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プレジデントからのブラヴォーを
ユキヤの日。チームユーロップカーのスタッフたちは、前夜からこんな風に語っていたものだ。チームはステージ3勝を手にし、トマ・ヴォクレールの山岳賞はすでに確定し(しかも2度の区間勝利へとつながるエスケープへと導いたのは、新城幸也だ!)、総合8位ピエール・ローランの総合の争いも最終タイムトライアルを残すのみとなっていた。つまりパリまで3日を残した222.5kmの長距離平坦ステージは、逃げてもいいステージであり、そのチャンスを新城はしっかりとつかみ取った。
しかもきっかけを作ったのは新城だった。スタート直後から猛スピードのアタック合戦が巻き起こり、まずは6選手が必死で飛び出しを試みる。しかし延々と20秒程度のタイム差のままプロトンと綱引き状態を続けた結果、なぜかエスケープは許されない。そう、第15ステージで新城が30kmほど飛び出しをトライするも潰された、あのときと同じ状況だ。
するとつまり……3日前もそうだったように、吸収の瞬間にカウンターアタックが決まった!60km地点での新城の飛び出しに、5選手がすぐさま追随した。あっさり逃げは決まった。さらに10選手が後ろからやって来て、16人の大きなエスケープ集団が出来上がった。
「逃げ切れる、と思いました。みんな何も言わずに黙々とリレー交替を続けたし、いいメンバーも揃っていた。集団内ではアレクサンドル・ヴィノクロフ(アスタナ プロチーム)とミハエル・アルバジーニ(オリカ グリーンエッジ)を危険視していました」
こんな風に語った新城は、ゴール前42km地点の4級スイヤック峠で、積極的に先頭通過を狙って行った。マイヨ・ア・ポワ・ルージュのトマ・ヴォクレールへのアシストのためでなく、チームの賞金総額をさらに引き上げるため。ところで新城が加速をかける、ちょうどその直前のことだ。前方集団の後ろを走る大会開催委員長オフィシャルカーに、就任したばかりのフランス共和国大統領フランソワ・オランド氏が乗りこんだ!
「ツール・ド・フランスとは世界最大の自転車レースであると改めて実感させられましたよ。日本人選手さえも、ああして健闘していたほどですから」
ゴール後、たくさんのマイクに囲まれたオランド氏は、こんな風に感想を述べた。新城の走りは、フランス大統領の記憶にしっかり刻み付けられたようだ。
奮闘の日々も終わりに近づき
さらにフィニッシュライン通過直後の新城は、フランス公共テレビ局の人気スポーツアナウンサー、「ジェジェ」ことジェラール・オルツの生中継インタビューにも引っ張り出された。こうしてフランスで認知度をぐんぐん上げている新城だが、残念ながら、第4・10・16ステージに続く4度目の逃げを——第10・16ステージはヴォクレールのために働いたから個人的野心をかなえるための逃げは2度目だ——最後まで続けることは出来なかった。
「一体、どこのチームが追いかけてきていたんですか?」
特に力を入れたのは、いまだ今大会初勝利を追い求めていたオメガファルマ・クイックステップとエウスカルテル・エウスカディ、ソール・ソジャサンだ。最大でも前線軍団に3分半ほどリードしか与えず、長らく2分半ほどで制御した。最終盤が近づくにくれてオリカ グリーンエッジやリクイガス・キャノンデール、さらにスカイ プロサイクリングも追走に加わって、プロトンとの距離は急速に上がって行った。
「みんな脚がないふりをしていながら、上りが始まったら突然、加速を始めちゃったんですよね。なんだ元気なんじゃないか!って(笑)」
ついにはタイム差が1分を切り、最終峠へと誘うアップダウンが始まると、エスケープ集団内で抜け駆けを試みるものが続発。これまでひとつの塊だったのが、途端にバラバラに弾け散った。新城も犠牲者の一人だった。態勢を立て直そうと追いかけるも、時すでに遅し。
「とにかく悔しい!」
3週間の疲れが一気に噴出してきたような、珍しく疲れた表情で新城は苦笑いした。追い討ちをかけるように、ゴール後は425kmの長距離移動が待っている。総合上位20位以内の選手にはヘリコプターが用意されていたが、そのほかの全ての選手たちはチームバスでの移動となる。マッサージを受けることは出来ないし、ホテルに到着する頃には21時近くになっているはずだ。翌日には最後の関門、53.5kmのタイムトライアルも立ちはだかる。シャンゼリゼまであと一息だ!
エンディングは衝撃的に
この日のプロトンでは、2007年のマークス・ブルグハート(BMCレーシングチーム)やサンディー・カザールに続く「ワンワン落車(命名:栗村修氏)」が、フィリップ・ジルベール(BMCレーシングチーム)他数人を巻き込む珍事も発生した。大きくて毛むくじゃらな黒犬が彼らをなぎ倒したのは、飼い主がリードを外していたせいであり、思わずカッとなったジルベールが飼い主に詰め寄るシーンも。
また153人にまで小さくなったプロトンは、スペースに余裕が出てきたはずにも関わらず、ヤネス・ブライコヴィッチ(アスタナ プロチーム)が側溝に転がり落ちてしまった。もちろん犬のせいではなく、「最後の」通常ステージで、多くのチームが勝利を目指してピリピリしていたから。
「朝のミーティングでは、チームはこれまで同様のリズムを保ってパリまでいこう、今日はエスケープを逃がそう、との話しがあった。でもボクはどうしても、今日、スプリントしたかった。勝ちたかった。だからチームメートにお願いしたんだ。プリーズ、プリーズ、ボクにスプリントをするチャンスを与えて欲しい、って」
勝利への意欲を燃やしていたのは、こう語ったマーク・カヴェンディッシュ(スカイ プロサイクリング)も同じだった。例年とは違ってひどく難しい大会を戦っていたが、だからこそいつも以上にハングリーだった。そして前夜ほぼマイヨ・ジョーヌを確実にしたブラドリー・ウィギンスがOKを出し、さらにはエドヴァルド・ボアッソンハーゲンを前線に送り出した。実に2012年ツール19日目にして初めて、スカイの選手がエスケープ集団に滑り込んだことになる。
一方で3日間連続でエスケープを打ったのがヴィノクロフ。人生最後のツールを戦っている予定の(あくまでも「予定」だ)38歳は、笑ってサヨナラを言うために、区間勝利がどうしても欲しかった。だから新城が振り落とされたあとの集団から、ゴール前13km、アタックを畳み掛けるように幾度も打った。ルーカ・パオリーニ(カチューシャ チーム)とアダム・ハンセン(ロット・ベリソル チーム)が付いて来ると、一緒に前を引くよう促した。メイン集団から飛び出してきたアンドレアス・クレーデン(レディオシャック・ニッサン)、ニコラス・ロッシュ(アージェードゥゼール・ラ・モンディアル)、ルイスレオン・サンチェス(ラボバンク サイクリングチーム)が合流すると、ますます厳しく前を引くよう命令を飛ばした。どうにかしてゴールラインまで逃げ切るために。
「他人の仕事を利用しようとする人間は常にいるものさ。でも、ボクに後悔はない。できる限りのことをしたのだから」
ヴィノクロフの飛ばした檄と、折りよく降り出した雨と、細かいアップダウンのある曲がりくねった道のおかげで、ぎりぎりのバランスを保って6人は逃げ続けた。ゴールまで3kmを残してタイム差は10秒。もはや絶体絶命か、いや、もしかしたら……。
そのときだ。黄色い人影が、追走集団の先頭に競りあがってきた。しかもその後ろにはノルウェーチャンピオンジャージと、世界チャンピオンジャージがぴったりと張り付いている。つまり世界最高峰ルーラーのマイヨ・ジョーヌが、世界最速スプリンターために高速列車を走らせた。ウィギンスの華麗なるな牽引はゴール前1kmまで続き、ほんの少し前まではエスケープ側の人間だったボアッソンハーゲンが仕事を引き継いだ。
「でも最後のカーブ(ゴール前600m)でボアッソンハーゲンとはぐれてしまった。そこで気がついたんだ。まだ前方とはかなり大きな距離が開いていて、その穴を埋めるのは至難の業であるってことに。だから自分自身で、追いかけることに決めた」
そこからのカヴはまるで牙をむき出しにした闘犬のように、敏捷で、獰猛だった。恐ろしい勢いで6人を責めたて、ゴール前わずか100mでとらえると、そのまま雄叫びを上げてフィニッシュラインへと突っ込んで行った。そのまま200mほど、ヴォォーと吼えながら駆け抜けていったほど、その猛烈な勢いは止まらなかった!
カヴェンディッシュにとっては通算22回目のツール勝利。これまでの4年間で一大会平均5勝を上げてきた世界最強のスプリンターにとって、2012年大会ではようやく2勝目となる。……もちろん!2日後には3年連続で制しているシャンゼリゼ大集団ゴールも手に入れるつもり。
「ボクはすでにパリで勝ったことがあるけれど、あれを再現できるとは思えないんだ。あんなことは人生に1度きりだよ」
結局28位でステージを終えて、敢闘賞を手にしたヴィノクロフは、フランステレビ局のインタビューに寂しそうにこう答えた。2005年のシャンゼリゼステージで、最後にアタックを決めて単独勝利を手に入れた——新城幸也にもインスピレーションを与えた——あの衝撃的な勝ち方は、もう見られないのだろうか。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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