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モーター スポーツ コラム 2022年7月15日

No.96 K-tunes RC F GT3 新田守男選手&高木真一選手 | 2022年 SUPER GT特別企画「相方のこと教えてもらっていいですか?」

SUPER GT by 島村 元子
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レース前に言葉をかわす新田守男選手(左)と高木真一選手(右)

レース前に言葉をかわす新田守男選手(左)と高木真一選手(右)

SUPER GTに参戦するドライバーは、コンビを組む“相方”とどんな関係を構築しているのだろう?同じクルマに乗るとはいえ、ライバルには違いないから緊張感バチバチなのか、それとも頼れる仲間だからなんでも語り合っているのか……果たして!?

そこで、サーキットを離れたドライバーふたりにzoomで“遠隔取材”。レースウィークでは聞き出せないようなあんなこと、こんなことを語ってもらった。

第2弾は、12年間コンビを組んだのち、12年の歳月を経て再びコンビ結成となったK-tunes Racingの新田守男、高木真一両選手が登場。兄弟さながらの仲の良さで、ほのぼのとした“あんなこと”や“そんなこと”はじめ、レースに対する真摯な姿勢に至るまで、ベテランコンビならではのトークで大いに盛り上がることとなった。

──まず最初に自己紹介ならぬ、“他己紹介”で相方を語ってください。

新田守男(以下、N):皆さん、こんにちは。高木真一です……ん?そういう話じゃなくて!?(笑)釣り好きのレーシングドライバーです。年齢は、52歳?53歳?血液型はRh+Bです。こういうことじゃなくて(笑)?

高木真一(以下、T):千葉県……あっ違う、今は東京都になってるけど、ほんとは千葉県稲毛の……暴走族をやってました新田(守男)です。

N:やってませんっ(笑)。

T:(笑)。(新田は)稲毛のガソリンスタンドで働いてました。で、大学は適当に行って……トムスに入って、お金もないのにレースを始めました。

N:やめて……(笑)。

T:……と、そこからスタートして今60歳です。

N:違いますっ(笑)。

T:55歳ぐらい?

N:もうすぐ(60歳に)なるのは(チーム)監督です!

T:55歳ぐらいです。で、いまだにレースやってます。血液型はRhー(マイナス)の、マイナス思考のB(型)です。以上です。どう?

──不意をつく“他己紹介”、ありがとうございます(笑)。では、相方のレーシングスタイル、ドライバーとしての強みはなんだと思いますか?

N:僕は今55歳で、(高木)真一も50……まさかこの歳までお互いレースをやってこれるとは思ってなかったですけど、ドライバーとしての強みっていうのは、速さっていう意味でのスピードも、クルマを開発したり、レースを戦う上でのトータルでいろんなものを備えてるすばらしいオジさんじゃないかと思います。

T:今、なんか(新田が)真面目に言ったから真面目に答えなきゃいけなくなっちゃったんで……(苦笑)。ほんと、この歳で一緒に組めると思ってなかったですしね。まあ、新田さんと久しぶりに組んで思ったのは、昔、タイヤ開発をミシュランの時からいろいろやってたんですけど、今回久しぶりにタッグを組んでやるようになって、より一層うんちくが多くなって……(苦笑)。非常に“タイヤ屋さん泣かせ”なコメントが多いなって。でも逆に(タイヤ開発の面でメーカーが)良く対応できてるのか、(タイヤが)だんだん良くなってきてる。今そこに僕が乗させてもらってるのかなっていう印象です。それと、テストの時は何セットもタイヤを使うんですけど、2時間ずーっとニュータイヤで何セットも乗りっぱなし。いまだに体力の衰えを見せないところはすごいなっていうのをすごく感じました。

──自分だけが知っていると思う、もしくは間違いなく知っている相方のとっておき情報を教えてください。

N:とっておきの情報ですか?いや、意外とないですけど……。逆に隠してちょっと恥ずかしがるだろうなとか、困るだろうなって思うようなことも、さすがにこの歳ではない気がします。ただ、レースの中で意外な一面を久々に見たなというか、そういう出来事がちょっと(ある)。真一はそれを話されるとちょっと嫌だと思ってるんだろうけど。大体、オジさんドライバー……年数を重ねてくると、人ってなんかちょっと大柄になるというか。慣れがあるから、少々なんかミスしてもなんか許されるなみたいな雰囲気って大御所になるほど、出てくるじゃないですか。だけど、今年真一がK-tunes Racingに加入して、初レース(岡山戦)でやってしまった時(※1)に、久々に見事に落ち込んでるというか……。僕が一番初めに組んだ(全日本)GT(選手権)で組んだ時(※2)も、優勝争いしてる時に確かスピンしたんですよね。その時をちょっと思い起こしたというか(笑)。しばらくの間すごく落ち込んで……。僕はこういう感覚ってなくなってたなというか、そういう気持ちが(高木は)続いてるんだな、この歳において起きるんだなっていうことをそばにいてすごく感じたんで。なんかちょっと意外な一面を感じた。岡山のレースのクラッシュのことを次のレースがあるまでの間、ツラい思いでいたんじゃないかなっていう意外な一面を見ましたね。

※1:開幕戦の岡山では、高木が予選Q2を担当して2番手を獲得。後半スティントを担当する中、GT500車両を利用して前方車両をヘアピンで抜こうとしたが、止まり切れずにそのGT500車両に追突し、フロント部分にダメージを負う。さらに走行を継続する中、風圧でボンネットがめくれ上がり、視界を奪われた高木はコンクリートウォールにヒット。クルマは損傷し、リタイヤに終わった。

※2:初コンビ結成は1999年の全日本GT選手権。第2戦富士から高木がモモコルセ Racing Team with Tsuchiyaに加入、その初戦でいきなり優勝を遂げた。さらにこの年、No.25 モモコルセ・アペックスMR2はクラスチャンピオンとなり、新田は自身2回目のタイトルを獲得。高木は第1戦に出場していないため、ランキング3位タイ。

──新田選手のコメントに対して、高木選手はどう思いますか?

T:やらかした時は、若い時も今も一緒だと思うんだけど……(ここで高木の携帯が鳴るハプニング)ちょっと待って、電話かかってきちゃった(笑)。「今、zoomやってるんで。すいません、また後で(と、電話を切る)(笑)」。まあ、今も昔も変わらないというかね。もう、(岡山のクラッシュについては)ほんと穴があったら入りたいような感じでしたけど。あれはここ最近というか、人生の中でもちょっとやヤバかったですね。へへへ(苦笑)。

N:気持ちが分かるだけにね、どう対処していいのか困るような感じだった。なんか、すごくね……一緒にGTで組んだ時の当時を思い起こさせた(シーズン)スタートでしたね。

T:(苦笑)そうね。

──では、高木選手だけが知っている新田選手のとっておき情報とは?

T:僕、釣りが好きなんで、昔は一緒によく連れて行ったというか、無理やり引っ張ってったりとか何回かあるんですけど、まぁ、釣りが下手なんですよね。センスがあるとかないとかっていう問題じゃなくて、とにかくお魚さんに嫌われてるっていうか……。子供でも釣れるような魚すら新田さんの投げたルアーだったり、餌に食いつかない。それが「こんな人いないな」っていうぐらいひどい(笑)。すごく“釣り運”がないというか、“魚運”がないなって。でもこれ、ここだけじゃなくてトークショーとかでも喋ってるような気がする(笑)。

N:ふふふ(笑)。

──そろそろ、レースの話をしましょうか(笑)。1999年の第2戦富士からコンビを組むことになり、レースではいきなり優勝。それ以前に新田選手は高木選手のことをご存知でしたか?

N:真一のことは正直あんまり知らなかったんですよ。(コンビを組む)ドライバーを変えなきゃいけないという話が出て。で、ドライバーを変えるのに、(土屋エンジニアリング代表の土屋春雄氏の息子でドライバーの)土屋武士が「真一がいるよ」と。じゃあ、ちょっと乗せてみようかっていう話から始まったんですよ。真一のレースは見たことがなかったんです。ただ、フォーミュラトヨタ西日本で全戦全勝で勝ってたから、「速いドライバーなんだろうな」ってなんとなく思ってたんだけど。ただ当時の土屋エンジニアリング代表の土屋春雄さんはそんなことでドライバーを評価しないから、実際に走らせてみて、どういう考え方を持ってるとか、ただ走るってことじゃなくてこれからチームに迎えるドライバーとしてのいろんな素質を考えてるようなところがありましたね。

No.96 K-tunes RC F GT3

No.96 K-tunes RC F GT3

──では、高木選手は相当大きなプレッシャーの中で初戦を迎えたのですか?

T:いや、プレッシャーとかまだ感じる前だから。その当時、アメリカでレースがしたくて、そっちの方で活動していたからその年は日本でレースをすることは考えてなかった。ところがアメリカのレースの話がなくなっちゃったんで、うろうろしてたんです(苦笑)。そこで武士から連絡があって。で、とりあえず土屋春雄さんのところへ新田さんと一緒に挨拶に(行った)。で、走ることになったんですけど、その時はとにかく与えられたものでがんばらなきゃっていうだけだったんです。プレッシャーも感じる余裕がないぐらい、とにかくがんばって走ろうっていう気持ちでした。プレッシャーを感じなかったですね。でも、去年のチャンピオンチーム(※3)で……恵一さんと信吾がチャンピオン獲ったその後っていうのもよく知ってたんで。優勝しなきゃいけないっていう……まあレギュレーションもちょっと変わったかもしれないですけど、なんか、(勝つことが)当然のことのような感じはして、(チームに)入ったつもりではいたんです。春雄さんにもそう言われたような気がする。勝つのが当たり前のところに行ったっていうのは、すごく印象に残っていますね。

※3:1998年、No.25 つちやMR2は、鈴木恵一/舘信吾両選手を擁してシリーズ戦5勝達成。クラスチャンピオンを獲得した。

──コンビ初レースで優勝。これで、新田選手は高木選手の印象は何か変わりましたか?

N:さっき真一も言ってたけど、チームでレースをやるっていう話になると、僕の先輩たちからそういうふうに教わってきたけど、土屋さんからも「何のために(レースを)やるのか?勝つためにやるんだ」っていうことを、目的……その最大目的として一番最初に植え付けられる。それを真一にも伝えてるから、真一はその時プレッシャーがなかったって(振り返って)言ってるけど、若かったからなかったんだろし、とにかくがむしゃらに走ってましたよ。だからスピンもしちゃう。だけどスピンをした結果……ちょっと語弊があるかもしれないけど、運っていうかそのチャンスを引き寄せる力も……ドライバーって必要というか。よく“持ってる”“持ってない”っていう言い方をするけど、なんかね、結構そういうものを感じる要素を僕は逆に感じたんですよね。だから、普通はそれでスピンして終わっちゃって勝てなかったら、「次のレース、(出場のチャンスは)ちょっとないよ」っていう話になっちゃうのに、がむしゃらに行った結果ああいう形になったけれど結局優勝することできたから……“持ってる”ものがあるんだろうなって思いました。

──勝負ごとの世界において、“持ってる”は強みですね。

N:簡単に運と言っていいのかちょっとわからないけど……深い意味で言うと、チャンスを拾えるっていうか……。(高木には)そういう要素があるなっていうふうに思いましたね。

──その後、チームは変われど2010年まで12年間コンビを組むことになりました。なぜここまで長くコンビを組めたと思いますか?

T:やっぱり相性っていうか、なんか兄弟のようなね。お兄ちゃんのような感じでいてくれて、すごく居心地が良かった。まあ、apr(※5)自体も新しいチームだったり、若い人が多かったり、一緒にみんな戦ってる感というかそういうのも含めて、ほんとチーム自体も家族のような感じでずっとやってたから、長く続いた。ずっと最後まで一緒にやるんだろうなって思いながら、やっていましたね。

※5:2000年は、スーパーオートバックス アペックスMR-Sとして参戦。エントリー名はSuper AUTOBACS Racing Team with A'PEX。aprが車両メンテナンスを担当した。

──コンビを組む中で、相手から学んだことや気付きなどはありましたか?

N:気付かされたというよりも、真一と一緒に組んだ結果、それが12年になっちゃったのか、そういうふうにしてきたから12年間になったのかっていうのは、どっちが先かよくわかんないんだけど、勝つために、チームってこういうふうにしていかなきゃいけないんだろうなっていうのを、勉強させてもらったという気がします。ひとつのチームの中の誰か一人が欠けてもいけないし、例えばドライバーの片っぽがうまく上手に走れないときや、クルマが上手くいかないとき、タイヤがうまくいかないとき……いろいろバランスがあると思うんですけど、毎回毎回すべてが上手くいくときばかりじゃないんで。そういうときに真一と一緒にやることによって、チームの中で勝つためにどういうふうにチームを動かしていくのがいいんだろうかっていうのを……そのときに僕がいろいろこうしろとか、ああしようとかっていうことをすべてやってたわけじゃないんですけど、今の自分の中でのチーム運営というか、チームをこういうふうにしていくのがいいんだろうなっていうのに繋がってることを勉強させてもらったなって気がしますね。

──満を持しての12年ぶりのコンビ復活。今年の開幕戦の前日は、どんな心境でしたか?

T:新田さんと組むのは久しぶりだったけど、まあ変わり映えもなく、何もなく、非常に今までどおりというかね。12年前どおりな感じだったんですけど、やっぱりチーム(※6)が新しかったので、その新しいチームの中に入って、僕が早く溶け込まなきゃいけないなっていうのと、タイヤも違いますし、クルマも違ったりっていろんな環境がすべて違うんで。そこがやっぱり長年、ARTA(※7)にいて、何も考えずにレースが進んでいくのとはちょっと違ってた。そこをどういう形で(チームに)入っていかなきゃいけないのかなっていうことが、最初はすごくあったんです。ただ、今まで新田さんと一緒に組んでて全部新田さん任せでやってた時代から、新田さんと離れて、次は(自分が)チームを引っ張っていかなきゃいけないっていう大変な作業というか、それをいろいろやってきて……。今度はまた元に戻れる……またサボれるっていうか、とりあえず新田さんについていけばいいかなと(笑)。今、ちょっとチームの中に入り込んで、慣れればあとは新田さんに全部任しとけばいい感じで、今リラックスしてレースをしてる……できるようになったかなと思ってます。

N:ふふっ(笑)。

※6:岡山トヨペットを母体とするレーシングチームであるK-tunes RacingのSUPER GT初参戦は2018年。この年は、K-tunes Racing LM corsaとしてエントリーした。2019年からはK-tunes Racingとして参戦。また、2020年からは車両メンテナンスも自社で手掛ける。

※7:2003年からチームがARTA(AUTOBACS RACING TEAM AGURI)となり、2010年まで新田&高木のコンビが続いた。翌年、新田がチームを移籍するも、高木は2022年まで在籍。

No.96 K-tunes RC F GT3

No.96 K-tunes RC F GT3

──新田さん、どうします?この“甘えん坊”の弟さん(笑)

N:(苦笑)。多分そういうふうに思ってるだろうけど、僕と一緒に一番初めに組んでたときの12年間と、Aドライバーというかエースドライバーというか、チームを引っ張っていかなくちゃいけないドライバーとして(その後)12年間やってきた真一は、再びコンビを組んだら違ったんですよね。やっぱりいろいろ自分でやってきた……なんとなく言われて乗ってきたのと、自分でいろいろ考えて進めてきたことが、いろいろ経験としてミックスされて。僕たちのチームに加わることになったから、そういった意味では、もう全然ドライバーのスキルというか感覚は、僕の中で(高木は)全然違う人、ある意味違う人になってて。性格とか人間的な考え方とか、レースに向き合う姿勢みたいなものっていうのは変わらないけど、そういったところがすごく変わったから、ちょっと違うかなって思っていますけどね。

──“新生・高木真一さん”と言われて、ニヤっと笑っているのはうれしいからですよね!?

T:いや、(開幕戦の決勝で)いきなり(クルマを)ぶつけたっていうのが(新田が言う)違ってた?とか……(笑)。

N:(笑)。あれはひっくり返ったけどね。

T:ま、僕もひっくり返りましたけどね(苦笑)。なんか、「これはなんだろうなぁ」って。やっぱあぐらをかいちゃいけないなっていうのを神様が教えてくれたのか、いい方向にすぐ考えちゃうんですけど(笑)。

──シーズンはこれから夏の長丁場を迎えます。この先の戦いに向けて、新田選手は高木選手にどんなことをリクエストされますか?

N:リクエストですか?うーん……特にはないんですけど、真一がチームに来るっていうことになったきっかけっていうのもちょっと変なんだけど、チームとしての最大の目的は、チームが……K-tunes Racing自体はまだまだ駆け出しのチームなので、もっともっと成長していくために必要なものをどんどんどんどんスキルアップさせなきゃいけない。それはチームの中だけじゃなくて、もちろんクルマもタイヤもみんなトータルで合わせてなんですけど、そういったところで真一に入ってもらったことによって、ちょっと厳しい目でいろんなものを見てってもらいたいなというのがある。真一が初めに言ったタイヤ屋さんに対しても、ちょっと厳しいコメントしてみたりとかっていうのが、今の自分の中にすごくあって、ちょっと強く(コメントにその思いが)出てるかなと思うんですけど、同じテンションでやっていってもらいたいなと思います。ふたりでタイヤ屋さんにいっぱい泣いてもらいましょう(笑)。

──高木選手からは?

T:要望ねぇ……なかなか厳しいコメントを言うのも、僕苦手なんで、そこはやっぱり新田さんにちょっと任せながらですね(笑)。新田さんに要望ってなかなかないんですけど、ゴルフのハンディをちょっと欲しいかなっていうぐらいで。レースはどうなんだろうな。思いつかないですね、なんだろ?難しいです。今はない、ないです。そのうち見つけます。

──やはり、“お兄ちゃん”にすっかり甘えてますよね。

T:あはははは。そう、そうなっちゃうんです(笑)。

N:まぁ甘えてるというか、少しおじさん化が進んできて、ちょっとね、そっちの方向にいっちゃってるような気がします(笑)。

──年齢のことは言われたくないかもしれませんが、ふたり合わせて「104歳コンビ」……。

N:そう!なんかみんなそういうことをすごい言うでしょう?ひとりで100歳だったらすごいんだけど、なんかね。ふたり(年齢を)足して100歳超えて、って言われてもちょっとピンと来ない。まぁだけど元気で……若い子たちいっぱいいますけど、ケガしないで、いつまでもヨボヨボになっても“”とうせんぼジジイ”をしてたいですよね(笑)。

──ほんと、ふたりが一緒に話していると、揃ってニコニコの笑顔ですね。とりわけ高木選手、本当にうれしそうです。

T:あっそう!?おかしいな、(趣味の)釣りしてるときのほうがもっと笑顔なんですけど。

N:ふふふ(笑)。

文:島村元子

島村元子

島村 元子

日本モータースポーツ記者会所属、大阪府出身。モータースポーツとの出会いはオートバイレース。大学在籍中に自動車関係の広告代理店でアルバイトを始め、サンデーレースを取材したのが原点となり次第に活動の場を広げる。現在はSUPER GT、スーパーフォーミュラを中心に、ル・マン24時間レースでも現地取材を行う。

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