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サイクル ロードレース コラム 2022年8月16日

【Cycle*2022 アークティックレース・オブ・ノルウェー:レビュー】9年ぶりに地元王者が誕生! アンドレアス・レックネスンが最終日に会心の逃げで大逆転「僕にとってのサイクリングの原点で勝てるなんて夢のよう」

サイクルロードレースレポート by 福光 俊介
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アンドレアス・レックネスン(チーム ディーエスエム)

アンドレアス・レックネスン(チーム ディーエスエム)

幼き日に見た光景をひたすら追いかけていた。大会最終日、フィニッシュまで98kmを残したところで逃げを打ったアンドレアス・レックネスン(チーム ディーエスエム)は、勝ちたいとか、目立ちたいとか、スポーツの本質的なところとは違った感情に背中を押されていた。ここは自身にとってのサイクリングの原点。北極圏の街・トロムソで育った23歳にとって、「サイクルロードレース」はアークティックレース・オブ・ノルウェーだった。

「このレースを走っている選手たちが僕の憧れだったんだ。まさに、自転車に乗ろうと思ったきっかけがこのレース。参加するだけでも特別なことなのに、まさか勝ってしまうなんて...とてもエモーショナルだよ!」(アンドレアス・レックネスン)

4日間で争われた大会の最後に、“できすぎた”シナリオが待っていた。トップから総合タイムで36秒差につけていたレックネスンが逃げに逃げて、独走で最終日のフィニッシュに到達。それまでの個人総合上位陣が追い切れなかったこともあり、23人をごぼう抜きして「地球上、最も北で開催される国際ステージレース」2022年大会の王者に輝いた。地元ノルウェー人ライダーが勝つのは、2013年大会のトル・フスホフト以来2人目の快挙である。

大会前からノルウェー勢への期待は高かった。最高峰のUCIワールドツアーですでに活躍しているレックネスンやトビアス・ヨハンネセン(ウノエックス・プロサイクリングチーム)といった若手に、実績十分のエドヴァルド・ボアッソンハーゲン(トタルエナジーズ)やカールフレドリク・ハーゲン(イスラエル・プレミアテック)らも意気揚々と北極圏での戦いに乗り込んでいた。これまでになく勝てるメンツがそろったノルウェー人ライダーに、地元メディアもファンも、9年ぶりの大会制覇を望むのは自然な流れだった。

そんな開催地の人々の思いとは裏腹に、第1ステージから主導権を握ったのはフランスの伝統チーム・コフィディスだった。新鋭のアクセル・ザングルが上りスプリントを制してレースリーダーになると、第2ステージも労せずその座をキープ。ちなみに、このステージではツール・ド・フランスでも勝利を挙げたディラン・フルーネウェーヘン(チーム バイクエクスチェンジ・ジェイコ)が貫録勝ち。

大自然の中を走り抜けた

大自然の中を走り抜ける

1級山岳スカルストゥッグ・サミットを上った第3ステージでは、ヴィクトル・ラフェが勝ってチーム内でリーダージャージが移動。昨年のこの大会ではヤングライダー賞を獲り、個人総合でも3位。今年は個人総合優勝候補の一角と目されていただけに、ここで勝負あったかに思われた。

もっとも、第3ステージを終えてノルウェー勢最上位の個人総合4位につけていたスヴェンエリック・ビーストルム(アンテルマルシェ・ワンティ・ゴベールマテリオ)が体調を崩し、大会最終日に走れなくなったこともラフェ、そしてコフィディスに追い風となる要素...のはずだった。

ただ、勝負は終わるまで分からないものである。人々の予想をはるかに上回る展開が、最後に待っていた。

短期決戦のステージレースらしく、最終日に捨て身のアタックが各所で起こった。それなのに、スタートから60kmを過ぎてようやく決まった逃げは、たったの3人。すぐにリーダーチームのコフィディスがメイン集団のコントロールを始め、個人総合2位のケヴィン・ヴォークラン擁するチーム アルケア・サムシックも加勢。セオリー通りであれば先頭の3人は形勢的に不利なはずだった。何よりも、逃げに乗り込んだレックネスン自身がそれを一番分かっていた。

「正直、スポンサーアピールのための逃げになったと感じていたよ。チームとしては誰かを先頭に送り出したいと思っていたのだけれど、3人しか前に行かなかったのは想定外だった。その瞬間から、僕の目標はトロンハイムの周回コースで最低1周逃げ続けることになったんだ」(レックネスン)

トロンハイムの市街地サーキットに入ってレックネスンは逃げグループを崩した。上りを利用してアタックすると、一緒に逃げてきた2人はあっけなく後退。そこから始まった独走は、目標としていた1周を超え、2周、3周と続いた。

大方の見立てとは対照的に、メイン集団はレックネスンの逃げに手を焼いていた。タイム差が思ったように縮まらず、やがてコフィディスもチーム アルケア・サムシックもアシスト陣のペーシングが機能しなくなっていった。何より、リーダーチームであるコフィディスにはトラブルが発生していたのである。

「なぜか逃げメンバーに関する情報が入ってこなかったんだ。レックネスンが逃げていたことすら僕は知らなかった。それがラジオツールの問題だったのか、チーム内の連係ミスだったのかはこれから検証しないといけない。いずれにしても、僕もチームメートも、何をすべきか分からない状態に陥っていたんだ」(ヴィクトル・ラフェ)

大慌てで追撃態勢に入ったのが、残り2周を切ってからのこと。総合タイム差9秒で3位につけていたユーゴ・ウル(イスラエル・プレミアテック)らがアタックし、第1ステージで勝ったザングルらが同調。その1つ後ろのグループでラフェが前線合流を目指す。

ただ、一度発生した混乱は最後まで正常化することはなかった。残り5kmで第1追走グループからニコラ・コンチ(アルペシン・ドゥクーニンク)が猛然と飛び出して、45秒ほどあったタイム差を16秒まで縮めたが、それ以上迫ることはできなかった。まごつく追走メンバーを尻目に、レックネスンはひとりでフィニッシュへと到達。その頃には個人総合トップに立つ可能性があることは耳にしていたのだろう。最後まで踏み切って、フィニッシュラインを通過してからようやくウイニングセレブレーションを決めたのだった。

アンドレアス・レックネスン(チーム ディーエスエム)

アンドレアス・レックネスン(チーム ディーエスエム)

「周回コースに入ってからは、大歓声を独り占めできただけで満足だった。コース脇には友人や家族がいたし、僕の名前を呼んでくれたファンもいた。彼らのために全力で走ったよ。それに、追いついてくると思っていた集団がいつまでも来なかったので、何かが起こっていると悟ったんだ。そうしたら、チームメートが無線で“みんな苦しんでいるから逃げ続けろ”って。一気にモチベーションが高まったね」(レックネスン)

前日にはクイーンステージで26秒遅れ。秒差の争いとなるのが慣例のこの大会においては“大敗”で、メンタルにきてしまっていた。走る気力がなくなっていたが、首脳陣の励ましもあって“渋々”出走していたのだという。「チームから誰かが行かないとといけなかったから」乗った逃げで、会心のステージ優勝。そして、大・大・大逆転でアークティックレース・オブ・ノルウェー第9代チャンピオンに輝いた。

ポディウムで“白夜の太陽”ミッドナイト・サン・ジャージに袖を通し、たくさんの拍手と歓声に酔いしれたレックネスンは23歳。才能の宝庫であるノルウェー自転車界にあって、その可能性は随一ともいわれる。将来的にはグランツールレーサーとしての活躍が見込まれ、今年はツールに初出場。きっちり完走し、その前哨戦であるツール・ド・スイスではステージ1勝を挙げた。

能力の片鱗を少しずつ見せ始めているなかでの、アークティックレース・オブ・ノルウェー制覇。かつてこの大会で勝ったステフェン・クライスヴァイクは後にツールで個人総合3位になったし、ディラン・トゥーンスはクラシックレーサーとして羽ばたいた。北極圏で勝つこと…つまりは将来を約束されたようなものである。レックネスンはこれからどんなライダーに育つのだろう。われわれは、彼がスターへの階段を一歩踏み出した瞬間の目撃者となった。

文:福光 俊介

福光 俊介

ふくみつしゅんすけ。サイクルライター、コラムニスト。幼少期に目にしたサイクルロードレースに魅せられ、2012年から執筆を開始。ロードのほか、シクロクロス、トラック、MTB、競輪など国内外のレースを幅広く取材する。ブログ「suke's cycling world」では、世界各国のレースやイベントを独自の視点で解説・分析を行う

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