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サイクル ロードレース コラム 2011年9月4日

【ブエルタ・ア・エスパーニャ2011】第14ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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勝負の地アングリルが目の前にちらついたせいだろうか。ここまで極端なほどの接戦を演じてきた役者たちの中から、突如として、大きく崩れ落ちる選手が続出した。欧州ロードレース界でも3本の指に入る難峠を翌日に控えて、敗北宣言さえ飛び出した。「もはや総合争いの可能性は失った。この先は別のチャンスを狙う」と語るのは、総合4分17秒遅れとなったホアキン・ロドリゲス(チーム・カチューシャ)。大会第1週目を大いに盛り上げてくれた「プリート」は、マドリードまでの残り1週間、何を求めて走るのか。ここまで堅実に戦ってきたディフェンディングチャンピオンのヴィンチェンツォ・ニバリ(リクイガス・キャノンデール)とフレデリック・ケシアコフ(アスタナ)もまた、思わぬ綻びを見せてしまった……。

さすがにこの日、ボーナスタイムを取りに行く猛者は現れなかった。またステージ序盤から逃げた17選手の中に、総合上位勢がこっそり紛れ込むこともない。おかげでエスケープ集団は、それほど苦もなく最大8分超のタイム差を奪い取った。

2級ベンタナ峠からの高速ダウンヒル中に、前方集団を恐怖が襲う。カールステン・クローン(BMCレーシングチーム)とセップ・ファンマルケ(ガーミン・サーヴェロ)が、ガードレールにぶつかり、そのまま崖下へと放り出されてしまったのだ! 不幸中の幸いで、両者とも命に別状はなかった。ただし落下時に一瞬意識を失ったというクローンは、大事を取って即時リタイア。ファンマルケはボロボロになりながらも、最終グルペットで完走した。ちなみにこの日、大会前はマイヨ・ロホ候補に上げられていたミケーレ・スカルポーニ(ランプレ・ISD)が、絶不調から抜け出せぬまま大会を離れている。

やはり体調が悪く、4日前は高熱にうなされていたというレイン・タラマエ(コフィディス ル クレディ アン リーニュ)は、ここまでリタイアせずに走り続けてきたことを心から喜んだに違いない。スタート直後には、「ダヴィ・モンクティエの山岳賞ジャージを守るため」という使命を帯びて、チームのヨアン・バゴットと一緒に前方集団に飛び込んだ。さらに自分が想像以上に好調だと悟るや、ラスト40km、2つ目の峠の麓で渾身のアタック。集団内のダビ・デラフエンテ(ジェオックス・TMC)を引き連れて、逃げ切り勝利へと突き進み始めた。

「ゴール前に吸収されるだろう」とデラフエンテは信じ切っていたという。背後からは確かに急速に危険が迫っていた。やはり2つ目の峠でマルツィオ・ブルセギン(モヴィスターチーム)が飛び出し、続いてダニエル・モレーノ(チーム・カチューシャ)もアタックを打った。それぞれ総合15位と総合9位の両者は、特にタイムトライアル巧者のブルセギンの牽引力で猛烈に追い上げてきたのだ。ところが吸収されたのは……むしろブルセギン集団のほうだった。さらに後ろのメイン集団が、エウスカルテル・エウスカディの先導で追いついてきたのだ。目標だった総合表彰台が絶望的で、いまだステージ優勝さえ手に入れられていないオレンジ軍団は、バスク突入前にチームの誇りを取り戻したいと願っていた。そしてラスト6kmでアメッツ・チュルーカ(エウスカルテル・エウスカディ)がカウンターアタックを仕掛けたとき、タラマエとデラフエンテは、いまだに1分ものリードを保っていた。

逃げ切り勝利には十分なタイム差だった。タラマエはゴール前2kmでさらに加速し、山頂では生まれて初めてのグランツール勝利をつかみとった。7月のツール・ド・フランスで総合12位という好成績を残しながらも、「どうしても満足できない。ブエルタに出して欲しい」とチーム上層部に直訴したという24歳は、ついに満足のいく結果を手に入れた。もちろんモンクティエの山岳賞ジャージにとっては「ナイスアシスト」であり、しかもプロコンチネンタルチームのコフィディスにとっては今大会2つ目の山頂制覇だ!

一方のデラフエンテは、あえて勝利を取りに行かなかった。「無線で指示されたからね。それに総合アップを狙ってチームメートが大一撃を決めたんだから、当然のことさ」とさらりと語った2006年ツール「スーパー敢闘賞」は、一度もグランツール区間勝利の喜びを味わったことはない。しかしあっさりとタラマエを見送り、走行スピードを緩めると、2km前にアタックを成功させたファンホセ・コーボ(ジェオックス・TMC)を待った。チーム内で総合トップ(前日終了時で1分27秒差の8位)につけるコーボと合流してからは、すでに限界に来ていた脚に鞭打って必死の牽引を行った。献身的な働きを見せたデラフエンテは、後続のライバル達を20秒近く引き離しただけでなく、リーダーの手に区間2位=ボーナスタイム12秒さえもつかませた。

おかげでコーボは55秒差の総合4位へと大きく順位を上げた。それにしても、総合表彰台を争える面々の中で、マイヨ・ロホとのタイム差を縮めたのはコーボただ1人だった。ヴァウテル・プールス(ヴァカンソレイユ・DCM)もわずかながら5秒縮めて、22位から17位へと上昇。またブラドレー・ウイギンズ(チームスカイ)の右腕としてまたしても山頂まで驚異的なリズムを刻みつづけたクリス・フルーム(チームスカイ、7秒差)、さらにバウケ・モレッマ(ラボバンク、36秒差)とデニス・メンショフ(ジェオックス・TMC、2分56秒差)の3人だけが、唯一のプラスマイナスゼロ。

つまりそれ以外の全ての選手が、ウイギンズから遅れを喰らってしまったことになる。とりわけゴール前3kmで突然千切れたニバリとケシアコフの痛手は大きい。「最終峠で突然力が入らなくなった」というニバリはウイギンズとの差を4秒→1分25秒、「前夜よく眠れなかった」ケシアコフは9秒→1分23秒と後退。またヤコブ・フグルサング(チーム レオパード・トレック)も19秒から58秒へとタイム差を開いた。つまり前夜までの「36秒差に6人」というすし詰め状態は解消された。それでも2分以内に8選手がひしめいたまま、9月5日の日曜日、2011年ブエルタ最難関ステージを迎える。


■レイン・タラマエ(コフィディス ル クレディ アン リーニュ)
ステージ優勝

先週はずっと喉が痛くて、休養日も体調が悪かった。39度の熱があったんだ。ひどく調子が悪かった。その翌日は、ステージ優勝を決めたチームメートのモンクティエの、ずっと後ろをたった1人で走った。リタイアさえ考えた。だからボクを励まし続けてくれた監督のステファヌ・オジェに感謝しなきゃね。彼はボクにこう言ってくれたんだ。「お前がどんな調子なのか俺には分かってる。俺にもそんな経験はあるからね。でも走り続けろ。フィニッシュラインまでしがみ付け!」ってね。ゴール前35kmでスプリンターのグルペットに合流できたけれど、ゴール前15kmでまた置いていかれてしまった。ひどいモンだったよ。決して元には戻れないだろうと考えたほどさ。その翌日(第12ステージ)も、まるで調子は良くならなかった。でも昨日は調子が良くなって、そして今日はボクが勝者さ。ちょっとした奇跡だよね。

今日は静かにしていようと思ったんだけれど、最後のアタックで、動きについていったんだ。でもプロトンはついてくるだろうと思っていた。後ろを振り返ってみると、18人の集団ができていて、これが正しいえ集団だったんだ。でも怖かった。最後まで逃げ切れないんじゃないかと恐れていたんだ。ゴール前5kmまでは、捕らえられるに違いと考えていたよ。それにデラフエンテのことも恐れていたんだ。だからゴール前2kmでアタックを仕掛けた。彼がコボを待ったのか、それとも力尽きたのか、それは分からない。でもその時点で、ボクが勝てると確信した。

■ブラドレー・ウイギンズ(チームスカイ)
総合リーダー

素晴らしい1日になった。チームメートが今日も素晴らしい仕事をしてくれた。彼らがいなかったら、きっとボクはこんな場所にいられなかっただろうね。調子は良かったし、力強く登ることができた。でも厳しいコースだったね。まるで簡単じゃなかったさ。でも全ての選手にとって厳しかったはずなんだ。また1日、終わりへと近づいた。ボクらはとにかく最後まで戦い続けていくし、できればマイヨ・ロホを勝ち取りたいものだ。

どんな選手にだって、空白の1日というのがあり得るんだ。だからニバリの脱落には驚かなかった。明日は我が身かもしれない。だから、ニバリの脱落について興奮してはダメ。たとえ今日はトップに立っていようとも、明日は大きく後退している可能性が十分にあり得るんだから。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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