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真っ青な空に聖堂の白い壁が美しく映え、緑白赤のイタリアントリコロールの絨毯とばら色の舞台が見事な調和をかもし出す。国家統一150周年を祝うミラノのドゥオーモ前広場で、しかし表彰台の一番てっぺんに駆け上がったのは、スペインから征服に乗り込んできた王者だった。イタリア選手2人を両脇に従えて、アルベルト・コンタドールが、2度目のジロ・デ・イタリア総合優勝を手に入れた。
この日もコンタドールは徹底的に強かった。最後のカーブからフィニッシュラインまでの約200m、ガッツポーズや歓喜のジェスチャーをたっぷりと繰り返し、最後にはおなじみの「バキューン」さえもお披露目した。タイム計測が最大目的の今ステージにおいて、間違いなく数秒は無駄にしたはずなのだ。しかし最後の1mmまで必死でペダルを踏み続けた総合ライバルたちをあざ笑うかのように、36秒遅れの区間3位という好成績を記録した。予定よりも5.5km短縮されたわずか26kmの平坦コースで、総合2位のミケーレ・スカルポーニを52秒、総合3位のヴィンチェンツォ・ニバリを42秒も上回ってしまった。
2011年ジロ・デ・イタリアのコンタドールは、まさにアンタッチャブルだった。大会中盤には「カニバル」とエディ・メルクスのあだ名で呼ばれもし、またライバルのニバリからは「火星人」と命名された(同じスペイン出身の先輩ミゲル・インドゥラインは「宇宙人」と呼ばれていたが)。全21ステージ、全長3499kmのコースで、区間勝利は2つ。ポイント賞ジャージも獲得した。わずか大会9日目でマリア・ローザに袖を通し(これまでは2008年ブエルタの13日目が最速)、最終的には総合2位以下を6分10秒も引き離してしまった(これまでは2009年ツールの4分11秒差が最大リード)。なにより「史上最難関」の呼び声高かった山岳ステージを完璧に支配した。攻撃的精神を大いに発揮し、山頂フィニッシュと山岳タイムトライアルをそれぞれ1つずつ制したほか、2回の頂上ゴールプレゼント(ルハノとティーラロンゴ)をするゆとりさえみせた。「山がひどく難しいジロだったからこそ、アルベルトに非常に有利だったんだ」とチームマネージャーのビヤルヌ・リースは分析する。
長い自転車の歴史においても、コンタドールは自らの地位を確実に築きつつある。6大会連続6つ目のグランツール勝利を懐に入れ、3大ツール総合勝利数ランキングでは単独7位に躍り出た。エディ・メルクスの11勝はまだまだ遠いが、あと1つ勝てば……ファウスト・コッピ、ミゲル・インドゥライン、ランス・アームストロングという大選手に肩を並べることになる。ちなみにアームストロングが最後にツールを制したのが33歳。コンタドールは昨冬28歳になったばかりだから、この先、彼らを追い抜くチャンスは十分すぎるほどある。もちろん2008年には、3大ツール全制覇を成し遂げた史上5人目の選手となった。ジロ−ブエルタの変形同一年ダブルツール制覇もあっさりやってのけた。2011年には本物のダブルツール、つまりジロ−ツールの同一年優勝も期待されている。
唯一、引っかかる部分があるとしたら、コンタドールの近い未来が不透明なことだろうか。昨ツール期間中のドーピング検査で、禁止薬物クレンブテロールが微量ながら発見され、一時は出場停止処分を下されていた。2月にスペイン自転車連盟から処分解除=無罪との通知を受け取り、再びコンタドールは勝利街道を突っ走り始めた。ただしこの決定に納得できないUCI国際自転車連盟がスポーツ仲裁裁判所へ提訴。本来ならば6月上旬に裁定が下される予定だったが、ジロ期間中に突然、裁定時期が「未定」となってしまった。おかげでコンタドールは、論理上は問題なくツール・ド・フランスに出場できるのだが……。
コンタドール以外ではトップの座——つまり総合2位——は、スカルポーニが死守した。最終ステージではタイムトライアル巧者のニバリから10秒しか失わず、生まれて初めてのグランツール表彰台で笑顔をふりまいた。ニバリは1年前に表彰台の3番目の位置を経験し、秋のスペインでは頂点へと駆け上ったが、再び3番目の位置に滑り落ちてしまった。ストラーデ・ビアンケとチーマ・コッピでの2度の「下り」アタック以外は、苦しみ喘ぐ顔ばかりしか見せられなかった。山岳賞はステファノ・ガルゼッリが死守し、純白の新人賞ジャージはロマン・クロイツィゲルが手に入れた。
そして区間は……デーヴィット・ミラーが勝ち取った。グランツールでは個人タイムトライアル通算6勝目!ちなみに第3ステージ終了後にマリア・ローザを獲得したものの、ワウテル・ウェイラントを襲った悲しい事件のせいで、同日の表彰式は中止されてしまった。その後も人前で祝うチャンスが1度もないまま、リーダージャージを手放していた。だから最終日のミラーは、思い切りシャンパンシャワーを楽しんだ。表彰台の上部には、こんな一文が綴られていた。「108 WW Always with Us」。
3週間前に207人で走り出したプロトンは、159人にまで人数が減っていた。史上最難関ジロを無事に走り終えた勇者の中に、日本の別府史之の姿もあった。「本当に厳しいジロだった。信じられないほどの距離を走って、信じられないほどの山を上った。毎日のように『難しすぎる』って頭を抱えていたけれど、それでも応援してくれるファンのために足を止めてはいけないと思った。道に終わりはないけれど、山はいつか終わる、そう信じて走り続けた」。別府の次なる目標は全日本選手権でのタイトル奪取だ。
●アルベルト・コンタドール(サクソバンク・サンガード)
総合優勝
感動的な勝利だった。すごく特別な味わいがあるよ。1回目の勝利ともまるで違う。3年前はボク個人は大会に来るつもりはなかったけれど、チームが強く願ったんだ。1週間くらい走って止めようと思っていたけれど、結果が伴いだしたから最後まで残った。すごく苦しんだよ。今回はレースに向けて精神的にも、肉体的にもしっかり準備をつんできた。ステージの下見にも出かけた。簡単な優勝に見えるかもしれないけれど、まるで違うんだ。たくさんの仕事を積み重ねてきた結果なんだよ。
この3週間はひどくきつかった。今まで戦ってきたレースの中でも最難関の部類に入るね。でも最終結果のおかげで、努力が報われた気分。確かにエトナステージ以降、フィジカル的にはかつてないほど絶好調だった。キャリアにおける最高の瞬間を味わうことができたね。今回のジロで、ボクは何かを証明する必要なんてこれっぽちもなかった。唯一の目標は、ジロを勝つこと、それだけ。他の狙いなんて特に何もないんだよ。区間勝利をルハノとティーラロンゴに譲ったのは、ただボクがそうしたかったから。ボクのあらゆる行動は、心の底からそうすべきだと思ってやっているんだよ。
ツールに関しては、この先考える。今はひどく疲れていて何も考えられない状態で、早く家に帰ってゆっくり休みたいだけ。つまり疲労をどれだけ回復できるか、調子をどれだけ戻せるのか、全てはそれ次第だね。もちろんチームマネージャーや監督と話し合う必要があるよ。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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