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サイクル ロードレース コラム 2011年5月18日

【ジロ・デ・イタリア2011】第10ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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大移動と休養日を終えて、2011年ジロ・デ・イタリアが気持ちも新たに2週目に突入した。月曜日には、未舗装ダウンヒルが恐ろしすぎると評判の第14ステージのモンテ・クロスティスに関して、選手代表と開催委員会の話し合いがもたれた。迂回か、続行か。最終的には「選手たちが下見に行ったときと状況は違う」とゾメニャン開催委員長が安全性を強調し、つまり、続行で押し切られた。本格的なドロミティ山岳連戦がひたひたと近づいてくるのを感じつつ、この日のプロトンは、海沿いのほぼ平らな土地を駆け抜けた。

ところでエトナ登山の終わりに、ロビー・マキュアンとグレーム・ブラウンの2人が帰宅を命じられた。アルベルト・コンタドールより59分35秒も遅れて山の上にたどり着いたのが原因だ。一方でマーク・カヴェンディッシュは、幸いにもギリギリ30秒差で制限タイムアウトを逃れた(首位より26分35秒遅れ)。しかしフランシスコホセ・ベントソや他の数選手が、「カヴェンディッシュが車につかまって登っていた」と指摘をしたことで、ちょっとした議論も巻き起こったほど。証拠不十分としてカヴェンディッシュにお咎めはなかったが……。とにかく、間違いない事実とはスプリンターが2人レースを去ったこと。また第4ステージを最後にタイラー・ファラーもレースを後にしため、ジロに残る実力派スプリンターは両手で数えられるほどにまで減ってしまったこと。ただし第10ステージは、今ジロでは最後から2番目のピュアスプリンター向けステージ。3日後に大会を去るというのに未だ勝ちを手にできていないカヴェンディッシュと、本来ならキング・オブ・スプリンターの証であるべき赤ジャージをヒルクライマーに取られてしまったアレッサンドロ・ペタッキが、並々ならぬ意欲を燃やしていた。

こんな日を、別府史之は選んだ。2009年ツール・ド・フランスの最終日シャンゼリゼで魅せた別府が、今回はアドリア海岸道路で攻撃に打って出た。スタート直後にピエール・カゾーと2人で前に出ると、17km地点でユリー・クリフトソフの合流を待って、長い逃げを始める。フランス人とは言いながらフランス以外との接点を持つ2人——純潔バスクチームに合流した史上3人目のフレンチバスクのカゾーと、ウクライナから昨年帰化したクリフトソフ——と、フランス人ではないけれどフランスに深く根をはる別府——2003年からマルセイユに居を構え、現在はリヨン近郊に住んでいる——は、しっかりと協力し合いながら、プロトンから最大6分ほどのタイム差を奪った。

ステージ上に唯一登場した4級山岳ポイントでは、別府が先頭通過で3pを手に入れた。また中間スプリント地点ではスプリントの脚を見せ付け、首位5pを獲得。もちろんボーナスタイム6秒もついてきた。ただし逃げ集団3人の中では総合最上位につけていたとはいえ、別府はコンタドールからすでに40分57秒遅れている(第9ステージ終了時点)。マリア・ローザ本人も「1時間以上遅れている選手が2人と40分遅れている選手が1人。ジャージを守るためには、理想的なエスケープだった」と語っており、ボーナスタイムはほんのご褒美に過ぎない。むしろ中間ポイント首位通過のおかげで、今ステージの「敢闘賞」で3位5ポイントにつけたことの方が大きかった。さらには最終的に148kmの距離を逃げたことが評価されて、大逃げ賞「フーガ賞」の区間首位を獲得!

……つまりステージ全長159km−逃げ距離148km=ラスト11km地点で、別府を含む3人の逃げは終わりを告げることになる。ステージ全体を通してしっかり集団コントロールを続けたHTC・ハイロードが、理想的な位置で、先頭へと躍り出た。

スプリントフィニッシュに向けて計算どおり集団を制御してきたHTC・ハイロードが、唯一必死にならざるを得ない場面があったとしたら、それはゴール前3kmだったに違いない。今大会の序盤に2日間マリア・ローザを着ていたデーヴィット・ミラーが、強力なルーラーの脚を武器に、1人で飛び出しを仕掛けたのだ。カヴェンディッシュのアシストたちが、当然のように率先して追いかける。とくに、普段はラスト200mまでの牽引を担当するマーク・レンショーが、ラスト1kmまで追走に全精力を注いだ。おかげでミラーはきっちりと回収できたのだが、レンショーにはどうやら、これ以上先を続ける力は残っていないようだった。

「でも今日はペタッキの後ろに入ったほうがいいぞ、と最初から決めていたんだ。自分のタイミングで、彼を抜きにかかれるから」と語るエースのカヴェンディッシュは、最終発射台の不在にはとくに悩まされたりはしなかった。「元」発射台のゲラルド・チオレックや、自分に難癖つけてくるベントソの加速は、ペタッキの背後から様子を眺めていた。さらには最大のライバルがスプリントを切っても、ひたすらうしろにぴたりとはりついて、自分にとってベストな距離まで我慢し続けた。そしてフィニッシュライン150m手前。一気に前方へ飛び出すと、待ちに待った個人での2011年ジロ区間初勝利を手に取った。ジロでは通算6勝目、グランツールでは早くも通算24勝目(チームTTを除く)。そして近年大量勝利を荒稼ぎしてきた現役最強スプリンターにとって、2011シーズン通算3勝目。「例外のように絶好調だった」と本人が語る2009年は、ジロへ乗り込む前にすでに8勝も手にしていたのだが……。ようやく不振の日々を抜け出すことができただろうか。もちろん2日後のラストスプリントでは、ジロへの置き土産代わりに、区間2勝目を狙っている。

カヴに難癖をつけたベントソは2位。ペタッキは3位に入り、無事にポイント賞ジャージをコンタドールから奪い返した。もちろん、一番大切なピンク色のジャージは、コンタドールが手放すわけもなかった。


●マーク・カヴェンディッシュ(HTC・ハイロード)
区間勝利

イタリアでの勝利は、ボクにとってすごく大切なこと。だってこの国で初めてのグランツール勝利を手に入れんだから。だからパルマで勝てなくてひどくがっかりしていたんだ。しかも今回のジロでは、本物のスプリントチャンスはたった3回しかない。最初のスプリントで勝てずに、ここまでずれ込んでしまった。2日後のラヴェンナではもう1勝狙っていくよ。

今日はそれほど調子は良くなかったんだけど、休養日の翌日というのはみな同じ状況だからね。でもチームメートたちが信じられないような仕事をしてくれた。エスケープを完璧にコントロールしてくれたし、フィニッシュでもチーム全員が揃っていた。彼らは100パーセントを出し切ってくれた。これ以上望めないほど尽くしてくれたよ。最終盤はペタッキの後ろに入ろうと決めた。自分の決めたタイミングで彼を追い越すために、背後に入ったんだ。ペタッキはラスト250mで加速を始めたけれど、ボクは150m地点まで待った。それから彼を追い抜いて、勝つことができたのさ。

ベントソが何か言っていることは知っていたよ。いつだって同じさ。もしボクが集団から千切れたのに制限タイム以内にゴールできると、すぐにずるをしたって言われるんだ。だからベントソには、山岳ステージでボクにずっとくっついてこいよ、って言ってやりたいね。もしボクが道端に用足しに止まったり、ホイール交換に止まったりすれば、いつだって周囲の人がボクを見ている。オフィシャルカーだったり審判カーだったり、テレビバイクだったり。もしもボクが卑怯な手を使ったというなら、ボクはトップマジシャン並みだよね。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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