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ア・ラ・フースホフト
ついに2012年大会も最後の勝負地ピレネーへと突入し、地平線の向こう側には、うっすらとパリが見えてきた。いまだに区間勝利を追い求める選手にとって、うかうかしている時間はない。総合上位を狙う選手も、副賞ジャージ争いを繰り広げる選手も、そろそろ総決算のときがやってくる。
「昨日の落車の影響がまだ体に残ってる。それに今日よりも、休養日明けのステージの方が山岳ポイントを大量に取れる。だから今日は静かに、体力温存するつもりなんだ」
赤玉ジャージを着込んだフレデリック・ケシアコフ(アスタナ プロチーム)は、あっさり休養宣言を出した。一方で緑色の衣装に身を包むペーター・サガン(リクイガス・キャノンデール)は、まるで22歳の元気な肉体をもてあましているかのように……、5日連続のアタックを打った!
4日前は、難関山岳ステージで大逃げに乗った。続く3日間の無謀な試みは失敗に終わった。この日またしても、難関山岳テージにも関わらず飛び出しを成功させた。しかもスタート直後から何度もしつこく試みて、最高潮にスピードの上がっていた2級ポルテル峠の上りで、ついにエスケープ権を手に入れたのだ。
「マイヨ・ヴェールのためのポイントを取る。それだけを考えてエスケープに逃げ込んだ。ビッグネームがたくさん入り込んでいたから、ステージ勝利にはそれほどこだわらずに走ったんだ。もちろん勝てたら最高だったけど……」
2009年大会では、やはりマイヨ・ヴェール姿のトル・フースホフトが、難関山岳ステージで大逃げを打っている。当時は複数の中間スプリントが設けられていたが(当該ステージは2ヵ所)、しかし上位通過者3人にほんのわずかなポイント(6、4、2pt)しか与えられなかった。現在のように「逃げ集団の後ろでスプリント」はほぼ不可能だったため、だからこそフースホフトは無謀な賭けに出た。そしてこの日の奮闘が実り、パリで2度目のポイント賞王者に輝いたのであった。
つまりア・ラ・フースホフト(フースホフト風)の大逃げを、サガンは2度もやってのけたことになる。第10ステージではマシュー・ゴス(オリカ グリーンエッジ)が共に逃げていたため、中間スプリントの先頭通過は果たせなかった(3位通過)。この第14ステージでは、幸いにも他の10人がポイントに興味を示さなかったため、問題なく1位20ptを懐にしまいこんだ。
「これは犯罪だ!」
ポルテル峠でのひどい加速合戦で、一旦はバラバラに砕け散ってしまったプロトンは、自主的にお昼休みを取ることに決めたようだ。スカイ プロサイクリングのアシスト勢がプロトン前方の定位置を動くことはなかったが、ペダルをこぐ脚は明らかにゆっくりとなった。ときには世界チャンピオンジャージで決めたマーク・カヴェンディッシュが、先頭ポジションを任されたりして……。ゴールまで40kmを残して、タイム差は約15分半にまで開いていた。
しかもこの大量リードは縮まるどころか、最終的にはさらに広がった。ひとつの事件……いや、犯罪が原因だった。
それは1級峠ミュール・ド・ペゲールで起こった。ツール初登場の、狭くて、とびきり勾配の厳しい道の両脇には、たくさんの観客が詰め掛けていた。前方集団ではルイスレオン・サンチェス(ラボバンク サイクリングチーム)がチームメートの力を借りて猛加速。サンディ・カザール(FDJ・ビッグマット)、フィリップ・ジルベール(BMCレーシングチーム)、ゴルカ・イサギーレインサウスティ(エウスカルテル・エウスカディ)がすぐさまあとに続き、粘り強い走りでサガンも追いついた。さらには「サガンとゴールスプリントを争いたくなかった」と語るフランス人のカザールが、単独で飛び出した。沿道のファンたちは、チャンピオンたちの真剣勝負に熱狂したはずだった。
後方のメイン集団内では、カデル・エヴァンス(BMCレーシングチーム)が軽い加速を切った。なんとかスカイの護衛隊員が事態を収拾すると、下りを控えてマイヨ・ジョーヌのブラドレー・ウィギンス(スカイ プロサイクリング)が集団前線へ出た。細かいカーブが多い上に、雨で濡れた路面には、たくさんの危険とチャンスが潜んでいるに違いなかった。そして選手たちは次々と山を下り始めた。
その時だ。後輪がパンクしたエヴァンスが、立ち尽くしたまま、山頂でひとり取り残されてしまった。メカニックを乗せたチームカーも、自らのホイールを渡してくれるチームメートも側にはいない。ただ、時間だけが流れていった。あとから山を上ってきた2人目のチームメートにホイールをもらい、補給に当たっていたメカニックではないスタッフに車輪交換をやってもらい、ようやく再スタートを切ることができた。しかし下りでも2回のパンクに見舞われた。5人のチームメートと共にチームタイムトライアルさながらの追走体制に入れたときには、すでに2分近いタイムを失っていた。
実はエヴァンス以外にも多くの選手がパンクに見舞われている。開催委員会の報告によれば、ペゲール峠からの下りで32件のパンクが発生したという。レース委員長のジャンフランソワ・ペシューは、ゴール後にこう報告した。
「まったく最初は何が起こったのか分からなかったよ。大量のパンクが一気に起こったんだからね。原因は、山頂付近に何者かによって釘がばらまかれたこと。絨毯を床に固定するために使用するピンだった。本当に許しがたい」
さらに開催委員長のクリスティアン・プリュドムは「容赦しがたい馬鹿げた行為」と糾弾し、BMC監督ジョン・ルランゲは「時速80km/hでダウンヒルすることもある選手を殺す気か」と声を荒げた。
ノーアタック、ノーコンテスト
開催委員会は今回の事件を受けて、被疑者不詳のまま告訴することを決定。地元検察は「他者の生命を危険にさらした行為」として予備捜査を開始した。実際にロベルト・キセロフスキー(アスタナ プロチーム)はパンクのせいで落車し、右鎖骨骨折で救急車送りとなっている。またしても不運に襲われてしまったエヴァンスだが、一大事を避けられただけでも、幸いだったのかもしれない。
なにより総合4位のディフェンディングチャンピオンにとってありがたかったのは、スカイ軍団とウィギンスが、すぐさまメイン集団の加速を止めたこと。
「1人や2人のパンクなら不思議に思わないさ。でも10人、20人と大量にパンクが起きたんだから、誰だって『普通じゃない』『おかしい』と気がつくはずだよ。それにエスケープ集団とは大量のタイム差がついていて、ステージ優勝の行方もほぼ決まっていた。そんな状況で、他人の不幸を利用して、タイムを稼ごうなんてまるで思わなかった。至極普通のことだ」
こう語るウィギンスは、紳士の国の選手にふさわしく、好敵手の不運につけこむような卑劣なまねはしなかった。リクイガス・キャノンデールとそのリーダーであるヴィンチェンツォ・ニーバリや、ロット・ベリソル チームとユルゲン・ヴァンデンブロックも、マイヨ・ジョーヌのイニシアチヴに賛同した。……おそらく本来ならば、彼らは「対ウィギンス」のアタックを予定していたに違いないのだが。
「ボクは最初からアタックするつもりだったんだ」
と、ピエール・ローラン(チーム ユーロップカー)は憤慨した様子で語る。減速走行の命令が集団内に行き渡るほんの直前に、総合9位のローランは飛び出しを仕掛けた。スカイ列車に一度回収されるも、再び、スピードを上げた。皮肉なことに、ポルテル峠からの下りでローランがメカトラの犠牲になったとき、ライバルたちは誰も待ってはくれなかった。ただ新城幸也を筆頭に数人のアシストが惜しみない力を捧げてくれたおかげで、プロトン復帰を果たしていたのだ。だからなおのこと、このニュートラリゼイションに納得できなかった。
「色々と議論になっているみたいだし、チームバスに帰ってからもあれこれ言われちゃったよ。でもあの瞬間は、自分にはアタックする権利があると思った。外野からあれこれと言われるは不満だね」
それでも最終的には、無線連絡を受けて、しぶしぶながらローランは加速の足を止めた。たくさんの不遇な選手と共に、エヴァンスは無事にメイン集団へと復帰した。何よりもウィギンスは——最終盤にはライバルたちの猛攻を覚悟していたであろうウィギンスは——、思いもかけない静かな午後を過ごすことができた。パリまでのカウントダウンも、自動的に1つ減った。そして有力選手たちはみな揃って、区間勝者から18分15秒差で静かにフィニッシュラインを超えた。
18分15秒の先には、LLサンチェスが、見事な4度目のツール区間勝利を手に入れている。「スプリントにもつれ込んだら、サガンには絶対勝てない」と悟っていたため、ゴール前11.4km、強烈な一撃を振り下ろした。天国にいる弟に報告するためには、これで、十分だった。また残り4人で行われたゴールスプリントは、予想通りにサガンが制した。マイヨ・ヴェール争いでは、2位アンドレ・グライペル(ロット・ベリソルチーム)を97ptも上回り、ダントツの首位を突っ走っている。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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