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「自転車選手として、幾多の峠に挑んできた。だから難関に立ち向かうことなんか慣れたものさ」。2009年6月に食道癌であることを公表したとき、ローラン・フィニョンはこんな風に力強く語っていた。ツール・ド・フランスを1983年と1984年の2度制し、1989年にはジロ・デ・イタリア王者にも君臨した偉大なるチャンピオンは、化学療法の合間にもTV解説者として2度のツール・ド・フランスを見事に「完走」してみせた。特別に敢闘賞も授与された。しかし夏の終わりに、越えられないほどの大きな山が待っていた。2010年8月31日午後12時30分、自らが生まれ育ったパリ13区で静かに息を引き取った。50歳の早すぎる死だった。フィニョンはブエルタ・ア・エスパーニャだけは勝ち取れなかった。それでも区間を2つ制し、1987年には総合3位の座についている。
スペインのアンダルシア地方では、194人の自転車選手たちが現実の厳しい峠群に挑みかかっていた。スタートから15km地点でドミニック・ローエルス(チーム・ミルラム)、ギヨーム・ボナフォン(アージェードゥゼール・ラ・モンディアル)、セルジオ・カラスコ(アンダルシア・カハスール)、ダリオ・カタルド(クイックステップ)の4選手が、まずはエスケープ集団を作り上げた。マイヨ・ロホのフィリップ・ジルベール率いるオメガファルマ・ロットの厳しい監視の下で、最高6分ほどのタイム差を許され、標高1000m級の涼しい高原地帯を逃げ続けた。
ゴールまで40kmほどに迫った頃、突然、コントロール権をチーム・カチューシャがを奪い取る。いわゆる「トレイン」を組むと、峠道を猛スピードで引き始めた。前日の激坂ゴールでチームリーダーのホアキン・ロドリゲスは惜しくも区間&総合2位に終わったが、この日こそはと区間&総合首位のダブル獲得を狙っていたのだ。もちろんティレノ〜アドリアティコの名物モンテルポーネ(ラスト1kmは平均勾配17.5%・最大21%)を過去2回制している激坂ハンターは、今ステージの坂道ゴール(ラスト1kmは平均勾配15%・最大27%)の優勝候補ナンバーワン。リーダーの勝利を信じるチームメイトたちは2級バルデペニャス・デ・ハエン峠の上りで激しいリズムを刻み続け、エスケープ集団を急速に追い上げ、さらにメイン集団をズタズタに切り裂いていった。
山の中腹で逃げの4人を次々と吸収しても、カチューシャは加速の脚を緩めようとはしなかった。赤ジャージ姿のジルベールが粘り強く先頭集団に喰らいついていたからだ。なにしろ起伏の多いアルデンヌ地方で生まれ育ったジルベールは、フレッシュ・ワロンヌのユイの壁(全長1300m・平均勾配9.3%。最大26%)のような激坂の攻め方を熟知している——ちなみにゴール後にジルベールは「今日の坂よりユイの壁のほうがキツイ」と語った——。つまりゴール前の短い上りでジルベールを大きく突き放すのはほぼ不可能なのだ。だからこそロシアチームは長い2級峠の上りで執拗に加速を繰り返した。しかしジルベールは決して振り落とされることなく、代わりに今年3つ目のグランツールを戦うカルロス・サストレ(サーヴェロ・テストチーム)が置き去りにされた。
山頂を越えたメイン集団は、20人ほどに小さくなっていた。そのうち5人がケースデパーニュ勢で、下りを利用して彼らが次々と攻撃を仕掛けたことも。しかしラスト1kmのアーチをくぐり、道が極端に上り始めると、満を持したかのようにロドリゲスが前方へと位置取りを始めた。そして残り600m。アシストたちの仕事を引き継ぐために渾身のアタックをかけた。
ところがラスト400mで、イゴール・アントン(エウスカルテル・エウスカディ)のカウンターアタックが炸裂する!前日はロドリゲスの後ろでゴールラインを越えたバスク人が、この日は追い越しに成功した。……いや、むしろアントンにとってはフレッシュ・ワロンヌのリベンジだった。今4月のユイの壁ではゴール前600mで先頭に立ったものの、最後の300mでアルベルト・コンタドール(アスタナ)→カデル・エヴァンス(BMCレーシングチーム)→ロドリゲスと順に抜かれ、表彰台を惜しくも逃している。「ユイの坂で追い抜かれたから、今日はボクが上手くカウンターでロドリゲスを追い越したのさ!」。失敗から学んだ27歳アントンは、この日はロドリゲスはもちろん他の誰にも追いつかれることなく、激坂の頂点で勝どきの声を上げた。
アントンにとっては2006年ブエルタの頂上フィニッシュ勝利に続く大会通算2勝目。少年時代はマルコ・パンターニに憧れたというヒルクライマーは、ボーナスタイム20秒も手に入れると、10秒遅れの総合2位へと上昇した。ジルベールはアントンから5秒遅れでゴールし、無事に総合首位を守りきった。区間2位にはヴィンチェンツォ・ニバリ(リクイガス・ドイモ)が入り、ボーナスタイム12秒を手に総合4位(12秒遅れ)へと昇格。そして3位にはペーター・ヴェリトス(チームHTC・コロンビア)が入った。
……つまりロドリゲスは区間勝利を手に入れるどころか、3位争い=ボーナスタイム争いのスプリントにも敗れたのだ。結果は無念の区間4位。総合順位もアントンからコンマ22差で、2位から3位へと陥落した。またサストレ以外の表彰台候補は軒並みアントンから20秒以内で、大きな問題もなく激坂ステージを終えている。
●イゴール・アントン(エウスカルテル・エウスカディ)
区間優勝
勾配のキツイ上りはボクの脚質に合っているんだ。それに1ヵ月半前に下見に来ていたし、フレッシュ・ワロンヌでの経験も役に立った。4月のユイの壁では、アタックを早くかけすぎるというミスを犯した。でもこの失敗も無駄ではなかった。だってああいった状況では何をすべきか、何をしてはならないのかを学ぶことができたから。今日はロドリゲスの飛び出しを見ても、パニックには陥らなかった。力を上手くコントロールすることが出来たよ。最後にニバリに追い越されるかもしれない、と少し怖い思いもしたけれどね。
ロドリゲスは非常に強い。ボクの考えでは彼こそが総合優勝の大本命だ。ボクに関しては、何かすごいことを成し遂げられそうな調子はあるよ。でも今までどんな小さなステージレースも勝った経験がない。だから徐々に成長していかなければならないんだ。ただボクが断言できることは、脚は調子が良いし、今後もベストを尽くすということだけ。
●フィリップ・ジルベール(オメガファルマ・ロット)
総合リーダー
チームは1日中エスケープ集団のコントロールに尽くしてくれた。逃げ選手の中で総合を脅かす選手はいなかったから、ボクらにとっては幸いだったね。でも最終2級峠の突入と同時に、カチューシャがものすごくスピードを上げていった。千切れていた選手も多かったけれど、ボクは何とかしがみついたよ。大いに苦しんださ。ライバルたちと共に2級峠を越えることが出来た時点で、ジャージは守れるだろうと確信していた。アントン相手にはなす術がなかったね。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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