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クレイジーな1日だった。ドラマチックでさえあった。ファブリシオ・フェラーリ、シリル・ベッシー、パブロ・ウルタスン、ビセンテ・レイネス、ルーカ・ドーティの5人は、スタート直後に逃げ出したけれど、特に大きな見せ場を作ることもなくゴール前36km地点前後で吸収されていった。そう、例の「橋」を、1度目に越えた直後のことだった。
3級山岳への軽い上りで終わるステージは、パンチャー、もしくは上れるスプリンターが勝機をつかむだろうと予想されていた。だから、まさにそんな脚質の持ち主、ジャンニ・メールスマンを擁するオメガファルマ・クイックステップが、かなり早い段階で追走に乗り出した。逃げ集団のリードが6分近くに開くと、いまだゴールまで140km以上も残っていたというのに、猛烈な加速を始めた。ゴール前70km地点では、すでに差は1分にまで縮まってしまった。
(ちなみに154km地点のアロウサ島内で予定されていた第2スプリントポイントは、113.6km地点、つまりにこのゴール前70km近辺に変更されていた)
ちょっと詰めるのが早過ぎたんじゃないか……と、ここで他チームから軽い横槍が入ったこともあり、オメガファルマは追走の手を緩める。そこからは2分15秒ほどの差で、上手にコントロールを続けた。あとは最後の上りへ向けて、ゆっくりと準備を重ねて行けばよいはずだった。
スピードが落ちた直後に、小さな集団落車が発生した。「補給を忘れてしまった」という初歩的なミスで、前夜ハンガーノックに陥ったセルジオルイス・エナオモントーヤが、軽く地面に転がり落ちてしまったのだ。チームメートの協力を得て、スカイプロサイクリングの「リーダー」は、すぐにメイン集団へと再合流を果たす。不幸中の幸いだった。なにしろ、ようやく追いついた頃には、のんびりとした時間帯はもはや終わりを迎えていた。複数チームが、こぞって前方へと猛進し、熾烈なるポジション争いを始めていたからだ。
大陸とアロウサ島をつなぐ「橋」が、ほんの目と鼻の先に待ち受けていた。大西洋にかかる橋の上には、強風が吹き荒れている。しかも道の真ん中にはパイロンが並べられ――島をぐるりと回ったら、すぐに同じ橋を引き返してくるためだ――、道幅は半分に狭められている。アクシデントを避けるためには、絶対に集団先頭で橋に突入しなければならない。
緊張感がどんどん増して行く中、ゴール前43km、つまり橋まで数キロの地点で、90度カーブが突如として目の前に現れた。至極当然のように、集団内部で将棋倒しが起こった。おそらく半分以上の選手が、脚止めを喰らったに違いない。バウク・モレッマ、ミケル・ニエベ、ドメニコ・ポッツォヴィーボ、ティボー・ピノ、ラファル・マイカ、サイモン・ゲランス等々のいわゆるチームリーダー格も、分断の犠牲者となった。つい先ほどまで集団先頭を引いていたはずのオメガファルマも、トニー・マルティンやゼネック・スティバールが、罠にはまった。
小さくなったメイン集団は、それでも加速を止めようとはしなかった。とりわけモヴィスターが……つい1ヵ月半ほど前のツール・ド・フランスの、強風吹き荒れた第13ステージで置き去りにされたアレハンドロ・バルベルデが、あの日、喜び勇んで加速を続けたベルキンのリーダーを、しかもその後に「文句を言う前に、自分の過去をよく思い出せ」と批判した張本人モレッマを、待つわけがなかった!
「後方で落車があったことは無線で聞かされたけれど、前方だって緊張感でいっぱいだった。とにかく前方に留まることが、落車や分断から避けるための最善の方法だった。あんな状況になったのは、いたって当然のことだよ。だって橋の通過は、まるでクレイジーだったから。道が真ん中で分けられていたけど、あれはボクらを殺すつもりだったのかな。ガリシアは……バカンスに来るなら美しい場所なんだけど」(バルベルデ)
ため息が出るほど見事な風景の中で、3つに分断した集団は、凄まじい追いかけっこを繰り広げた。カハルラルの選手がパイロンに引っかかって落車し、さらに対向車線を走る一団を見咎めて、ファビアン・カンチェッラーラが減速を呼びかけたこともあった。しかし事態はそう簡単には収拾しなかった。40秒ほどの遅れを取り戻すために、ベルキンやエウスカルテルは前方集団のアシストを後ろに下げてまで、執念深く追走を続けるしかなかった。
島を抜け出して、橋の復路を無事に終えたころ、ようやく前方集団は落ち着きを取り戻していった。ゴール前20km、プロトンは再びひとつになった。
とてつもないカオスを抜け出した後、3級峠へと真っ先に飛び込んだのは、オリカ・グリーンエッジの隊列だった。落車分断で体力を使い果たしたゲランスの代わりに、マイケル・マシューズで勝利を狙おう、そう作戦変更しての特攻だったという。しかし山は思いのほか長かった。ラスト3kmではフアンアントニオ・フレチャがアタックを仕掛け、続いてイタリアチャンピオンのイヴァン・サンタロミータが飛び出したが、いずれも最後まで勢いは持たなかった。
仕掛けるべき最高のタイミングは、どうやらゴール前1kmのアーチの下だった。しかも勝負を決める一撃を振り下ろしたのは、上れるスプリンターでもパンチャーでもなく、オールラウンダーのクリストファー・ホーナーだった。
「山の麓から上部まで、次々とアタックがかかったね。ボクも加速した。そして後ろを振り返ったときに、ほんの少し、距離が開いたのが見えた。だからとにかく頭を下げて、フィニッシュラインまで全力で走ることに決めた。でも、あまりにもアタックが多かったものだから、最後の選手を追い抜いた時に、果たして彼が最後の1人なのかどうか100%確信が持てなかった。チームカーの無線はひたすら『ゴー!ゴー!』と叫んでた。だからとにかく夢中で走った」(ホーナー)
夢中でたどり着いたフィニッシュラインを、ホーナーは一番に駆け抜けた。41歳でつかんだ、生まれて初めてのグランツール区間勝利だった。正確に言えば41歳と307日で……、1963年ツール・ド・フランス第9ステージを41歳95日で制したピノ・セラミを追い越して、「グランツール最年長区間勝者」へと踊り出た!
区間勝者に与えられる10秒のボーナスタイムのおかげで、マイヨ・ロホを身にまとう栄誉さえ手に入れた。もちろん「グランツール最年長リーダージャージ」のタイトルも同時獲得だ。区間勝利がわずか212日の記録更新だったのに対して、こちらは3歳も大幅に塗り替えている。だって2007年ジロ・デ・イタリアで、アンドレア・ノエがマリア・ローザに袖を通したのは38歳。ホーナーに比べれば、まだまだひよっ子だったから。
「ボクは自転車レースが大好き。自転車のトレーニングが大好きなんだ。この年齢になると、『自転車に乗るのは、もしかしたらこれが最後になるかもしれない』って、毎日のように考える。落車がすなわち、『もはや次はない』という意味に十分なりえるからね。だから毎日集中し続けることや、モチベーションを高く保つことは簡単なんだ。長い経験のおかげで、勝つことがどれだけ難しいことなのか理解してる。多くの選手たちがレースをやめて行く中で、勝者になることがどれだけ奇妙なことなのかもね。でも年を取れば取るほど、ボクはこのスポーツをもっともっと好きになる。だから続けていきたいんだ」(ホーナー)
41歳の3秒背後では、33歳バルベルデと34歳ホアキン・ロドリゲスがスプリントを仕掛け、それぞれ2位6秒と3位4秒のボーナスタイムを手に入れた。28歳ヴィンチェンツォ・ニーバリは同タイムゴールで満足し、ホーナーから3秒差で、一旦マイヨ・ロホを脱いだ。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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