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サイクル ロードレース コラム 2010年5月22日

【ジロ・デ・イタリア2010】第13ステージレースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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翌日から2010年ジロはいよいよ難関山岳続きの恐ろしい大会第3週目に突入する。残り8日間で選手たちを待ち受けるのは、山岳タイムトライアルを含む5つの山頂フィニッシュ!山間にぽっかりと平坦な18ステージが待っているが、最終日もスプリンターにはまるで嬉しくない個人タイムトライアルだ。つまりヒルクライマー&総合争いの選手以外にとっては、この第13ステージこそが区間優勝を手にする最後から2つ目のチャンスとなった。なんとも貴重な機会を逃すまいと、スタート直後からプロトン前方ではアタックの動きが幾度となく見られた。

逃げを試みたメンバーの中には新城幸也の姿も見られた。第5ステージでは大逃げへとつながるアタックを決めた新城だが、この日のプロトンは「日本の危険人物」を逃がしてはくれなかった。そして新城が吸収された直後に、17人の集団が飛び出した。時速44km近くで延々1時間半続いアタック合戦は、こうして63kmでようやく打ち止め。逃げ集団は順調にタイム差を開いていき、一方でプロトンはようやく落ちついた雰囲気を取り戻しただろうか。ペースを少しだけ落とし、しばらくは先頭17人の逃げるがままにしておいた。

223kmの長いステージも3分の2を終えた頃から、後方の選手たちも再び仕事に取り掛かりだした。第11ステージの世紀の分断劇で一躍表彰台候補に躍り出たダビ・アローヨ擁するケースデパーニュを筆頭に、サーヴェロ・テストチームやリクイガス・ドイモといった総合本命を抱えるチームが集団コントロールに努める。ところが今ステージ登場した最初の山岳ポイントを利用して、総合ライバルたちの監視をかいくぐり、前日の時点で総合19位のウラディミール・カルペツと総合7位のリーナス・ゲルデマンが飛び出してしまった!残念ながらゲルデマンは山を下りきった先でプロトンに回収されてしまったが、カルペツは前方の逃げ集団にこそ追いつけなかったものの、後方のライバルたちの追随を許すこともなかった。優勝候補たちが属するメイン集団から2分26秒先んじてゴールしたカルペツは、総合では一気に14位へとジャンプアップ。つまり3日前までマリア・ローザを着ていたアレクサンドル・ヴィノクロフと、彼に次ぐ位置に付けていたカデル・エヴァンスの間に、まんまと割って入ることに成功したことになる。

結局プロトンからそれほど厳しい追い上げも受けず、後ろから飛び出してきたカルペツの追走もかわしきった17人の先頭集団は、十分なリードを保ったまま存分にゴール勝負を繰り広げることが可能だった。スプリントに持ち込みたくない選手たちが抜け駆けやカウンターアタックを仕掛け、スピードゴールに自信を持つ者たちは飛び出しを執拗につぶし続けた。そして一回り小さくなって最終ストレートへと飛び込んできた集団内では、誰もが強力スプリンターのグレゴリー・ヘンダーソンを最大限に警戒し続けたが……、ゴール前300mで力強い加速を見せたマヌエル・ベッレッティがサプライズの勝利をさらってしまった。

ストラーデ・ディ・カーザ、つまり「地元の道」で絶対に勝ちたかったんだ、とベッレッティは感激に胸を詰まらせた。この日のゴール地からわずか数キロしか離れていないチェゼナで生まれ、125km地点のリミーニで人生を終え、ゴール地のチェゼナーティコに眠るマルコ・パンターニへと捧げられたこのステージを制したのは、なんとチェゼナ生まれの24歳だった。コッピへのオマージュステージ(第5ステージ)はコッピの命日のちょうど20年後に生まれたジェローム・ピノーが手に入れているし、2010年ジロは天国のサイクリストたちの見えないアシストが効いているのかもしれない。「自宅前を通って、それからパンターニの生家の前を通った。たくさんの応援と、信じられないようなパワーをもらったよ」と語るベッレッティにとっては、自身初のジロ参加で初めてのグランツール区間勝利。また100%イタリア人のみで構成されているコルナゴCSF イノックスの一員として、今ジロに2日連続2回目のイタリア人勝利をもたらしている。

マリア・ローザのリッチー・ポートを含む総合争いの面々はそろって7分26秒遅れで1日を終えた。ステージ序盤に存在感を見せた新城は7分55秒差でゴール。


■マヌエル・ベッレッティ(コルナゴCSF イノックス)
ステージ優勝

信じられないような勝利だね!ゴール前5kmで生まれ故郷を通った。誰もがボクを応援してくれた。それからゴール前3kmでパンターニの生家。彼と話をする機会には恵まれなかったけれど、彼の伝説を聞きながらボクは大きくなった。なによりボクがレースを始めたのは、彼と同じチェゼナーティコの自転車クラブへの入会がきっかけだった。

ラスト1キロでアタックがかかったけれど、ボクはヘンダーソンだけをマークし続けた。そして彼の背後に入ったんだけど、勝てるとは信じていなかった。ボクにとって夢のような話でしかなかった。それに第8ステージのテルミニッロで気温が低かったせいでヒザをいためていたし、第11ステージでは落車してグルペットでレースを終えた。でも最初の登りで意外と悪くなかったから、今日はいけるかもしれない、という感覚を抱いていたんだ。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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