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1998年フランス大会でワールドカップ初出場を果たした日本代表
3月の日本のスポーツ界最大の話題は、もちろん野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での日本代表の優勝だった。日本スポーツ史に特筆すべき歴史的な快挙であり、大きな歴史の転換点になるかもしれない出来事だった。
日本にとってWBC優勝は3度目だが、前回優勝した2009年当時はまだアメリカはこの大会に「本気」ではなく、多くのメジャーリーガーはWBCに出場していなかった。だが、今年の大会はアメリカもメジャーリーグ(MLB)のスター軍団を招集して本気で連覇を狙っていた。
しかも、決勝戦の会場はアメリカのホーム。それも、日本から最も遠い東部のフロリダ州マイアミだった。準々決勝を終えた日本は長距離移動を余儀なくされ、時差調整をする時間も与えられず、さらに使用球はアメリカ製であり、審判もMLBの審判が主体……。
日本にとって完全アウェー状態だったことを考えれば、文句のつけようのない勝利と言っていい。
僕が若いころ、つまり30年以上前にはMLBはまさに大谷翔平が言った通り「憧れの」存在だった。
そもそも、現在のように簡単にMLBの映像を見ることができなかった。
何かのニュースで映し出されるMLBの光景は、そのボールパークの緑の芝生すらが憧れの対象だった。メジャーリーガーたちのパワフルなプレー、そして野手たちの流れるようなフィールディング……。日本の野球がMLBの世界で通用するとはとうてい思えなかった。
ベースボールというのは、基本的にはピッチャーがパワーを乗せて投じるボールをバッターがパワーで弾き返すゲームだ。フットボール系と比べれば接触プレーこそ少ないが、ボールとバットという用具を通じてパワーとパワーがぶつかり合うゲームなのだ。
だから、「フィジカル能力で劣る日本人選手が戦うことは難しい」と考えられていた。
そのため「日本チームがアメリカに対抗するには小技しかない」と信じられていた。「スモールベースボール」である。バント(犠打)や盗塁を積み重ねて得点を奪い、そして、アメリカには少ないアンダーハンドスローのピッチャーで勝負する……。
だが、2023年のWBC決勝戦はそれとはまったく様相が異なった。
日本のピッチャーたちは速球で真っ向勝負を挑んでアメリカの強力打線をソロホームラン2本に抑え、日本のバッターたちはMLBのピッチャーからホームランを撃って対抗した。
そして、リードして迎えた8回と9回をダルビッシュ有と大谷翔平の黄金リレーでしのぎ、最後は大谷がマイク・トラウトを相手に100マイルの速球と“エグい”スライダーでねじ伏せた。ゲームの後半、ブルペンとベンチを往復しながら肩を作ってクローザーとして登板した大谷の姿は、まさに信じがたい光景だった。
WBCより4か月前の2022年11月にカタールで開かれたサッカーのワールドカップでは日本代表がワールドカップ優勝経験のある(彼らの優勝は、それほど遠い過去ではない)ヨーロッパの強豪、ドイツとスペインを連破してみせた。
WBC決勝を前に大谷は「憧れを捨てろ」と選手たちに声をかけたが、サッカーの日本代表の場合は、選手たちは「憧れ」という意識も「怖れ」という感情も抱いてはいなかったはずだ。
サッカーの場合、日本代表選手のほとんどはヨーロッパ各国のクラブに所属し、毎週のリーグ戦で日常的にヨーロッパの強豪クラブと対戦しているからだろう。野球の場合、「憧れ」があったのは大半の選手が日本のプロ野球(NPB)に所属していたからだったのだろう。
とにかく、今ではベースボールの世界で日本がアメリカと互角に近い戦いをして勝利することができるようになり、サッカーではヨーロッパの強豪相手に勝利することが可能になった……。
どちらも、30年前には考えられないことだった。
野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースで活躍して、日本人投手がMLBでも通用することを証明して見せたのが今から28年前の1995年。シアトル・マリナースのイチローが打者として成功したのが2001年のことだった。
一方、サッカーの世界では30年前には日本はまだ一度もワールドカップに出場したことがなかった。Jリーグ開幕が1993年で、三浦知良(カズ)がイタリア・セリエAのジェノアに入団するのが1994年。そして、「ドーハの悲劇」と「ジョホールバルの歓喜」を経て、初のワールドカップを経験したのは1998年のことだった。
1998年フランスでのワールドカップは同じ初出場組のジャマイカにも敗れて3戦全敗に終わったが、当時、それを咎める者は誰もいなかった。それが、今ではグループリーグを突破しても「ラウンド16止まり」などと批判されるようになったのだ。
1960年代以降、高度経済成長を続けた日本は1980年代にはアメリカに次ぐ世界第2の経済大国となったが、その後の経済政策の相次ぐ失敗によって日本経済は停滞を続け、1990年代以降は「失われた30年」と呼ばれることとなった。
しかし、野球とサッカーという日本のメジャースポーツの歴史を顧みれば、どうやらこれまでの30年はスポーツ界に限って言えば「停滞」どころか「発展の30年」だったようだ。
いや、もっと長いスパンで見ても、この半年間にわれわれが味わったサッカーのワールドカップおよびWBCでの成功は、日本のスポーツ史の中で特記すべき事項だった。
今から約150年前、近代化路線を歩み始めた明治新政府は科学技術や軍事、政治、法律、芸術などあらゆる面で欧米化を推し進め、同時に西洋発祥の近代スポーツにも取り組み始めた。
だが、当初は日本人が本場の選手に敵うわけもなく、日本人や同時期に近代スポーツに取り組み始めた東アジアの諸国民は欧米人に対して劣等感を抱かざるをえなかった。
考えてみれば当然のことだ。近代スポーツというのは、欧米人が欧米人のために作ったゲームだった。欧米人とアジア人では体の構造も違ったし、体の動かし方つまり身体文化が違ったのだ。たとえば、武術などで戦ったらアジア人も欧米人に遜色なかったはずだが、筋力やパワーを比べる近代スポーツではなかなか欧米人に太刀打ちできなかった。
欧米のチームに敗れるたびに「フィジカル能力の違い」が語られ、ある意味でそれは日本のスポーツ界にとって都合の良い「言い訳」にもなった。
だが、近代スポーツの導入から1世紀半が経過した今、野球もサッカーも本場の代表チームを相手にタイトルを懸けた真剣勝負で勝利できるようになったのだ。大谷翔平がフィジカル的に欧米人に劣っているなどとは、世界の誰も思わない。
つまり、日本のスポーツ史は新しい時代に突入しつつあるのである。もう、劣等感など抱く必要はないのだ。さあ、次はラグビーの番だ。ラグビー・ワールドカップ・フランス大会開幕まであと半年である。
文:後藤健生
後藤 健生
1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授
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