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サイクル ロードレース コラム 2010年7月6日

【ツール・ド・フランス2010】第2ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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またしてもファビアン・カンチェッラーラ(チーム サクソバンク)の長期政権になるかと思われていたが、マイヨ・ジョーヌをわずか2日で脱ぐことになった。それもカンチェッラーラ自らの意思で。「マイヨ・ジョーヌよりも考えなくてはならないものがある」と言い放って。しかし彼の取った行動は、プロトン内に大きな波紋を呼んでいる。

レース前方では、間違いなく激しい戦いが繰り広げられた。昨4月のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュにおける激しい落車のせいでしばらく前線から離れていたシルヴァン・シャヴァネル(クイックステップ)が、スタート直後にアタック。すぐに飛び出しは決まらなかったものの、シャヴァネルは執念深く加速を続ける。するとプロトンとの距離はじわじわと開き、他の7選手の合流もあったおかげで、スタート10kmでついにエスケープを成功させた。先頭集団の顔ぶれはジロ山岳賞のマシュー・ロイドとユルヘン・ルーランズ(共にオメガファルマ・ロット)、マルクス・ブールクハート(BMCレーシングチーム)、ライン・ターラメエ(コフィディス・ル クレディ アン リーニュ)、セバスティアン・テュルゴー(Bbox ブイグ テレコム)、そしてフランチェスコ・ガヴァッツィ(ランプレ・ファルネーゼヴィーニ)。さらにはシャヴァネルのチームメイト、ジェローム・ピノーの姿も。

実はシャヴァネルは、スタート前からピノーと共に逃げようと企んでいた。いや、どうやらかなり以前からこのステージに印をつけていたようだ。確かに大会直前インタビューでも「第2ステージで逃げて山岳ジャージを取りたい。だってうまくやれば、アルプス突入までジャージを守れる可能性があるから」と語っていた。ところが2010年ツール最初の山岳ジャージを着用する権利は、あっさりとピノーに譲り渡した。シャヴァネルとピノーは2002年から3年間、今のBbox ブイグ テレコムの前身チームで共に走った仲間であり、2009年にはシャヴァネルがピノーを誘って一緒にクイックステップへと入団している。しかも今ツールの2人はホテルのルームメイト!つまりこんな仲良しの2人は、互いの利益をうまく分かちあった。まずはこの日登場した6つの峠のうち、最初の4峠をピノーが全て先頭通過。13ポイントを獲得し、見事、大会初の赤玉ジャージを決めた。

5つめの山——ベルギーの英雄エディ・メルクスの記念碑が山頂に建つ——ストクー峠で、シャヴァネルが自らの行動に出るときがやってきた。一時は7分ほど開いていた後方プロトンとの差は55秒にまで縮まり、「勝つためには行くしかない」と、一か八かの加速を行ったのだ。この55秒差は最終的には3分56秒まで広がり、区間勝利どころかマイヨ・ジョーヌさえも手に入るのだが……このときのシャヴァネルにはもちろん知る由もない。断続的な雨で滑りやすくなった道で、いつもの攻撃的精神を発揮して(ときには無謀なアタックばかりして勝てないことを「シャヴァネル風」と揶揄されたこともあったけれど)、そのまま必死で走り続けただけだった。そして結果的にはこの捨て身のアタックが、自身2度目のツール区間優勝を引き寄せた。落車で「血の海」(byピノー)の中で倒れてから、わずか2ヶ月後の大復活劇である。

シャヴァネルが加速したストクー峠の、狭くて曲がりくねった下り坂で、この日の運命を変える落車が発生した。多くの者が濡れたアスファルトに車輪を取られ、草むらに投げ出された。審判団が確認しただけでも20人がひどい怪我を負い、ウラディミール・カルペツとロビー・マキュアン(共にチーム・カチューシャ)、そしてタイラー・ファラー(ガーミン・トランジションズ)がレース後に救急病院へと搬送された。これ以外にも小さな傷を負った選手は多いだろう。ランス・アームストロング(チームレディオシャック)はヒジとお尻をすりむいたし、アルベルト・コンタドール(アスタナ)もヒザを赤くしていた。マイヨ・ヴェールのアレッサンドロ・ペタッキ(ランプレ・ファルネーゼヴィーニ)も転んだ。

なによりTV中継で全世界に大写しとなったのは、アンディ・シュレク(チーム サクソバンク)だろう。左ヒジを押さえながら、路傍に呆然と立ちすくむ昨ツール総合2位の姿。さらに後から追いついたチームメイトのマッティ・ブレシェルが、自らの自転車を差し出す場面。そして難を逃れて前を行くカンチェッラーラが、後ろの様子を気にしながら、ペダルを漕ぐ足を緩めていく経過。……これら全てが画像にとらえられていた。もちろんアンディ自らがやはり落車した兄フランクを引く姿や、サーベロテストチームが仕掛けようとする加速を遮るカンチェッラーラの毅然とした態度、走行中のカンチェッラーラがレース委員長ジャンフランソワ・ペシューに直談判する場面も。こうして一時は4分半以上遅れていたシュレク兄弟はもちろん、アームストロングやコンタドールを含む追走集団も無事にカンチェッラーラ集団(エヴァンスやメンチョフが入っていた)に合流。総合ライバルたちはみんなでなかよく一緒にゴールすることが可能となった。

一緒にゴールするだけでは満足せず、プロトンは2位争いさえも放棄してしまった。しかもこの「ストライキ」を開催委員会と審判団に認めさせた。レース後に審判団は以下のようなリリースを発表している。「下り坂においてプロトン内で落車が多発し、多くの負傷者がでた。選手たちはスポーツマンシップを重んじて、自らの意思で集団合流を行った。そしてプロトンはゴールスプリントを行わずにフィニッシュラインを超えた。選手たちの要求を受た審判団は、開催委員会の同意を得て、ポイント賞のゴールポイントはステージ勝者のみに与えることを決定した」。つまり分かりやすく言えば、シャヴァネルが首位25ポイントをもらい、その他選手はゼロポイント。おかげでシャヴァネルは黄色ジャージのほかに緑ジャージもコレクションすることになった。

雨にも関わらずゴールラインでプロトンの到着を待っていたファンたちからは、ブーイングの声が漏れた。フラストレーションを感じたのは観客だけではない。2位争いでもいいからスプリントをしたかったトル・フースホフト(サーベロテストチーム)は「何かを奪い取られたような気がする。とにかく、大切な機会を一度失った」と不満顔。また翌日の石畳ステージでも、総合候補たちが勝負を放棄するのではないか……との噂に、「だったら山頂ゴールだけ残して全ステージ中止すればいいんだ。ボクには理解できないよ。グランツールチャンピオンというのは、山もタイムトライアルも、平地も、そして石畳も全てこなせる選手でなくてはならない」と厳しい声を上げている。各メディアもカンチェッラーラのやり方に疑問を投げかける。もしも遅れたのがシュレク兄弟以外だったら、同じ行動を取っただろうか?もしもアームストロングとコンタドールが前方に残っていたら、カンチェッラーラは同じように主張できたのだろうか?「総合をこんな形で失わせるべきではない」と言うのなら、表彰台を狙うクリスティアン・ヴァンデヴェルデ(ガーミン・トランジションズ、9分49秒遅れ)を待たなかったのはなぜなのか?果たしてこれらの問いに答えが出る日はくるのだろうか。1つだけ確かなことは、カンチェッラーラは自らのマイヨ・ジョーヌを犠牲にしてまでも、チームリーダーのシュレク兄弟を苦難から救い上げたいと望んだことである。


●シルヴァン・シャヴァネル(クイックステップ)
区間勝利&マイヨ・ジョーヌ&マイヨ・ヴェール

(ゴール前にネックレスのメダルにキスしたのは)フランドルやパリ〜ルーベのカンチェッラーラみたいなことがやりたかったんだ(笑)。あれは父の日のプレゼントで、フランス選手権前にもらった。2人の子供の名前が刻まれている。このツールで独走ゴールを決められる機会があったらやりたいなぁ、と思っていたんだ。今日は朝からピノーと一緒に逃げようと決めていた。というかずいぶん前からこのステージに狙いをつけていたんだ。ボクのスポーツ人生においてもっとも美しい1日だよ。今シーズンは苦労続きだったけれど、決して諦めなかった。結局のところ、こんなにすごい感動を手に入れるための試練だったのだとしたら、苦しんだことを悔いてはいない。今のこの瞬間を味わっている。まさにボクの1日だった。

ジャージはパリまで守りたいね(笑)。と言うのは冗談だけど、できる限り長く守り続けたい。ツールでマイヨ・ジョーヌを着ているというのは非常に大切なこと。だから簡単に手放すつもりはない。スタシオン・デ・ルスのステージまでは最低でも守るつもりだ。なにしろ総合で3分近いリードがあるからね!結構いいところまでいけると信じているよ。

後ろで何が起こっているのか、考える余裕なんてなかった。なにしろ最終盤は必死だったからね。落車が起こったことは、無線で聞いて知っていた。でもプロトンがニュートラル走行していたとは知らなかった。残り20kmで区間優勝のチャンスがあると分かった。ボクの脚には十分な力も残っていた。マイヨ・ジョーヌのことはまるで考えず、区間優勝のことだけに集中した。最後の5kmくらいでようやくマイヨのことを考えたよ。ボクはこれまで何度もアタックしてきて、でも最後の1〜2kmで吸収されることが多かった。けれど今日は後ろのプロトンが自ら減速することに決めたんだ。こうしてボクに幸運が訪れた。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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