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ツールが100年目のアルプスを祝ったこの日、古き良き時代の自転車レースが、まるで我々の目の前に鮮やかに蘇ったようだった。ゴールから遠く離れた難関峠で、総合本命がひとりアタックを仕掛け、長き独走の果てに大勝利をさらい取る——。たとえばスタート地に選ばれたイタリアのピネローロは、「カンピオニッシモ=チャンピオンの中のチャンピオン」ファウスト・コッピが、1949年、192kmもの単独エスケープで勝利を手に入れたことで名高い町だ。そのコッピを讃える記念碑が立つイゾアール峠で、ロングアタックが生まれた。
「明日は最後の峠まで待つだけ、なんていうレースにならなきゃいいけど」と、張本人のアンディ・シュレク(チーム レオパード・トレック)は前夜に語っていた。「ならなきゃいいけど」というのは願望ではなく、どうやら彼の意思表示だったようだ。雨の第16ステージでは濡れた下りで身も心も固まってしまい、ライバルたちから軒並み50秒近くも失ったアンディは、つまり最後の峠まで待たなかった。大量のタイム差を取り戻すために、そして逆転するために、「本命たちは最終峠で勝負する」という近年の風潮をぶち壊した。「昨日のうちにチームにはボクの考えを伝えていた」とアンディがゴール後に語ったように、今年生まれたばかりの新生チーム レオパード・トレックも、危険な賭けに乗ることに決めていた。
お日様に恵まれたピネローロを出走すると、あっというまにエスケープが出来上がった。19人とかなり大人数の前方集団には、チーム レオパード・トレックがマキシム・モンフォールとヨースト・ポストゥーマの2選手をまんまと送り込むことに成功する。また2つ目の峠イゾアールの上りに差し掛かると、前方ではマキシム・イグリンスキー(アスタナ)が抜け出し、後方ではチーム レオパード・トレック列車が強い加速を始めた。そして峠の中ほどで、アンディ・シュレクが会心の一撃。ゴールまでは未だ60km近く残っていたというのに!
ライバルたちはすぐには動かなかった。なぜ動かなかったのか、それとも動けなかったのか。ゴール後にも詳細は明らかにはされなかった。ただひとつだけ確実なのは、イゾアールの山頂ですでに、シュレク弟は後方のライバルたちから2分15秒ものリードを奪っていたこと。つまりメイン集団が全く追いかけてこないのを幸いに、アンディはさらに先を急いだ。逃げ選手を1人ずつ追い越して、途中でポストゥーマのアシストを受けつつ、さらに前方ではモンフォールの牽引に助けられて……。史上初のガリビエ山頂フィニッシュまで残り7.8kmに迫った地点で、アンディ・シュレクはついに単独で先頭に立つ。
この時点で、もはやシュレク家の末っ子のステージ優勝を疑う人間などいなかったはずだ。むしろ焦点はメイン集団とのタイム差だった。マイヨ・ジョーヌ姿のトマ・ヴォクレール(チーム ユーロップカー)とアンディ・シュレクの総合タイム差は、第17ステージ終了時点で2分36秒。ただしガリビエ突入時には早くも3分以上のリードを奪っており、つまりはアンディ・シュレクは暫定マイヨ・ジョーヌの座についていたことになる。そしてメイン集団の遅れが最大4分25秒にまで広がった頃、ようやくカデル・エヴァンス(BMCレーシングチーム)が本気で危機感を抱き始めた。「ヴォクレールには最後までアシストが付いていたのに、ボクに仕事をさせようと考えていたようだ。変な話だよね。だってボクにはもうアシストが残っていなかったんだよ!」と語りつつも、最終10kmで猛烈な追走を開始した。
意外なことに、この「追走のための」加速が、思わぬ犠牲を生み出すことになる。ヴォクレールはアシスト役ピエール・ローランと共にきっちり対処し、2人の元ジロ・デ・イタリア王者、イヴァン・バッソ(リクイガス・キャノンデール)とダミアーノ・クネゴ(ランプレ・ISD)も難なく後についた。もちろんアンディの兄、フランクはライバルたちにぴったり張り付いた。ところが前日・前々日と2ステージを盛り上げた2人の役者が、突然、限界を露呈したのだ。サムエル・サンチェス(エウスカルテル・エウスカディ)は残り7kmで、アルベルト・コンタドールはラスト3kmで、メイン集団から滑り落ちてしまった……!「『空白の1日』だったんだ。ラスト10kmは脚が言うことをきかず、信じられないほど力が入らなかった」と、ディフェンディングチャンピオンは嘆く。「総合優勝はもはや不可能だ」。総合との遅れは4分44秒。落車でタイムを失っても、膝を痛めても、あくまでも前向きな発言を繰り返してきたコンタドールが、とうとう敗北宣言を出した。
エヴァンスはまだ負ける気などない。標高の上昇と共に急激に下がっていく気温にも負けず、まるで山岳タイムトライアルのように厳しいテンポを刻み続けた。もちろんヴォクレールもマイヨ・ジョーヌを絶対に譲りたくなかった。必死でしがみ付き、残り1kmを切った時点で、ようやくデッドゾーン「2分36秒」を脱出する。最終的にはアンディ・シュレクをわずか15秒で交わして、10枚目のマイヨ・ジョーヌに袖を通した。第9ステージに1枚目を獲得したときは「何日守れるかは分からない。でも今年は10日間は絶対ない」と断言していたというのに、2004年とまさしく同じ10枚目を手に入れてしまった。フィニッシュラインでは小さなガッツポーズで、自らの成功を喜んだ。
標高2645m、ツール史上最も空に近いゴール地に真っ先に飛び込んで来たアンディ・シュレクは、雄叫びを上げ、拳を何度も突き上げた。なにしろピレネー100周年祭ではトゥルマレを制し、アルプス100周年記念ではガリビエを手に入れたのだ。本当はこの山の上で欲しかったマイヨ・ジョーヌはお預けとなってしまったけれど、初めての総合優勝へ向けて大きく前進したことは間違いない。区間2位に入った兄フランクも、エヴァンスを4秒差で逆転して総合3位に浮上。「2人のうち1人しか表彰台に上がれないだろう。しかしその1人は、黄色を着ているんだ」と2度目の休養日に兄弟は語っていたが、今頃は考えを修正しているかもしれない。また追走に奮闘したものの、エヴァンスはヴォクレールから総合1分12秒遅れ、アンディからは57秒遅れの総合4位に一歩後退した。
87人という大人数の最終グルペットは、アンディ・シュレクから35分40秒遅れでゆっくりと山頂にたどり着いた。制限時間は33分07秒だったから、本来ならば全員失格……のはずなのだが、代わりにポイント20pt減点でツール続行を許された。それにしても168人の選手の中で一番に山頂に到着したアンディ・シュレクは、ドーピングコントロールに少々てこずって(あまりにも寒かったせいでレース最終盤に用を足してしまい、検査時に尿がなかなかでなかったとのこと)、結局一番最後に山を下りるはめになった。レースの喧騒が去り、日が翳ると、急激に気温が下がり、山頂には再び雪雲が戻ってきた。第19ステージにも再びツール一行はガリビエを通過する。ただし今度は立ち止まらずに、大急ぎでラルプ・デュエズへ向けて走り去っていくだけだ。
●アンディ・シュレク(チーム レオパード・トレック)
区間優勝
チームには昨日のうちに、ボクのアイディアを伝えてあった。総合4位でパリにたどり着きたくなんてなかったから、危険を冒そうと決めたんだ。あとは上手くいくか、それとも全てを失うかのどちらかしかなかった。最終的には上手くいったね。苦しむことは恐れてなかった。ボクが前で苦しむのと同じように、他の選手たちは後ろで苦しむだろうことは分かっていたから。本当に苦しかったけれど、後ろの選手だって同じなんだ、と自分に言い聞かせ続けた。でも60kmも逃げ続けて、最後はもうこれ以上はもうどうにも出来ないと思ったほどだよ。一刻でも早くゴールラインを越えたかった。
ステージを勝ったし、マイヨ・ジョーヌにも近づいた。明日のラルプ・デュエズで、ボクの使命はリーダージャージをつかみに行くこと。もちろん今日のうちにジャージを奪い取りたかった。ステージ中には暫定マイヨ・ジョーヌにもなったからね。でもわずかなタイム差でジャージを逃したことに対しては、あまり失望もしていないんだ。それにヴォクレールは毎日のように驚くべき走りを見せている。彼はツールを勝つためにここに来たわけではないのに、今や総合優勝を争っている。自転車界にとっては素晴らしい出来事だよ。
●トマ・ヴォクレール(チーム ユーロップカー)
マイヨ・ジョーヌ
ガリビエを上っているとき、どれだけタイム差が開いているのか全く分からなかった。ゴール後にようやく、残り3km地点でアンディ・シュレクとのタイム差は3分あったと聞かされたんだ。もちろんマイヨ・ジョーヌを守るために走ったけれど、実際のところ今日のようなステージでは、守れるか守れないかはボク次第じゃない。有力選手たちの動きに大きく左右されるものなんだ。だから単純にベストを尽くそうと努力した。
感情的になっている暇なんてまるでなかった。あまりにも苦しかったし、集中し続ける必要があったから。風や、ポジション取りや、観客など、あらゆることに注意を払い続けなきゃならない。沿道の観客があまりにも体に触れてくるものだから、2回ほど転びそうになったことさえあった。それでも総合有力選手たちに最後まで付いていくことができて、本当に満足している。また明日もマイヨ・ジョーヌを着て走ることができるんだからね。
気力を振り絞って戦い続けている。精一杯努力しない権利なんて、ボクにはないから。さもなければ本当に恥知らずな人間になってしまう。でも明日は、きっと脚が痛くなっているに違いないよ。明日はラルプ・デュエズだ。アンディ・シュレクがボクより上りで優れていることは公然の事実だし、どうやら調子をドンドンあげているようだね。何が起こるかは予言できない。正直に言って、どうなるか分からない。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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