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EURO2020のラウンド16でイングランドがドイツに完勝してベスト8に駒を進めた。
イングランドのガレス・サウスゲイト監督がドイツと同じ3−4−3を選択して“ミラーゲーム”を仕掛けたのが勝因だろうが、大事なのは各ポジションの選手が対面するドイツ選手を上回ったことだ。開始直後からほとんどのポジションで優位に立ったイングランドだったが、MF同士のマッチアップではドイツのトニ・クロースとレオン・ゴレツカが上回っているように見えた。だが、次第にイングランドのデクラン・ライスとカルビン・フィリップスが運動量を生かして中盤を支配。以後は、ほぼ互角の展開でありながら、イングランドが主導権を握り続けた。ドイツにも決定機はあったが(とくに、あのトーマス・ミュラーの独走!)、内容的に「イングランド完勝」と言っていい。
ミラーゲームにありがちな守備優位の派手さはない試合だったが、緊迫感は十分だった。それもそのはず、なにしろイングランド対ドイツという伝統の顔合わせ。そして、舞台がウェンブリーだったのだから……。
スタンドには赤のレプリカ・ユニフォームを着こんだイングランド・サポーターも数多く見かけられた。イングランドのファースト・ユニフォームは白だが、いつの試合でも赤を身に着けるイングランド・サポーターは多い。
1966年のワールドカップの決勝(旧ウェンブリー)で相まみえたのが初優勝を目指す開催国イングランドと2度目のタイトルを目指す西ドイツ(当時)で、この試合では西ドイツが白を着用したため、イングランドは赤のシャツで戦ったのだ。延長戦の末4対2で西ドイツを破ったイングランドのボビー・ムーア主将に、女王エリザベス二世(今も現役!)から「ジュール・リメ杯」が手渡された。
そのため、イングランド・サポーターは今でも栄光の赤シャツを好むのだ。
当時、普通の公立中学校2年生だった僕にとっても、この決勝は思い出の試合の一つだ。
1964年の東京オリンピックで日本がアルゼンチンを破り、翌1965年には初の全国リーグ「日本サッカーリーグ(JSL)」が開幕し、サッカー・ブームと言われていた。それまで、ワールドカップは日本の新聞ではほとんど取り上げられなかったが、この時は「ブーム」に乗っかってそれなりに試合結果が報道され、決勝戦の模様はテレビで録画放送された。
記録映画『ゴール』も封切られ、サッカー好きの少年たちは何日も映画館に通って世界最高峰のプレーやイングランドのグラウンドの美しい芝生や立錐の余地もない立見席の光景に目を見張ったものだ。そして、決勝戦でハットトリックをやってのけたイングランドのジェフ・ハーストの姿を目に焼き付けた。
4年後のメキシコ・ワールドカップは大会終了後に東京12チャンネル(現テレビ東京)の『三菱ダイヤモンドサッカー』の枠で全試合が放映された。準々決勝では前回決勝の再現となるイングランド対西ドイツ戦が実現。点取り屋ゲルト・ミュラーの活躍で西ドイツがリベンジを果たした。さらに1972年には欧州選手権準々決勝(ホーム&アウェー)で両国が対戦。ウェンブリーでの試合ではギュンター・ネッツァーがリードする西ドイツがイングランドを圧倒したが、それもテレビで観戦できた。
1960年代から70年代にかけて、極東の島国のサッカー少年にとってもイングランド対西ドイツは“特別の試合”だったのだ。
実際にスタジアムで観戦した試合としては1990年イタリア・ワールドカップ準決勝が印象に残っている。トリノのスタディオ・デッレ・アルピでの対決。疲労を溜め込んだ中で両チームが全力を出して最後までファイトしたが、1対1の同点のままPK戦に突入。PK戦に滅法強い西ドイツが、PK戦を苦手とするイングランドに勝って決勝に進出。決勝戦でもディエゴ・マラドーナのアルゼンチンを破って優勝を遂げた(大会後に東西ドイツが統一されたので、「西ドイツ」として最後のワールドカップ)。
2002年日韓ワールドカップ・ヨーロッパ予選のドイツ対イングランド戦(2001年9月1日)をミュンヘンで観戦したのも印象深い思い出だ。
僕が初めてワールドカップ観戦のために海を渡ったのは1974年の西ドイツ大会だった。ヨハン・クライフのオランダとフランツ・ベッケンバウアーの西ドイツの決勝戦はミュンヘンのオリンピアシュタディオンのゴール裏立見席から観戦したのだが、その同じスタジアムの記者席に座って伝統の一戦を観戦した。
そして、これは歴史的な一戦となった。開始6分にドイツが先制したものの、その後、マイケル・オーウェンのハットトリックなどアウェーのイングランドが5ゴールを奪って逆転勝ちという驚きの展開となった(両国の対戦史上最大の得点差の試合)。しかし、ここでも両者のフェアで激しい戦いぶりが強く印象に残っている。
両国間の因縁はさらに遠く20世紀前半にまで遡る。とくに、1930年代にアドルフ・ヒトラー総統の下でドイツが軍事強国化してた時代、自由主義の英国と全体主義のドイツの代表選手たちは国の威信を背負ってピッチ上で激しい争いを繰り広げたが、当時も両国はいつもフェアに戦った。
フェアプレーを大切にする両国の価値観がうまく噛み合っているのだ。
サッカー史を振り返ると、こうした“特別の試合”がいくつも存在する。
政治史的にもスポーツ史的にも古くからのライバル関係にあるイングランド対スコットンドもそうだし、南米ではブラジル対ウルグアイの対戦が“特別”だ。1950年のブラジル・ワールドカップ決勝リーグ最終戦で対戦し、引き分けでも優勝が決まるブラジルが先制したもののウルグアイが逆転してブラジルの夢を打ち砕いた「マラナカッソ」の記憶は70年以上が経過しても消えることがない。
チリ人にとっては、自国開催の1962年ワールドカップで乱闘事件が起こったイタリアとの対戦は今でも“特別”だ(イタリア人はもう忘れてしまったようだが)。
日本が世界の強豪に伍して戦うようになってからまだ四半世紀しか経っていないが、日本はすでにワールドカップ本大会でクロアチアやコロンビアとは2度も対戦している。クロアチアとは2度とも接戦を演じたので(1998年は1対0でクロアチア。2006年はスコアレスドロー)、クロアチアでは日本は「難敵」として認知されていると聞く。
2018年ロシア大会のラウンド16で壮絶な点の取り合いを演じたベルギーとの対戦も、日本にとってはこれからも“特別な試合”になるのだろう。2013年秋にブリュッセルで戦った時もやはり点の取り合いとなり、日本が3対2で勝利したが、ともに自分たちの良さを前面に出して戦う姿勢を持つ日本とベルギーの顔合わせは、いつも攻撃的な好試合になる。これからも良いライバル関係となっていってほしいものだ。
文:後藤健生
後藤 健生
1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授
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