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サッカー フットサル コラム 2020年7月31日

倉敷保雄の北欧紀行

土屋雅史コラム by 土屋 雅史
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入社2年目の4月。『Foot!』のスタッフに加わることを命じられる。すぐ近くにありながら、逆に遠いもののように感じていた憧れの番組。無論気合いが入る。2004年4月9日。これが僕の“デビュー戦”だ。しかもゲストは幼稚園の頃から愛読していた『キャプテン翼』の作者である高橋陽一先生。おそらくテンションはマックスに近かったに違いない。

収録当日。個人的に『キャプテン翼』シリーズのベスト作品だと思っている“36巻”を持参した。サインをもらうためだ。控え室にはあの高橋先生がいる。キャプテン翼への愛を訴え、サインもいただくことができ、まさに天にも昇る気持ちだった僕に、少し遅れて現れたその人は口を開く。それは叱責の言葉だった。

「自分が何者かも名乗っていないのに、そんな形で先生にサインをもらうようなことでいいの?今日から番組のスタッフなんでしょ。もっとちゃんとしないと」。

ガツンと頭を殴られたような気がした。“番組のスタッフ”。その通りだ。今までは視聴者だったが、スタッフに加わったばかりの下っ端とはいえ、もう番組を作って送り届ける側になっていたのだ。その時の僕の優先順位は、番組を作ることよりも、先生にサインをもらうことが何より一番だったのは言うまでもない。“デビュー戦”でいきなり洗礼を浴びた。しかもずっと憧れ続けてきた、その人によって。あのショックは今でも忘れられない。

今回の#10でお届けする北欧紀行は、同行した僕が撮影したものになる。憧れのヤリ・リトマネンに会ったその人は、明らかに緊張していたし、子供のようにはしゃいでいた姿が懐かしい。それから3度に渡って、そのロケシリーズは続くことになる。2回目はオランダ。3回目はイングランド。4回目はスペイン。思えばいろいろな所にご一緒したものだ。

Jリーグの中継プロデューサーへの異動を命じられたため、『Foot!』から外れることになった2011年の夏。その人は個人的な送別会を開いてくれた。“デビュー戦”から7年。少しは認められたのかなという想いと、思い入れの強い番組を離れることをより実感せざるを得ない想いと、何とも言えない感情が渦巻いた時間だったのを覚えている。

2017年の1月から、僕は“番組のスタッフ”に復帰した。その人は番組のレギュラーではなくなったものの、今でも時折スタジオに“ゲスト”としてお招きすると、収録の前後に貴重な提言を与えてくれる。“番組のスタッフ”であること。もう16年近くも前に教えられたその意味を、何かに迷った時には自分の中で常に反芻する。

今回のセレクションは僕にとって、“番組のスタッフ”として関わってきた集大成だと、勝手に思っている。視聴者だった時も、“番組のスタッフ”だった時も、“番組のスタッフ”ではなかった時も、僕は『Foot!』という番組に並々ならぬ愛情を注いできたつもりだ。でも、その愛情を形にして、視聴者の方に満足してもらえるような番組を作らないと何の意味もないことも、十分に理解している。なぜなら、僕は“番組のスタッフ”だからだ。それを教えてくれたその人の想いに応えるためにも、これからも任される限りは全力で良い番組を作っていきたいと強く、強く、思っている。

今さらですけど、あの日のこと。僕、高橋先生には自分が何者か名乗ってたんですよ。何なら名刺も交換していたんです。今でも大切に取っておいてありますから(笑) だけど、あの日に教えてもらった“番組のスタッフ”であることの意味を、今でも心の中に強く刻み込んでいます。今後もまたスタジオに来てもらうことが必ずあるので、いろいろと教えてくださいね。これからも宜しくお願いします。倉敷さん。

文 土屋雅史(J SPORTS)

土屋 雅史

土屋 雅史

1979年生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。早稲田大学法学部を卒業後、2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社し、「Foot!」ディレクターやJリーグ中継プロデューサーを歴任。2021年からフリーランスとして活動中。

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