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サイクル ロードレース コラム 2025年6月23日

【ツール開幕直前!タデイ・ポガチャル徹底分析vol.2】鮮烈なプロデビュー 世紀の大逆転でツール・ド・フランス初制覇

サイクルロードレースレポート by 福光 俊介
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プロキャリア1年目から大物の片鱗を見せていたポガチャル

vol.1はこちらから

ツール・ド・フランス4度目の頂点を目指すタデイ・ポガチャルUAEチームエミレーツ・XRG)の強さと人柄に迫るコラムの2回目。現代の自転車ロードレースシーンにあって、最高にして最強の男の歩みを振り返っていく。今回はプロ入りから、衝撃的な大逆転ツール制覇まで。2019年から2020年の2シーズンに触れる。

一瞬で“タデイ・ポガチャル”の名が広まる

ジュニア、アンダー23それぞれのカテゴリーで強さを誇ったポガチャルも、プロサイクリストとしての入口は他の多くの選手とさほど変わらなかった。UAEチームエミレーツ(現UAEチームエミレーツ・XRG)は、プロキャリア1年目の彼に対し過度のプレッシャーを与えず、新しい環境に適応させることを重視していた。

それでも、“タデイ・ポガチャル”を隠し玉としておくことは不可能だった。プロデビュー戦だったツアー・ダウンアンダーを個人総合13位で終えると、ステージレース2戦目のボルタ・アオ・アルガルヴェで個人総合優勝。並外れた新人の名は瞬く間に広がり、春にはイツリア・バスクカントリーで個人総合6位。アルデンヌクラシックこそ経験の差が出たが、ツアー・オブ・カリフォルニアでの個人総合優勝で、その存在感は確かなものになった。

プロデビュー時にプレッシャーを感じていなかったわけではなかったという。ただ、それをも心から楽しめる器の大きさがポガチャルにはあった。どんなことがあっても慌てず、冷静に対処する。

彼の人柄を表すエピソードに、デビュー戦のダウンアンダー直後の“パスポート紛失騒動”がある。

全ステージを終えて帰国の朝、当時チームマネージャーのひとりだったアラン・パイパーの携帯電話が鳴った。「パスポートがなくなっちゃったんだ」笑いを含んだポガチャルの声だった。

その日のオーストラリアは休日で、施設はすべて閉鎖されていた。幸い、スロベニア大使館が開いており、同国関係者と接触できたことで追加の滞在は1日だけで済んだ。「警察や銀行へ行き、その他のあらゆる手続きも必要だった。だけど、タデイは常に明るく、相手の指示に対しても従順だった。普通の人ならパニックになるであろうところで、彼は何ひとつ動じていなかったんだ」とペイパーは当時を振り返る。

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自然体で走り抜いた初のグランツール

グランツールデビューは、2019年のブエルタ・ア・エスパーニャ。当時のチームリーダー、ファビオ・アルとのダブルリーダー体制で3週間の旅をスタートさせるが、やがて単独総合エースの座を確たるものにしていく。

長年抱える怪我に苦しんだアルは第13ステージで大会を去った。かたや、ポガチャルはアンドラを走った第9ステージでグランツール初勝利を挙げると、アルが引き上げた第13ステージでも優勝。最後の山岳コースとなった第20ステージでは、フィニッシュまでの39kmを独走。この大会を制するプリモシュ・ログリッチに1分30秒以上の大差をつけてみせた。この走りが利いて、初のグランツールを個人総合3位で終えた。

2019シーズン、早くもブエルタでグランツール初勝利をあげた

ブエルタの期間中は、ルームメイトになったマルコ・マルカートと親交を深めた。大好きなスポーツカーの話題で盛り上がり、普段の生活についても語り合った。「“恋バナ”も聞いたよ」とはマルカート。灼熱のスペインにも、エアコンをつけたら風邪をひくかもしれないからと気を遣ったマルカートに、「大丈夫だよ、ガンガン冷やそうよ」と笑った若きリーダー。両者の良き関係は、マルカートがスポーツディレクターになった今もなお続いている。

ドーフィネでの100km逃げで首脳陣を翻意させる

パンデミックに全世界が揺れた2020年。サイクルロードレースシーンも3月に中断し、再開までおおよそ3カ月を要した。

この間もポガチャルは走り続けていた。レースが行われない分、トレーニングに集中できた。5月には当時自己最高となるパワー数値を記録。レース開催の見通しが立たない中でのトレーニングにも、モチベーションが下がることはなかった。ただ、さすがにやりすぎである。チームからストップがかかると素直に応じ、パートナーのウルシュカ・ジガートとピクニックを楽しむ時間に充てた。

開催時期が秋になったツールに向け、8月から本格的に再始動。前哨戦クリテリウム・デュ・ドーフィネでは最終・第8ステージで100kmを超える逃げを披露。ツールの総合エースとして戦うことを薦めていたパイパーの意見はなかなかチームの承認を得られなかったが、ドーフィネの走りで首脳陣も確信した。

チームを挙げて、ポガチャルを盛り立てる3週間が始まった。大会序盤こそエンジンがかかりきらず、第7ステージでは横風分断で後方に取り残されてしまった。それでも、2日後に5人による争いを制してツール初勝利。ここから快進撃が始まった。

山岳アシストをリタイアで失い、チーム力が薄まる状況にも落ち着いて立ち回った。第2週なかばで個人総合2位まで上げると、トップを走っていたログリッチを数十秒差で追い続けた。同国出身で、個人的な付き合いもあるという2人だが、このときばかりはマイヨ・ジョーヌをかけてバチバチに火花を散らしあった。

第19ステージまでを終えて、両者の総合タイム差は57秒。そして、運命の1日を迎える。

21歳と364日でのツール初制覇

第20ステージ。ラ・プロンシュ・デ・ベル・フィーユの頂上を目指す、36.2kmの山岳個人タイムトライアル。

ポガチャルには勝算があった。シーズンが中断する前からこの山に足を運び、幾度となくレコン(試走)を繰り返していた。その結果、どこでどのギアで踏み込むかのイメージができるまでになっていた。もう不安など何もなかった。チームバスでは昼寝をし、ウォーミングアップ開始のギリギリまでチームメートと他愛もない話で大笑いした。

会心の走りだった。スタート直後から見せた攻めの走りにどこか懐疑的だった関係者も、ファンも、ラ・プロンシュ・デ・ベル・フィーユでの鬼気迫るクライミングに言葉を失った。TTコースを55分55秒で走破したポガチャルに対し、初の個人総合優勝が懸かっていたログリッチは57分54秒。スタート前の総合タイム差はひっくり返り、逆にポガチャルがログリッチに59秒差をつけた。

ツール・ド・フランスに、新たな英雄が誕生した瞬間だった。

21歳の若さでツール・ド・フランスを制覇したポガチャル

同じスロベニア人ライダーが天国と地獄を味わっている。母・マルジェタは当時を振り返り、「スロベニア国内でもファンが二分していました。タデイのファンは大喜びし、プリモシュのファンは落胆していました。息子が勝ったことはうれしかったですが、国中がこんな感情になるとは想像していませんでした」。

21歳と364日でのツール制覇。「自分が何を成し遂げたのか、まだ実感できていないんだ。数年後には今とはまったく違う視点で今日のことを振り返られると良いね。ただ、それ以上にこれからのことについて考えたい」とパリで語ったポガチャル。

これからのこと…この頃は今ほどの強さを想像していたのだろうか。

文:福光 俊介

福光 俊介

ふくみつしゅんすけ。サイクルライター、コラムニスト。幼少期に目にしたサイクルロードレースに魅せられ、2012年から執筆を開始。ロードのほか、シクロクロス、トラック、MTB、競輪など国内外のレースを幅広く取材する。ブログ「suke's cycling world」では、世界各国のレースやイベントを独自の視点で解説・分析を行う

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