でもあります。こうやって、みんなの声や想いが形になったのかなと思うと、僕としても感慨深いですし。本当に感謝しかないです」

「テストでは、みんなトライしていることが違うので、そこまでタイムとか順位は深追いしてないです。それよりも、今年のトラックエンジニアとは初めて一緒に仕事をするので、先ずはコミュニケーションだったり、クルマのベース作りなど、地道な確認作業をしています。今までは限られたチャンスで結果を出さなければいけなくて、100%を超える勢いでやっていましたけど、今年は地道に積み重ねていくことができるので楽しいです」

シーズンオフの合同テストでそう語った笹原の表情は、心の底から安堵しているようだった。

今シーズン、ついにレギュラードライバー座を掴んだ笹原右京。

しかし、参戦できることが目標ではなく、結果を残すことが次のステップとなるのだが、開幕戦から飛び抜けた速さを発揮。手強いライバルたちを打ち破り、見事ポールポジションを獲得。そのまま、初優勝も期待されたが、決勝のスタートでは、まさかのエンジンストールに見舞われ、最後尾まで後退することになった。翌日の第2戦でも、3番グリッドを手にし、リベンジを果たそうとするも、スタートで再びエンジンストールに見舞われた。

「あれはあれで言葉がなかったです」と当時を振り返る笹原。レースでは諦めずに挽回し、10位に食い込んだ。レース後の取材にはメディアの質問にも丁寧に答え、時より笑顔を見せようとしていた笹原だが、落胆している雰囲気はこちらに伝わってきた。

ここから彼は負のスパイラルに突入することになる。第3戦鈴鹿では予選Q1のタイムアタックで、他車と交錯してしまいコースオフ。予選19番手と後方に沈んだ。さらに中盤戦に入るとマシンバランスに苦しみ、ポイント圏内でフィニッシュはするものの、上位争いに顔を覗かせることができないでいた。一方、チームメイトで昨年王者の野尻智紀は毎戦のように表彰台フィニッシュを飾る安定した闘いぶりを見せ、ポイントランキング首位を快走。それも、笹原にとっては少なからず焦りにつながっていたのかもしれない。

そして迎えた第6戦富士。ウエットコンディションの中での予選となったが思うようなパフォーマンスを発揮できず苦戦を強いられ、13番グリッドに沈んだ。今年から、メディア向けにミックスゾーンが設けられ、全ドライバーが出席するのだが、そこに登場した笹原は、いつになく元気がなかった。

大雨に見舞われた第6戦の予選。

「本当に謎の失速だったので、多分みんなも心がやられていたと思います。何よりも僕が一番やられていたかもしれないです」と笹原。彼と同じく、15号車を担当するエンジニアやメカニックたちとっても、落胆の1日となってしまったのだが、そこに手を差し伸べたのが隣の1号車メンバーだ。特にエンジニアチームは15号車のデータを一緒に解析し、打開策を探った。

チャンピオンの野尻は、各担当の垣根を超えて助け合うところが、TEAM MUGENの強さにつながっていると語る。

「右京選手が不調の中でもがいていましたけど、予選後に僕の方(1号車担当)のエンジニアさんのチームが、彼らのチームに寄り添って『何がいけないのか?』という議論をしていた光景を、予選日の夜に見ていました。そういったところを含めて、風通しの良い環境下に2台があるということが、チームとしては大きいのかなと思います。

「それぞれのクルマの垣根を超えて、手を差し伸べるみたいな、そういう良いチームの輪ができているなと思います。こういうことは、なかなか他のチームではないと思うんですよね。それぞれのエンジニアさんのやりたいことや考え方がそれぞれあるのが当然だと思います。そういう考えも、もちろんありますが、困った時には、お互いに何か助言を求められるような……本当に良い関係性の中にあるのかなと思います」

ランキングTOPの野尻智紀(TEAM MUGEN)

こうして、日曜日の決勝レースを迎えると、15号車のパフォーマンスは復活。すぐに手応えを感じた笹原は、いつも通り攻めの走りを見せていく。

スタートで2つポジションを上げると、その後も順調にポジションを上げていく。10周目を過ぎて何台かのマシンが早めにピットストップを済ませたが、笹原は周りの状況を見て、後半まで引っ張る戦略を採用。レース中盤は3番手につけて、チャンスをうかがった。

そして27周目。待ちわびていた“唯一のチャンス”がやってきた。それまでトップを快走していた関口雄飛(carenex TEAM IMPUL)だが、ピットアウト直後に左リアタイヤが外れるアクシデントに見舞われてしまった。これによりセーフティカーが導入され、そのタイミングで笹原はピットに飛び込んだ。前の周でピットストップを済ませていた坪井翔(P.MU CERUMO/INGING)との一騎打ちとなったが、笹原が前でコースに復帰。ついにトップに躍り出た。

「自分がピットを終えてトップに戻った時は、まさかトップだと思っていなかったです。ただ、第2セーフティカーラインが勝負だと思っていたので、そこまでは全速力でいきました。ただ、いざコースインしてみると、前も後ろもいないから『自分は最後尾かな?』と一瞬思いましたが、チームからも『SCの後ろにつくまでは、タイヤをしっかり温めてね』と言われて、『ん??』と思ったら、SCが現れて。そこで『トップか!』と思いました。でも、そうなるかもしれないと思っていたので、本当に神様が味方してくれたのかなと思います」

「(レース再開後は)坪井選手が後ろにいたので、とにかくプッシュしました。逃げることができれば、タイヤも自分が新しかったので、逃げ切れる自信もありましたし、前半スティントで坪井選手にちょっと追いついていたので、それがけっこう自信になっていて、これならいけるかなという手応えはありました。リスタートとか、とにかくミスをしないようにしていましたが……本当に長い10周でした。本当にコツコツやっていって、チェッカーを受ける寸前まで『頼むから、普通に終わってほしい』と思っていました」

最後まで坪井の猛追をしのぎ切って、念願のトップチェッカーを受けた笹原。その瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、これまで苦楽を共にしてきたTEAM MUGEN、そして15号車のスタッフたちだった。

チェッカーを受ける笹原右京。

「チェッカーを受けて、みんなが(サインガードで)喜んでいたのが見えて(涙で)前が見えなくなっちゃいました。15号車のメンバーは今年の参戦が決まってから、徹夜続きというか、ほとんど寝ずに準備を進めてくれたりとか…そういうのを知っていましたからね」

「シーズンが始まってからも、一生懸命頑張ってくれていました。これでもかというくらい報われないタイミングがずっとありましたけど、開幕でポールを獲って、その時と同じ富士で優勝ができて、リベンジが出来たというわけじゃないですけど、今回の結果は素直に良かったなと思います」

パルクフェルメでは、真っ先にチームスタッフのところに駆け寄り、喜びを分かち合っていた笹原。この1勝は彼の中でも大きな変化をもたらしたかもしれない。

「結果を早く出したいという思いがすごく強くて、特に今年にかける思いが大きかったですし、ギリギリのところでシートが決まって、本当に『この1年しかない』という覚悟で臨んでいました。ここまで、けっこう1人で抱え込んでしまっている部分もありましたけど、TEAM MUGENのみんなが支えてくれました」

「本当に諦めずにコツコツと努力した結果が、報われたのかなと思います。レースは“水もの”で、色んな要素が必要ですが、それをしっかり自分たちの手で掴みに行けたのは大きかったです。開幕でポールを獲ってから、決勝どん底に落ちて、その後も、ここまでの道中も色々なことがありましたけど、本当に諦めないでチームとともに戦うと言う気持ちが大事なんだなと思いました」

トップカテゴリーにステップアップしてからは初めての勝利となった今回のスーパーフォーミュラ。笹原自身はSUPER GTにも参戦しており、今週末は第4戦富士大会を迎えるのだが、今までとは一味違った彼の走りが見られそうだ。

文:吉田 知弘

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吉田 知弘

吉田 知弘

幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ

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