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サッカー フットサル コラム 2020年4月16日

外出自粛の中でも散歩でもして健康維持を!自宅周辺のスポーツ史跡の探索でもしてみてはいかが……

後藤健生コラム by 後藤 健生
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新型コロナウイルス(COVID−19)の感染拡大の影響で、外出もままならない方、あるいは感染のリスクがありながらも仕事で外出せざるをえない方など、それぞれご苦労されておられることだろう。Jリーグなどの大会は中断しており、私もほとんど外出することがなくなり、家で原稿を書くだけの日々が続いている。

しかし、家にこもってばかりでは健康にも悪い。濃厚接触の恐れがない形での散歩やジョギングなら問題ないという。健康維持のための外出も大事にしたいものだ。

これから先、新型コロナウイルス感染による死者数がどの程度になるのかは予想もつかないが、一方で、毎年冬場には数千人の死者を出すという季節性インフルエンザの感染者は感染症対策の徹底によってかなり減ることだろう。だが、それ以外の病気での死亡を増やすわけにもいかない。

健康の維持はやはり重要だ。新型コロナウイルス対策としても、健康を保ち、免疫力を上げておく必要がある。

もちろん、散歩などで外出するにしても、行先は当然それぞれの自宅の近辺ということになる。私は東京西部にある練馬区に住んでいるので、近所にある東京都立石神井公園がお気に入りの散歩コースだ。この公園には石神井池という人工の池と三宝寺池という自然湧水によってできた武蔵野の風情を残した自然の池があって、散歩にはうってつけだ。ただ、土曜、日曜に散歩にはかなり大勢の人たちが繰り出しているので、散歩は平日だけにしようかとも思っている。

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さて、散歩というのは本来は何も目的もなしに歩くものなのかもしれないが、何か目的を定めて自宅周辺の歴史などを見直してみるのもよろしかろう。「ブラタモリ」のように、である。

たとえば、三宝寺池の南側には石神井城という中世の城跡があったりする。池と南側を流れている石神井川に挟まれた高地で、周囲に空濠を巡らした中世の砦である。

さて、このコラムを読んでいただいている方は大半はスポーツ愛好家だろう。それなら、「スポーツ史跡」を探訪する散歩という選択もある。

たとえば、石神井公園の近辺には「1930年にサッカーの日本代表チームが合宿を行ったグラウンド」という、ほとんど誰にも知られていないスポーツ史跡がある。

1930年には、東京の神宮外苑競技場を中心に第9回極東選手権大会という総合スポーツ大会が開かれた。この大会は、フィリピン、中国、日本が参加して開かれた大会で(第9回大会にはインドが、マニラで開催された第10回大会にはオランダ領東インド=現在のインドネシアも参加した)、第1回大会は1913年のことだった。

日本が本格的に参加したのは1917年(大正6年)の第3回大会からで、この時、サッカーの日本代表が初めて国際試合に出場した。「代表」といっても、今のような選抜チームではなく、当時日本最強だった東京高等師範学校(東京高師)が代表に選ばれて参加した。選抜チームを作って合宿をするといった発想はなかったのだ。

対戦相手も中国は香港の南華体育会のサッカー・チーム、フィリピンはマニラにあったボヘミアンズというフットボール・クラブだった。

南華(サウスチャイナ)は、今でもACLに出場することもある香港の強豪だ。そして、ボヘミアンズにはFCバルセロナの伝説のストライカー、パウリーノ・アルカンタラが所属していた。アルカンタラはリオネル・メッシに破られるまで、通算得点数や最年少得点などの記録を持っていたバルサのレジェンドだが、スペイン人軍人とフィリピン人女性との間に生まれたハーフだった。バルセロナで活躍した後、マニラ大学医学部に通うためにマニラに住んでおり、地元のボヘミアンズで活躍していた。

日本(東京高師)は中国(南華)に0対5、フィリピン(ボヘミアンズ)に2対15と大敗を喫した。

その後、日本のサッカー界は中国とフィリピンを目標に強化を続け、1927年の第8回大会(上海)ではついにフィリピン相手に勝利を収めた(これが日本の国際試合での初勝利。ちなみに、この時の日本代表は早稲田大学)。

そして、地元開催の第9回大会では打倒中国を目指して初めて「全日本選抜」が結成されたのだ。東京帝国大学を中心に選手が選ばれ、そして石神井にあった清水組(現・清水建設)が所有していたグラウンドでトレーニングに入ったのだ。

当時発行されていた『アサヒスポーツ』という雑誌に、「日本初のサッカー記者」として知られる山田午郎が合宿を取材した記事が載っている。大会開幕2週間前の記事だ。

選手団は西武池袋線の石神井公園駅のそばにあった昭和館という旅館に泊まって、ここから歩いてグラウンドに通っていた。山田によれば旅館内の選手たちの部屋を覗くと万年床だったそうだ。

現在、このグラウンドは区立の野球場になっている。今は、石神井池のすぐ南側の高台にあるのだが、この池が作られたのは1933年だったので、合宿が行われていた当時には池はまだなかった。記事には昭和館からは5、6分で畦道沿いに坂を上がった小高い丘にあったとある。

合宿の時の記念写真というのが、この記事とは別に残っている(『日本サッカーの歩み』所収)。その記念写真の背景には赤松の並木が映っているが、今でも丘の上に上ってみると当時と同じような枝ぶりの木々を見ることができる。その景色を確認することで、90年前の日本代表チームが汗を流した場所ということを実感できるのだ。

ちなみに、この大会では日本と中国の試合は3万人の大観衆を集めて行われ、3対3で引き分け、両者優勝という結果となった。

そのほか、私の自宅から徒歩圏内には第二次世界大戦前にプロ野球の試合が開催された井草球場跡など、いくつかのスポーツ史跡がある。皆さんのご近所にもそうしたスポーツ史跡を探してみてはいかがだろうか?

文:後藤健生

後藤 健生

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授

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