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朝には8秒だったタイム差は、夕方には39秒へ広がっていた。いや、公式データには記録されていないが、一時は1秒差にまで縮んだのだ。しかし決して逆転現象は起こらなかった。
「序盤の40kmはとにかく全速力で走った」。ゴール後のアンディ・シュレク(チーム サクソバンク)は語った。タイムトライアルを決して得意としていないルクセンブルクTTチャンピオンは、スタート直後から勢いよく飛ばす作戦に出た。もしもアルベルト・コンタドール(アスタナ)とのタイム差を急速に縮めることが出来れば、マイヨ・ジョーヌを焦らせることができるかもしれない。焦った挙句に無茶な加速を試み、自滅させることができるかもしれない……。
「タイム差が縮まっていると聞いて、すごく苦しんだ」。8秒あったリードを一気に詰められたコンタドールは、追い詰められた気持ちになった。しかも前夜はほとんど眠ることが出来ず、体調は最悪だった。軽量のカーボンサドルは滑りやすく、スタート前にお尻を固定するために粘着テープを貼り付けたものの、大して効き目もなかった。18km地点の第1計測ポイントでは、シュレクがコンタドールのタイムを2秒上回った。つまり総合ではコンタドールが6秒差で、かろうじてリードを守っていた。
「それでも自信があったんだ。だから焦らず一定のテンポを守ることだけに集中した」。勝負は52kmを走りきって初めて決する。鉄の精神力で焦る心を鎮め、ディフェンディングチャンピオンはひたすらリズムを刻んだ。第2計測ポイントでは、コンタドールが7秒上回った。総合タイム差は15秒に広がった。
ステージも後半に差し掛かると、道は壮大なブドウ畑と高級ボルドーワインのシャトーの間を縫うように走りだす。ルート脇のジロンド川は川幅が広がっていき、河口……つまり海が近づいてきたことを予感させる。ブドウの木はどこも背が低く、遮るもののほとんどない大地には強い海風が吹きつけた。しかも午後遅くなればなるほど、風力は増していった。また「最終7kmはほんの微妙だけれど上り坂だから、そこまでパワーを保っているように」と、この日のベストタイムを叩き出したファビアン・カンチェッラーラ(チーム サクソバンク)からシュレクに電話連絡が入ったそうだ。つまり最終盤に、最も厳しいパートが待ち受けていた。
「最後の10kmはもう力が残っていなかった」。スタートダッシュで賭けに出たシュレクには、もはやラストスパートをする元気はなかった。
「脚がものすごく痛い。2007年のツール初優勝を決めるときも翌日まで脚が痛くなるほど力を尽くして走ったけれど、今日は久しぶりに脚が痛いよ」。6月末のコース下見で後半の難しさをあらかじめ知っていたコンタドールは、最後の15kmだけでシュレクから24秒を奪った。最終的には区間で31秒差をつけ、総合では2位シュレクに対して39秒リード。無事にマイヨ・ジョーヌを守りきった。表彰台ではあふれ出てくる涙をとめることが出来なかった。不調、プレッシャー、そしてブーイング。あらゆる苦しみからの解放だった。
もしも最終ステージがつつがなく終了した場合、ツール・ド・フランス史上5番目に少ないタイム差での総合優勝となる。もちろん最小タイム差は1989年レモンとフィニョンの8秒。2007年にはアルベルト・コンタドール(アスタナ)がカデル・エヴァンス(BMCレーシングチーム)をわずか23秒で蹴落としたことも。それにしても39秒とは、寄寓にも第15ステージでコンタドールがシュレクのトラブルを利用して手に入れたタイムと同じである。「39秒か……」。ツール開催委員長クリスティアン・プリュドム氏はゴール後のアンディ・シュレクがこうつぶやいたのを耳にしたそうだが、つまりあの事件さえなければ、第19ステージを終えた2人は同タイムで並んでいたはずだった。ちなみに総合が同タイムで並んだ場合、タイムトライアルで計測された1000分の1秒単位まで用いて順位を決定する。コンタドールの小数点以下は990。対するシュレクは830。マイヨ・ジョーヌの持ち主は違っていたのかもしれない。
総合上位2名が厳しい戦いを繰り広げた一方で、総合表彰台の3番目の席をめぐる争いは非常にあっさり決した。この日の朝には総合3位だったサムエル・サンチェス(エウスカルテル・エウスカディ)は、デニス・メンショフ(ラボバンク)との間を隔てていた21秒差をあっという間に失った。第1計測地点でメンショフが総合で早くも27秒リードを奪うと、最終的には1分39秒差にまで突き放してしまった。しかも2位シュレクには1分22秒差にまで迫っている。たとえばトゥールマレー峠で1分40秒を失っていなければ、今頃はメンショフが総合2位の座についていた可能性もあったわけだ。山でのわずか1日の遅れが悔やまれる結果となった。また総合トップ10ではライダー・へシュダル(ガーミン・トランジションズ)が順位を1つ上げて7位になった以外、変動はなかった。
肝心のステージ優勝は、言うまでもなくTT世界チャンピオンジャージを纏うカンチェッラーラがさらい取った。プロローグで10分ぴったりの数字をはじき出したクロノマシーンは、この日は1時間00分56秒99を記録した。3週間前は10秒差の2位に泣いたトニー・マルティン(チームHTC・コロンビア)はこの日は17秒差で2位。3位以下は全て1分以上カンチェッラーラに突き放され、しかも強風の中走った総合強者たちは軒並み5分以上もの大差をつけられている。
バカンス大国のフランスでは、今週末にジュイエティスト(7月組)たちがいっせいに自宅へと戻り、反対にアウーシアン(8月組)が大挙して田舎へと繰り出し始めた。真夏の3週間を走りきった170人の選手たちも、7月25日の朝ボルドーからTGVに乗り込んで、一路パリ近郊へと向かう。シャンゼリゼでは完走者によるパレード走行の前に……マイヨ・ヴェールを巡る最後の戦いが待っている!
●ファビアン・カンチェッラーラ(チーム サクソバンク)
区間優勝
今朝は7時半に起きて、水分をたくさんとってレースに向かった。長い1日だった。確かにトゥールマレー後はすごく体が疲れていて、勝てるかどうか自分でも分からなかった。だけど最後のエネルギーが残っていたんだ。ボクはすでにたくさんの勝利を手に入れてきたけれど、さらに幸せな気持ちだよ。今夜はおいしいワインが飲めそうだね。だってここは素晴らしいワインの産地なんだから……。実は昨日もモチベーションを高めるためにちょっとだけ味見をしたんだけれど、今日はちゃんと1本ワインをあけられるよ。
アンディは最大限を尽くした。大切なのは前を向いて、来年の戦いに備えることだ。確かにボクたちは負けた。でも素晴らしいツールを戦った。勝負には負けたけれど、彼は何か大切なものを勝ち取ったと思うよ。今ツールは色々なことが起こったし、様々な議論が巻き起こった。何が正しいのか、何が悪いのか、って。でもツールではあらゆることが起こりえる。だからすでに起こってしまったことをくよくよ考えずに、前を向いていくだけ。さもなければ頭が痛くなっちゃうよ。アンディは将来、絶対にチャンピオンになれる。来年が楽しみだ。この先はコンタドールvsアンディ・シュレクの時代が続いていくのかもしれないね。
今ツールのアンディはすごく強かった。肉体的にはもちろん、精神的にも非常に強く冷静だった。この冷静さが彼に力を与えてくれているんだ。そしてチームメイト、スタッフ、あらゆる人間が彼をサポートし続けた。チームは最大限の仕事を成し遂げたと思う。それにチーム全体で区間4勝。誇りに思うね。
●アルベルト・コンタドール(アスタナ)
マイヨ・ジョーヌ
すごく感激している。押さえきれないほどの感動だ。レースに勝ってこんなに感情が高まったのは初めてかもしれない。きっと皆さんが想像する以上の、すごい気持ちだよ。去年も今年もそれぞれに難しい大会だった。理由は違うけどね。今年は特に調子が良くない日が何日もあった。今日もすごく調子が悪かった。よく眠れなかったし、腹痛もあった。アンディより5秒遅れている、という情報を聞いたときに、すごく苦しい気持ちになった。もうダメだ、終わった、とさえ思ったよ。それでも最後まで一定のリズムで走ることだけに集中し続けた。残された距離を最善の方法で走りきるために、最大限の努力をした。苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いた上に、ボクはツールを勝ち取ったんだ。
アンディは素晴らしい選手だ。彼のことはよく知っている。メンタリティも走り方も理解している。今後は長期間にわたってボクとライバル争いを繰り広げていくだろう。しかも彼は若い。……ボクだってまだまだ若いけど。とにかく彼はこの先も上達していくだろう。でも今年の彼は、去年とほぼ同じくらいのレベルだったんだよ。ボクのほうが去年よりも悪かったんだ。自転車は数学じゃない。上手く準備をして上手く勝てるときもある。でも歯車がかみ合わないときもある。今年はスペイン選手権前後、つまりツール直前に風邪を引いて、抗生物質を取らなければならなかった。それが体調に影響を及ぼしたんだと思う。
全ての選手にとってツール優勝は夢なんだ。ツールは世界最高の大会であり、何者とも比較なんか出来ない。それにものすごく緊張感が漂っている。勝利への緊張感だ。ボクは今、どれだけ安堵感に包まれていることか!今大会は常に緊張、プレッシャーと戦ってきた。もちろん外側からのプレッシャーもあるし、自分で自分にかけてしまうプレッシャーもある。今は本当に解放された気持ちなんだ。大会後はゆっくり休みたい。そして今後のことをしっかりと考えたい。静かな冬を過ごしたいね。もちろん来年も第1目標はツール・ド・フランスだ。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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