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サイクル ロードレース コラム 2008年7月11日

【ツール・ド・フランス2008】第6ステージレースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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第1ステージ8人中4人、第2ステージ4人中4人、第3ステージ4人中2人、第5ステージ3人中3人。つまりツールここまでのステージで大エスケープに乗った19人中、13人がフランス選手である。そして結果は区間優勝1回(第3ステージサミュエル・ドゥムラン、コフィディス)、マイヨ・ジョーヌ1日(第3ステージ後にロメイン・フェイーリュ、アグリチュベルが獲得)、マイヨ・ア・ポア1人(トマ・ヴォクレール、ブイグテレコム)、敢闘賞3回(第1・2・5ステージ)。

そして第6ステージも、逃げを始めた3人中、3人ともがフランス選手!すでに第2ステージで大逃げ敢闘賞を獲得しているシルヴァン・シャヴァネル(コフィディス)が6km地点で飛び出すと、ブノワ・ヴォグルナール(フランセーズデジュー)とフレディ・ビショ(アグリチュベル)が後に続く。一瞬たりとも平坦で真っ直ぐな地面が見つからない、ひどく細く曲がりくねった道が続くステージ前半、3人はプロトンに5分程度のタイム差を開いた。

またこの日登場した4つの山岳ポイントのうち、3つをシャヴァネルが先頭通過する。そして第2ステージの大逃げで稼いだ11ポイントに、新たに16ポイントを計上すると、山岳賞ジャージを手に入れた。同時に今ツール2回目の敢闘賞も獲得。嬉しいことに今ツールのフランス人賞暦がまた2つ増えたのだが、残念ながら区間勝利には手が届かなかった。今ツール最初の“公式な”山頂フィニッシュ(第1ステージは登りフィニッシュであり、山頂フィニッシュではない)に向けて猛突進してきたメイン集団に、残り20km地点で飲み込まれてしまったのだ。

そのメイン集団内では、吸収のはるか前の残り50km地点過ぎから、ゴール直前までめくるめくアタック合戦が繰り広げられていたレミ・ポリオル(クレディアグリコル)に始まって、アレクサンドル・ボチャロフ(クレディアグリコル)、クリストフ・ルメヴェル(クレディアグリコル)、ヴォクレール、サンディ・カザール(フランセーズデジュー)、ローラン・ルフェーヴル(ブイグテレコム)、アマエル・モワナール(コフィディス)、ダヴィ・モンクティ(コフィディス)、クリスティアン・ヴァンデヴェルデ(チームガーミン)、ウラディミール・エフィムキン(アージェードゥゼール)、レオナルド・ピエポリ(サウニエルドゥバル)etc...。数々の選手がチャンスを信じて単独、もしくは2人でのアタックを打って飛び出しては、吸収されていった。

残り1.5kmから残り1kmを示すフラム・ルージュまで、真っ直ぐに続く急坂。ここで2006年ツール勝者のオスカル・ペレイロ(ケースデパーニュ)が、前日の落車で右腕と右足を痛めたアレハンドロ・バルベルデ(ケースデパーニュ)を強烈に引き始める。ゴール後に「もうボクのことを“予想外”の勝者と呼ぶ人間はいなくなるだろうね」とペレイロ本人が自信満々で断言したほどの高速アシストで、瞬く間に前方集団は小さくなっていく。ところが満を持してペレイロが脇に退いたとき、肝心のリーダーは攻撃に転じることが出来なかった。そして「落車の傷跡が痛んで前夜は2時間しか眠れなかった」バルベルデが、「一瞬ためらった」のを“コブラ”は決して見逃さなかった。

バルベルデの背後から飛び出したリカルド・リッコ(サウニエルドゥバル)は、そのままスピードを落とさずゴールラインまで駆け抜けた。2007年のジロでグランツール初勝利を上げ、2008年ジロでも区間2勝を挙げているが、ツールでは今回が人生初めての勝利。ちなみに昨ジロでは総合争いのストレスのせいか、インタビュー中には無愛想に毒舌を振りまいていたが、この日は比較的笑顔で記者陣の質問に答えていた。リッコが認めるように、「ツールはあらゆる自転車選手が憧れ、世界中のファンが注目する威厳ある大会」だからなのだろうか。

またマイヨ・ジョーヌのステファン・シューマッハー(ゲロルシュタイナー)は最後まで先頭集団内で走りながら、ゴールまで500mを切った地点でまさかの落車。通常ステージならばゴール前3km以内で落車・メカトラブルなどのアクシデントがあった場合、たとえゴールが遅れたとしても、事故時点に所属していた集団のゴールタイムが与えられる。ところがこの「3kmルール」は、個人タイムトライアルと山頂フィニッシュには適応されない・・・。つまり区間首位から32秒遅れでゴールラインを超え、数字通り32秒失った。そしてマイヨ・ジョーヌは、首位から7秒遅れ区間5位に入ったキム・キルシェン(チームコロンビア)のもとへと去ってしまった。

1958年にツール総合優勝を果たしたシャルリー・ゴール以来となる、50年ぶりのルクセンブルク人マイヨ・ジョーヌ。ルクセンブルク記者たちは「いつかキルシェンとシュレク兄弟、3人がパリの表彰台を独占する可能性も!?」と大騒ぎ。また前日マイヨ・ヴェールを手に入れ、「キルシェンに要注意だ」と語っていたトル・フースホフト(クレディアグリコル)から、わずか1日でマイヨ・ヴェールも取り戻している。


●リカルド・リッコ(サウニエルドゥバル・スコット)
ステージ優勝

まさにボク向きのゴールプロフィールだった。それからケースデパーニュの仕事を上手く利用した形になったね。ペレイレが最終盤すごい走りを見せていたけれど、彼が脇に退いたとき、バルベルデが一瞬ためらったんだ。その瞬間、ボクは飛び出した。ゴール前300mでスプリントを切って、最後まで逃げ切ることができた。

ツールには区間優勝を挙げるためにやってきた。第6ステージで早くも目標達成さ。今後の目標はチームメイトのピエポリを勝たせること。今日もすごい仕事を成し遂げてくれたからね。ボクに関しては1日1日を戦っていきたい。ここには経験を積むためにやってきたし、ストレスを抱えたくない。ジロではあまりにストレスが大きかったから、あの時みたいな状況に自分を追い詰めたくないんだ。

コンタドールは特別な調整をせずにビーチバカンスの直後にジロを勝ったけれど、ボクもジロ直後に1週間ビーチバカンスに出かけたよ。ただその後は自転車トレーニングを再開していたんだ。確かに予定外の出場だった。でもコンタドールのような快挙を成し遂げられるとは思わないよ。


●キム・キルシェン(チーム・コロンビア)
マイヨ・ジョーヌ&マイヨ・ヴェール獲得

最後の峠でアタックを打つなんて不可能だった。向かい風が強かったから。むしろ最後の500mでライバルを引き離そうと考えていたんだ。でもスプリントを切ろうと思った瞬間、ちょっと足止めを食ってしまった(シューマッハーの落車)。でもボクは彼の前にいたんだし、最後の2kmでは彼の姿さえ見なかった。だからボクは何が起こったのかわからないんだよ。ボクのせいだ、とシューマッハーが言っているのにも驚きだ。

今後はピレネーで自分にどんな走りが出来るか見ていきたい。もしもピレネーで上手くいったら、アルプスやパリへ望みをつないでいく。でもパリはまだまだ長い。今は素晴らしいコンディションを保っているし、自分でも自分の絶好調ぶりに驚いているほどだよ。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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