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サイクル ロードレース コラム 2022年9月28日

【Cycle*2022 UCI世界選手権大会 男子エリート ロードレース:レビュー】史上最強のメルクスと並ぶ22歳で戴冠!もはや伝説級のレムコ・エヴェネプール「涙が流れる理由はたくさんある」

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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独走でフィニッシュするレムコ・エヴェネプール

独走でフィニッシュするレムコ・エヴェネプール

誰もが口を揃えた。彼こそが間違いなく最強だった、と。それはあらゆる策をもってしても、決して封じ込めることなどできない絶対的な強さだった。すでに伝説級の22歳レムコ・エヴェネプール(ベルギー)が、自らの勝ちパターンに持ち込むと、26kmの独走で虹色の栄光をつかみとった。モニュメント初制覇、グランツール初総合優勝……と輝かしい快進撃を続けた2022シーズンを、世界選手権男子エリートロードレース初優勝で華々しく締めくくった。また無線もなく、状況がほとんど把握できぬ中、最後の最後までチームで攻め続けたフランスは、クリストフ・ラポルトを銀メダルに導き、マイケル・マシューズは地元オーストラリアのファンに銅メダルの歓喜をもたらした。

「信じられない。ずっと夢に見てきた勝利だ。今年の僕は自分にできる限りのすべてを勝ち取った。だから涙が流れる理由はたくさんある」(エヴェネプール)

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文字通りスタートからフィニッシュまで、退屈する暇など一切なかった。50カ国169人で構成されたプロトンは、世界一決定戦へと、例年以上にハイスピードで走り出した。中でも強豪国スイスが前方に突進を繰り返し、12人の逃げを作り上げる。スタートから約40km、6分半のリードとともに、最初の難関ケイラ山へと取り掛かった。

つまりは、いまだフィニッシュまで、230km近くも残っていた。たしかに登坂距離8.7km・最大勾配15%と本格的な山ではあったけれど、勝負を打つには早すぎる。

しかし、フランスは、ここで動いた。策士トマ・ヴォクレールの指揮の下、1年前は残り180kmで攻撃を開始したディフェンディングチャンピオン軍団は、今年はさらに大胆だった。ほんの数ヶ月前に所属国を変更し、生まれて初めてフランス代表に招集されたパヴェル・シヴァコフが、メイン集団内で麓から加速を切った。

「僕らアタッカーに与えられた役割は、あそこでレースを激化すること。それは成功させられた。しかも、僕はそこから逃げにも乗れた。完璧だった」(シヴァコフ)

大多数の選手にとって、おそらく、この攻撃は想定内でもあった。ワウト・ファンアールト(ベルギー)やタデイ・ポガチャル(スロベニア)、シュテファン・キュング(スイス)、マルク・ソレル(スペイン)という、複数のエース級が流れに乗った。マシューズが後方に留まった代わりに、オーストラリアは監視役に3人を送り込んだ。眠れぬ夜を過ごしたマチュー・ファンデルプールーー宿泊先で騒音問題に悩まされ注意したところ、子供を怪我させたとして、警察で朝4時まで事情徴収を受けていたーーが、出走わずか30kmで自転車を降り、急遽作戦変更を迫られたオランダからも2人が前に滑り込んだ。

もちろん最大枠8人+世界チャンピオンで、どこよりも多い9人出場という数的優位を、当のフランスは十分に利用した。前に出た約30人のうち……シヴァコフとロマン・バルデを含め、なんと5人がフランス!

フランスが勢力的に牽引した集団は、後方に一気に2分半近い差を押し付けた。ただ、当然ではあるけれど、加速に協力してくれる国はなかったし、背後では、逃げ遅れたドイツが猛烈な追走体制に入っていた。戦いの舞台がいよいよ全長17.1km×12回のウロンゴン周回コースに移動し、決して統率の取れない集団を見限って5選手が飛び出していくと……残りはいつしかメインプロトンに回収された。約1時間の奮闘だった。飲み込まれる間際に慌ててポガチャルやオランダ勢が加速も切ったが、無駄な抵抗だった。

先へと旅立った5人の新たなグループは、3年前のU23世界王者サムエーレ・バティステッラ(イタリア)のイニシアチヴで出来上がった。フランスからはシヴァコフがきっちり前に行き、オーストラリアはまたしても2選手を、ベルギーはベテランのピーター・セリーを配備した。いずれ劣らぬ自転車強豪国の実力者たちは、約3周回を経て、朝からの逃げにまんまと合流を果たす。

おかげで逃げに仲間を送り込んだ強豪国の面々は、再び150人ほどに膨らんだ後方メイン集団で、しばらく仕事から解放された。一方で追走作業を余儀なくされたのはオランダとスペインで、自転車大国の誇りにかけて、牽引を続けた。最大8分ほどに開いた遅れを、1周あたり1分〜1分半ずつ縮めていく。

フィニッシュまで5周回を残し、いよいよタイム差が2分を切った頃だった。周回の真ん中に突き出すプレザント山で、新たな一撃が振り下ろされる。

またしても動いたのはフランスだ。残り78km、短い急坂を利用して、カンタン・パシェが2度、3度と畳み掛けた。間髪入れず強豪国はチェックに動いた。大きなひとつの塊が、山のてっぺんから、抜け出していった。

「あそこで我々はミスを犯した。あくまでレースを激化するための動きであり、あれほど多くの選手を連れて行く予定ではなかった。少し警戒が足りなかったのかもしれない」(ヴォクレール)

しかもミスは1つではなかった。飛び出した20人の中に、ベルギーが3人も潜り込んでいた。そのうちの1人が、後に世界王者となるレムコ・エヴェネプールだった。もちろんフランス側も3人、つまりパシェ、バルデ、フロリアン・セネシャルを前に送り出したが、いわゆるエース格を欠いていた。前回覇者ジュリアン・アラフィリップも、ブノワ・コスヌフロワも、ヴァランタン・マデュアスも、この決定的な動きに不在だった。

すぐに脚を止めるべきだった。そんな批判が後に噴出することになるが、無線がなく、状況把握が極めて難しい中で、飛び出したフランス選手たちはひたすら前へ突き進んだ。今度はベルギーも作業に加わった。なにしろ「前にレムコ、後ろのワウト」という計画通りの体制に持ち込めたのだ。平地ではスタン・デウルフが引き、上りではクイントン・ヘルマンスが速いテンポを刻んだ。

しかも残り59km、9回目のプレザント山頂からは、エヴェネプール自らが凄まじいダウンヒルさえ披露した。もはや他国の思惑など届かなかった。先頭集団をすばやく飲み込み、自陣のセリーを回収しつつ、突進を続けた。残り230km地点で飛び出して以降、一切先頭交代を拒否していた名アシストは、いよいよエースのために本気の牽引に転じた。たった1周半で、後方のライバルたちには2分以上の差を押し付けた。

「フランスが動いた瞬間から、何も考えずに、ひたすら全力で走った。で、ある時点でタイム差を確認して、よし、行ける、と考えた。それでも攻撃的な走りを続けたかった。だって、これは、同時に守備的な走りでもあったから。背後にはワウトがいた。スプリントにもつれ込んだ場合に備えて、彼は体力を温存できるはずだったから」(エヴェネプール)

後方では、またしても乗り遅れたスペインやドイツが、がむしゃらにに引いていた。前にパスカル・エーンコーンが走っていたけれど、オランダも追走に協力した。3人が前にいるフランスさえも、しばらく先でミスに気がつくと、後方で隊列を走らせた。遠ざかっていくチャンスを手元にどうにか引き戻そうと、10回目のプレザント登坂では、ポガチャルも加速を切った。全長1.1kmの短い上りだけで、メイン集団は一気に40秒も縮めた。

ただし、あらゆる謀反の動きに、軽々とファンアールトも追随した。「後ろのワウト」の存在が、間違いなく追走編隊の邪魔をした。ライバルチームはすぐに睨み合いを再開し、再びタイム差は広がっていく。

「レムコの飛び出しは、他のチームにとって危険な状況だった。ベルギーにとっては最高の展開以外のなにものでもなく、おかげで僕は、集団内に楽々と留まっているだけでよかった」(ファンアールト)

ライバルたちに出来ることは、もはや、それほど残っていなかった。エーンコーンとアレクセイ・ルツェンコ(カザフスタン)が、レムコを引き剥がそうと、勇敢な突進を試みた。すでに1回目の攻撃でも前にいたバルデは、「できるだけレムコの後輪に張り付くこと」を選ぶしかなかった。疑心暗鬼のライバルたちは、ひたすら睨み合い、互いの動きを潰しあった。

こんなレムコ包囲網を切り裂くように、エヴェネプールが強烈な加速をお見舞いした。残り2周回に入る手前の、一瞬の隙を突いた。ただルツェンコだけが、エヴェネプールの背後に飛び乗れた。

残念ながら、10年前にU23世界チャンピオンの座を射止めたカザフの星も、長くは抵抗できなかった。必死にエヴェネプールとの共闘を続けていたが、11回目のプレザント登坂で、とどめを刺された。

「脚が急に動かなくなった。6時間ものレースの終わりで、もはや空っぽだった。もしかしたら、その前に、少し力を使いすぎたのかもしれない。。でも……レムコの前には、いずれにせよ、なにもできることはなかった」(ルツェンコ)

スタートからすでに240kmもの距離を走っていた。レース長ければ長いほど、終盤にライバルたちの爆発力は衰えて行き、どんどん僕にとって有利になるーー。そうスタート前に笑っていたエヴェネプールは、ダンシングスタイルでさらにスピードを上げた。ほんの2週間前にブエルタ・ア・エスパーニャを制し、1週間前には世界選個人タイムトライアルで3位銅メダルを手にし、いまだエネルギーに満ち溢れる22歳が、残り26km、得意の独走態勢に持ち込んだ。

「ひとりで行きたかったんだ。今日のような周回コースでは、時間を無駄にしている暇などなかったから」(エヴェネプール)

4年前にはジュニア世界選を20kmの独走で圧倒した。3年前は初めてのクラシックを9kmの一人旅で勝ち取った。今年のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュは15.5kmで、サンセバスティアンは44.5km。ブエルタでも自ら攻撃した区間は、決して誰にも先行を許さなかった。ひとたびエヴェネプールが加速を切れば、それは常にすべての終わりを意味した。孤独を恐れない神童は、この日も、脇目も振らずにフィニッシュまでひとり先頭で駆け抜けた。

前日まで虹が架かっていた空からは、初春の陽光が降り注いでいた。まさに太陽王の戴冠。自転車を本格的に始めてわずか5年半で、エヴェネプールは世界チャンピオンになった。

「未来がどうなるかなんて分からなかった。ただひたすら努力し続けてきただけ。自分自身を信じ、今日のような日がいつか来ると信じて……」(エヴェネプール)

この秋を最後に自転車を降りるフィリップ・ジルベール以来となる、10年ぶりのアルカンシェルを、母国ベルギーにもたらした。またベルギーが生んだ史上最強の自転車選手エディ・メルクスと同じ、22歳での初優勝であり、1989年にツール総合3勝グレッグ・レモンが達成して以来となる、グランツール&世界選手権同一年制覇だった。しかも1つのシーズンでモニュメントとグランツール、さらに世界選手権を勝ち取ったのは……アルフレド・ビンダ、メルクス、そしてベルナール・イノーに次ぐ史上4人目の快挙!

「信じられないよね。今年のようなシーズンは、すぐには繰り返せないだろうから、今は自分が成し遂げたことをできる限り満喫したい。クレイジーな1日だったし、クレイジーなシーズンだったよ。そして今年のレースはこれで終わり!」(エヴェネプール)

レムコがルツェンコと共に遠くへ走り去ってしまった直後、すべての選手が負けを理解した。約2分半後ろを走っていたメイン集団にも、いつしか情報は伝わった。もはや遠慮する必要のなくなったファンアールトは、自らが攻撃に転じたことさえあった。すかさず動いたのはアラフィリップだった。2連覇中のチャンピオンは、さらには集団制御を試みた。「前にロマンが残っていたから」でもあり、なにより上りで遅れがちなラポルトが、集団から千切れぬよう助けるためだった。

「ジュリアンの動きを見て、もう無駄だからやめろ、と言いたかった。もはや僕自身は『終わりだ』と思っていた。でも選手たちは諦めていなかった。あれほどのタイム差があったにも関わらず、最後の最後までチームとして結束して動いた」(ヴォクレール)

もちろん、前を走っているのが果たして何人なのか、どんな状況なのか……無線のない中、集団内の選手たちは一切知らなかった。残り17.1kmの最終周回に入った時点で、2番手を走っているルツェンコとは、いまだ1分50秒もの差があった。追走する4人に対しても1分25秒の遅れ。その次の集団にいたバルデ自身は、「後ろから仲間たちが追いついてくれることを願い」つつ、グループ内の最後尾で足を止めていた。

残り4kmでルツェンコが捕らえられた。残された表彰台の2つの座を巡って、誰もが警戒し合った。ラスト1kmでは、まるでトラック競技のように、脚を止めさえした。残り900mでは、後方から矢のようにエーンコーンが追いついてきた。ラスト600mではバルデ集団も合流し、そのままヤン・トラトニク(スロベニア)が渾身のロングスパートも見せた。ところが残り300m、遥か後ろにいたはずのメイン集団から、20選手が弾丸のように追いついてきた!

「最終周回に入った時、メダルを望むには、あまりにもタイムが離れすぎていた。でもジュリアン(アラフィリップ)が牽引してくれた。それからブノワ(コスヌフロワ)が、『アタックするぞ』と加速を切った。ヴァランタン(マデュアス)もやってきて引いてくれた。だから僕は後輪にしがみついた。そしたら前方に集団が見えて……さらに2人は全力で引っ張ってくれた」(ラポルト)

表彰台で肩を組む3人

表彰台で肩を組む3人

今日の使命は「ひたすらケツの穴を締めて前にしがみついていくこと」だったというラポルトは、あとは無我夢中でスプリントを切った。マシューズもファンアールトも口を揃えて言うように、「何位争いなのか、まったく分からなかったけど」、とにかくチームの仲間たちのためにもがいた。そしてエヴェネプールから2分21秒遅れでラインを越えた直後に、自らが銀メダルだったことを理解した。7月のツール・ド・フランスで、母国フランスに唯一のステージ優勝を献上したスプリンターが、オーストラリアの世界選手権でも、フランス代表の名誉を救った。

また史上初のオーストラリア開催だった2010年大会で、U23世界チャンピオンに輝いたマシューズは、史上2度目のウロンゴン大会では、男子エリートで3位表彰台に上った。

「今朝、今日は3位に入るよと言われたら、きっと少しがっかりしたと思う。でもこうしてレースを終えてみると、すごく満足している。ここオーストラリアで、自国ファンたちの目の前で表彰台に上がれたんだ。これ以上すごいことなんてないからね。残念ながら胸に虹色のストライプはないけど、決してトライしなかった結果ではない」(マシューズ)

タイムトライアルを辞退し、ロード一本に絞り込んだファンアールトは4位に終わった。同僚レムコの勝利を喜びつつ……自らが表彰台を逃したことに関しては、「無線なしの悲劇」と語る。メダルを穫れると思わなかったからこそ、普段は自らのアシスト役を務めるラポルトの背後で、本気のスプリントを切らなかったということらしい。

「終わった後にラポルトから、彼が2位だったと告げに来た。びっくりしたよ。がっかりもした。だってレムコと一緒に表彰台に上がれるだけの脚が、僕にはあったはずだから」(ファンアールト)

ラポルトがスプリントを制したわずか40秒後に、新城幸也を含む集団がフィニッシュにたどり着いた。単騎参戦ながらも、最終周回のプレザント山までメイン集団に踏みとどまり、最終的には39位。大会3日前に38歳の誕生日を迎えた大ベテランは、日本のエースとして、アンダー時代から通算して自身16度目の世界選手権を走りきった。

南半球での世界一決定戦を終えたプロトンは、ヨーロッパで、そしてアジアで、なにより日本で、シーズン最後の激闘を繰り広げる。エヴェネプールのアルカンシェルお披露目を2023年まで楽しみに待ちつつ、2年間の虹色生活を終えて身軽になったアラフィリップや、まだまだ勝ちたりないポガチャル、そしてツール・ド・フランス総合制覇から2ヶ月、いよいよレース活動を再開するヨナス・ヴィンゲゴーらの、北イタリアでの登坂バトルに……まずは熱い視線が注ぎたい。

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【ハイライト】UCI世界選手権 男子エリート ロードレース|Cycle*2022

文:宮本あさか

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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