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ゼロkm地点で、トニー・マルティンは飛び出していった。荒涼としたスペインの大地で、ひとりぼっちのエスケープ。もしや約1ヵ月後に迫った世界選手権で個人タイムトライアル王座を守るための、トレーニング代わりだったのだろうか?
「別に区間を勝ちに行ったわけじゃないんだよ。世界選手権のために、ハードに走りこみをしたかっただけなんだ。それにチームの仕事を軽減するためでもあった。ジャンニ・メールスマンとアンドリュー・フェンが、スプリントで何かできるはずだと思ったからね。できれば数選手が一緒に来てくれたらよかったんだけど、でも、誰も付いてきてくれなかった」(マルティン)
実際は、同じような脚質を持つマルコ・ピノッティが、一緒に行くことを望んだのだ。しかしマルティンは、気がつかぬまま、そのまま孤独に突っ走ってしまった。プロトン屈指の強脚ルーラーは、比較的平坦な道をわずか30kmほど走っただけで、後続とのリードをあっさり7分半にまで広げた。
過去のグランツールで、マルティンは個人3勝を上げている。その全てが、当然のように個人タイムトライアルである。また数々のステージレースで総合タイトルも手に入れてきたけれど、やはり大部分は、個人タイムトライアルでリードを奪って……というものばかり。極めて珍しい例外は、去年のツアー・オブ・北京第2ステージ。ゴール前25kmで単独アタックを打ち、逃げ切り勝利を決めたのだ。
総合優勝を狙う面々は、南へと向かう移動ステージ=休戦ステージを、ただ無傷で乗り越えるよう考えていればよかった。それでも第1中間スプリントポイントでは、バウク・モレッマがボーナスタイム獲得に向かい(1秒獲得)、またステージ最終盤は落車の危険性を避けるために、どの有力チームも集団前方に位置取りを心がけた。ただ、もちろん、すでに総合で31分以上の遅れを喫しているドイツ人を、猛烈に追いかける必要は特になかった。
つまり追走作業は、スプリンターチームに託された。だって山だらけの今ブエルタにおいて、ひどく貴重な2日連続の、スプリントチャンスになるはずだったから。前日に勝利の喜びを味わったオリカ・グリーンエッジは、早々と追走作業を引き受けた。1年前にはジョン・デゲンコルプと共にスプリント5勝をもぎ取ったチーム アルゴス・シマノも……今年は少し威力は弱まっていたけれど、やはり集団前方で隊列を組んだ。ゴールまで20kmを残して、タイム差は1分にまで縮まった。全ては順調に行っているように、思われた。
ところが、極限に達してからの全力疾走こそ真のトレーニングなり……とでも言わんばかりに、ドイツ警察の威信をかけて、マルティンは最後の力を振り絞り始めた。時にはダンシングスタイルを織り交ぜて加速し、時にはエアロダイナミクスポジションで高速ダウンヒルを敢行した。最終盤にロータリーやカーブが多かったのも、逃げに有利に働いた。
「ゴール前10kmで、差はいよいよ小さくなったから、諦めようかとも思ったんだ。でも、いや、再び加速を切ることに決めたのさ。それから、後方プロトンがなかなか差を縮めることができないと知って、もしかしたら行けるかもしれないと考えた」(マルティン)
確かに、ゴール前15km地点では15秒、11km地点で10秒にまで小さくなったタイム差は、9km地点で再び19秒に開いた。2004年ブエルタ第11ステージで、同じくタイムトライアルスペシャリストのデイヴィッド・ザブリスキーが成功させた衝撃的な単独エスケープ勝利の、再現もありえるかもしれない……と、多くの関係者やファンたちが息を呑んだ。ただしあの日162kmを逃げ切りったザブは、メインプロトンに、いまだ1分11秒差も残していたのだが。
「残り5km地点で、疲れを感じた。最終盤のコース地形は厳しくて、小さな上りに苦しめられた。それに、プロトンも全速力で追いかけてきたからね。とにかくフィニッシュラインだけに集中し続けた。奇妙な感覚だった。フィニッシュラインの縞模様が目に入ると同時に、後ろからプロトンが近づいてくる音が聞こえたんだ」(マルティン)
マルティンのおかげで仕事をする必要のなかったオメガファルマ・クイックステップのチームメートたちは、最終盤に何度もプロトンの前方に上がっては、ブレーキ代わりの防護壁作りに奔走した。一方でガーミン・シャープやアルゴス・シマノは、必死の形相で前方へと突進を続けた。ラスト3kmで8秒差、2kmで9秒差、1kmで6秒差……と、1人vs194人のギリギリの綱引きは、文字通りフィニッシュ直前まで続いた。
無我夢中で突き進む現役タイムトライアル世界チャンピオンを、無常にも現実へと引き戻したのは、世界選手権で手強いライバルとなりそうなファビアン・カンチェラーラのロングスプリントだった。世界選で4度、五輪でも1度、タイムトライアルの世界王者に君臨してきたスパルタクスが、第4ステージの上りフィニッシュでも見せた強烈な加速で、秩序のない混沌たる世界に引導を渡した。僅か40m、マルティンは足りなかった。
「カンチェラーラが追いかけていなかったら、ボクらはマルティンに追いつけていなかっただろうね!」(ミカエル・モルコフ)
そしてフィニッシュラインでは、ミカエル・モルコフが大笑いした。マルティンやカンチェラーラとは種類こそ違うものの、やはり、かつては世界チャンピオンジャージを身にまとったことのあるエリートライダーだ(2009年トラック世界選手権でマディソン種目制覇。ガーミンのジャージで今大会参戦しているアレックス・ラスムッセンとペアを組んでいた)。ただしグランツールでの区間勝利は正真正銘の初体験である。
「すごく嬉しいし、信じられないほど誇らしい。デンマークジャージを着て勝てるなんて、本当にスペシャルだ。ブエルタでの区間を勝てたことは、間違いなくボクのキャリアにおける最高のハイライトになるだろう。こんなチャンスが来る日を、ずっと待ち望んできたんだ。ボクはただファビアンの背中にくっついて、それからあまりにも速くスプリントを仕掛けないよう、ただそれだけに腐心した。パーフェクトだった」(モロコフ)
前日に続いてマキシミリアーノ・リチェーゼが2位で終わり、カンチェラーラは3位で好調さを確かめた。総合順位に特別に変化はなく、ヴィンチェンツォ・ニーバリは3日連続4回目のマイヨ・ロホ表彰式に臨んだ。相変わらずニコラス・ロッシュが山岳賞と複合賞のジャージをしっかりと着込み、前夜勝者のマシューズが新たに緑色のポイント賞ジャージを与えられた。
敢闘賞は文句なしで……インターネット投票でも得票率91.4%とダントツ首位をさらいとったマルティンに与えられた。174.5kmをたった1人で逃げ続けて、最終的に区間7位だった。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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