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サイクル ロードレース コラム 2010年7月23日

【ツール・ド・フランス2010】第17ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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8秒差。これが7月3日にロッテルダムを出発してからすでに丸18日間・約3290km走り、アルプスやピレネーを乗り越え、競い合ってきた結果である。8秒差。ツール・ド・フランスにとっては意味深な数字でもある。過去96回行われてきたツール・ド・フランス史上、最も僅差で優勝争いが決したのも1989年の8秒だった。あの年は最終日、シャンゼリゼへと誘う個人タイムトライアルで、グレッグ・レモンが劇的な逆転優勝を遂げた。

もちろん2010年大会では、この先の3日間でタイム差はさらに開く……いや、さらに縮まる可能性だってあるのだ!いずれにせよアルベルト・コンタドール(アスタナ)とアンディ・シュレク(チーム サクソバンク)の互いに一歩も譲ることのない激戦は、間違いなくツール史の1ページに書き加えられるだろう。

ピレネー通過100周年を祝うトゥールマレー山頂決戦は、開催委員会が事前に思い描いたシナリオ以上の物語が待っていた。昨大会のモンヴァントゥ決戦では優勝争いがほぼ決しており、有力選手たちの動きは鈍かった。対照的に今年はルート設定の妙(TTT廃止、TT総距離減少、石畳)や、様々な論争(第2ステージのニュートラル化事件、第15ステージのシュレク置き去り事件)の味付けのおかげで、突出した2人のチャンピオンがこの地での戦いを余儀なくされていた。「アンディはアタックをかける。これは明白な事実なんだ」。アスタナ陣営は口を揃えてライバルの行動を予言した。「チームはトゥールマレーまでアンディを連れて行く。そこから先、戦いに挑むのはアンディだ」とチーム サクソバンクのチームマネージャー、ビヤルヌ・リースは穏やかな口調で語った。「最終峠で我々に出来ることは何もない。信じて待つだけ」とも。

一晩中続いた雷雨のせいですっかり冷え切った空気の中、スタート直後に7選手がエスケープ集団を作り上げた。フアンアントニオ・フレチャ(スカイ・プロフェッショナルサイクリングチーム)を筆頭とする実力者揃いの集団は、順調にメイン集団との距離を広げていく。タイム差は最大9分半にまで開いた。一方で後方集団は追走のときが訪れるのを静かに待った。

22km地点で予定調和が少しだけ崩れた。総合3位につけるサムエル・サンチェス(エウスカルテル・エウスカディ)が激しく落車し、胸部と右肩を強打してしまったのだ。また同じ頃、カルロス・サストレ(サーベロテストチーム)がチームメイトのイグナタス・コノヴァロヴァスの導きによって飛び出した。サンチェスにとっては幸いなことに、バスク集団アシストたちの熱心な働きもあって、まもなくメイン集団へと復帰した。第14ステージでも飛び出しを試みた2008年ツール総合勝者は、1級マリー・ブランク峠を下り切った地点でエスケープまで約2分差まで近づいたが、そこから先がきつかった。一気に縮めたタイム差は再び徐々に開いて行き、ゴール前25kmでついにプロトンへ吸収されている。

マイヨ・ブランを擁するチーム サクソバンクは、コンタドール以外の動きには決して動じることはなかった。今大会はシュレクが最終峠で最初に孤立してしまう場面が多かったのだが、ならばこの日の作戦は逆に「コンタドールを孤立させること」だった。トゥールマレーが近づくにつれて世界屈指のルーラー軍団が驚異的な加速を開始し、メイン集団の主導権を完全掌握。なにしろコンタドールの最後のアシストが千切れて行った後にも、シュレクの側には2人の“仲間”がついていたほど。そして彼らの仕事を引き継いで、ゴール前10.5km、アンディ・シュレクが大きな一撃を振り下ろした。

ここから先はシュレクとコンタドールの2人きりの世界だった。ラスト8kmでエスケープ最後の生き残りアレクサンドル・コロブネフ(チーム・カチューシャ)をもするりと追い抜いた。若きアンディが先に立ち、何度も振り返りながら、ダンシングスタイルで強烈なテンポを敷く。今のシュレクと同じ純白のジャージを着て、マイヨ・ジョーヌのミカエル・ラスムッセンを引き離そうと幾度も加速を繰り返した3年前よりも少しだけ老獪になったコンタドールは、およそ2歳半年下のライバルの背後にピタリと張り付き続ける。ただ1度だけ、ゴール前3.9km地点の加速でコンタドールは自らの存在感を証明したが……、「不調」と言う言葉を決して口にしないディフェンディングチャンピオンは、再びアンディの後輪に入った。

雲をかき分け、霧雨に濡れながら、トゥールマレー山頂へ2人の英雄が姿を現した。選手たちが通り過ぎるただ一瞬のためだけに、朝早くから冷たい山の上でひたすら待ち続けていた数え切れないほどの観客の波をかき分けて。マイヨ・ジョーヌのコンタドールはあえてスプリントを切らなかった。「アンディの成し遂げた仕事に対するリスペクトの気持ちだった」と王者は語った。区間を制して誇らしげに右腕を曇天に突き上げたシュレクは、フィニッシュラインを越えるとコンタドールの肩を抱いた。論争で一時は仲違いも噂された2人だが、長く苦しい上りを分かち合った両者は素直に互いを讃えあった。1910年にツール初登場を果たし、この日までに74回ものプロトン通過を見守ってきたトゥールマレー山頂。1913年にはウジェーヌ・クリストフがパンク修理のために徒歩で往復し、1969年エディ・メルクスが山頂から130kmもの大逃げを打ち、スペインの山岳王フェデリコ・バアモンテスにより4度征服されたピレネーの伝説の山は、ただし2010年ツール・ド・フランス総合争いの最後の審判は下さなかった。

総合首位争いと同様に熾烈だった総合3位争いは、負傷しながらも驚異的な精神力で前線に残り続けたサンチェスが一歩リード。総合4位デニス・メンショフ(ラボバンク)より8秒先んじて山頂にたどり着き、総合では21秒差へと開いた。ただしアンディ・シュレクの場合と同様に、個人タイムトライアル能力でライバルに引けを取るか。また総合トップ10内のサプライズ要素であるライダー・へシュダル(ガーミン・トランジションズ)は区間4位とまたまた大奮闘し、総合10位から8位へとジャンプアップしている。

さて、マイヨ・ジョーヌの行方は未だ混沌としたままだが、2010ツールに登場する47峠を全て越えたこの日、マイヨ・ア・ポア・ルージュは持ち主が決定した。第9ステージの大逃げで赤玉ジャージ争いに名乗りを上げ、第12ステージで再びエスケープに乗り、そして休養日前日に決定的なポイントを積み重ねたアントニー・シャルトー(Bbox ブイグ テレコム)だ。しかも休養日にチームメイトの新城幸也が「明日の仕事はただひとつ。山岳争いに危険な選手のアタックを潰し、関係のない選手によるエスケープ集団を行かせること」と宣言していた思惑通りにレースは進み、シャルトーは最後の山岳ステージを楽しむことさえ出来たようだ。「ラスト1kmは、このジャージを思い切り満喫するために観客の中を1人で走った。人々がボクの名前を叫んで、応援してくれたんだ。素晴らしい瞬間だった」。残る3日間でタイムアウトや途中棄権という非常事態さえ起こらなければ、シャルトーはパリ・シャンゼリゼの表彰台に立つ。2004年ツールでリシャール・ヴィランクが7度目の山岳ジャージを獲得して以来、フランスが絶望的なほどに捜し求めてきた“後継者”が、ついに誕生することになる。

ただし、行く先が決まったのはこの赤玉だけ。緑色のジャージを巡る熾烈な戦いが、第18ステージと最終日に予告されている。現首位トル・フースホフト(サーベロテストチーム)と2位アレッサンドロ・ペタッキ(ランプレ・ファルネーゼヴィーニ)のポイント差は4。もちろん計算上では未だ最大109ポイントが獲得可能なため、29ポイント差で3位につけるマーク・カヴェンディッシュ(チームHTC・コロンビア)にも可能性は残されているのだ。


●アンディ・シュレク(チーム サクソバンク)
区間勝利

今日は全てを尽くしたかった。マイヨ・ジョーヌを取り返すつもりだったんだ。トライしたけれど、でもアルベルトを突き放すのは不可能だった。ボクはできる限りのことをやったんだけどね。リズムを変えようと思った。これがボクにとっての唯一のチャンスだった。でも1度、彼がボクにアタックしてきたね。まるで「オレはここにいるぞ。こんなゲームを挑んでも無理だよ」と言いたいかのようにね。

敗北宣言を出すのはタイムトライアルが終わってからだ。最後まで闘い抜く。たくさんタイムトライアルの練習をしてきた。長距離タイムトライアルはボク向きなんだ。いい走りが出来るだろう。アルベルトは速く走らなきゃだめだよ。だってボクは本当にいいタイムを出せると思うから。

まだなんでも起こりえる。全てが可能なんだ。父がいつも言っていたものさ。「タイムトライアルで全力を尽くすということは、ゴールラインを超えた直後に自転車から転がり落ちてしまうほどのものなんだ」と。ボクもそれくらいの勢いで走るよ。


●アルベルト・コンタドール(アスタナ)
マイヨ・ジョーヌ

確かにステージは勝ちたかったよ。なにしろ伝説的なトゥールマレー峠で終わるステージだったんだから。でもアンディが上りで素晴らしい走りをしていたし、常に前を走っていた。だから、それに対してリスペクトの気持ちを示したんだ。ボクは静かに走り終えたかったから、スプリントしなかった。ボクにとって今日は区間優勝は二の次だったんだ。まずは総合のほうを考えた。大切なのは、タイムを奪われなかったことなんだ。

去年よりもボクの走りが圧倒的ではない、と多くの人が批判していることは知っている。特に山岳での切れがないと言われているね。でも真実は、ボクはもしかしたら以前よりも慎重になっているのかもしれないということ。体調がすごく良いのにアタックする機会がないとか、アタックする必要がないとか、そんな日もあるよ。

アンディとのタイム差は8秒しかないし、未だ3ステージ残っている。まだまだ注意していかなければならない。一体どこでボクがツールを落とす可能性があるかって?いつなんどきでも起こる可能性はある。でも落とすことを考える前に、勝ち取ることを考えなきゃならない。今のところ、ボクは集中し続けていくだけ。歴史に名を残すことなんて今のところ考えていない。ツールを7回勝つことよりも、まずは今回のツールを勝つことを考える。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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