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英国に灰色の空が戻って来た。マーク・カヴェンディッシュはスタート地に現れたが、沈鬱な表情で、母国のファンとツールに別れを告げた。
「いつもなら、手厳しい一発を喰らっても、上手く立て直して反逆に向かえるんだけど。でも昨日、地面に転がり落ちたとき、なにかいつもと違う感触があった。ダメだ、とすぐに悟った。でも、明朝にはきっと腫れは引いてるさ、ってあくまで前向きな気持を持ち続けた。ただし、実際は、悪化してた。最悪のシナリオだ。ひどく失望しているよ」(カヴェンディッシュ、囲みインタビュー)
鎖骨を脱臼し、おそらく手術の必要があるという。外科手術を受けた場合、リハビリ期間は約6週間。冬季間にスプリント列車を大幅に補強し、ジロをあえて欠場し、英国で幕を明けるツールの初日優勝・初日マイヨ・ジョーヌを追い求めてきたカヴは、わずか190.5km走っただけで夢から醒めた。残り3週間の戦いは、テレビ観戦することになった。
失意のカヴを残して、197人のプロトンは風の強い丘陵地帯へと走り出した。コース発表時から今ステージは「ミニ・リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ」と銘打たれていたけれど、むしろ「ミニ・アルプスステージ」と呼ぶ方がふさわしかったかもしれない。だってファンの多さはラルプ・デュエズに引けを取らぬほど多かったし、……マイヨ・ジョーヌ本命や総合上位候補たちが、ちょっとした真剣バトルを見せてくれたから!
ステージ前半は7人のエスケープが盛り上げた。山岳ポイントのたびにスプリントを試みたシリル・ルモワンヌが、赤玉ジャージ着用の権利を手に入れた。しかしステージ全体に散らばる9つの丘陵のうち、5つがぎゅっと詰め込まれたラスト60kmに向けて、徐々に、そして確実に、メイン集団はタイム差を縮めて行った。予定通りにゴール前60km前後で7人中6人が吸収され、最後まで粘ったビエル・カドリもまた、ゴール前36km地点で呑み込まれた。
メイン集団……とは、ここまでは、いわゆるマイヨ・ジョーヌ集団のことである。ここから先は、残念ながら、先頭集団からマイヨ・ジョーヌは姿を消す。ピュアスプリンターのマルセル・キッテルは、ゴール前61km、アルデンヌクラシック風の起伏に飲み込まれていった。フィニッシュまでの残り距離は、割れんばかりの歓声を聞きながら、心静かに黄色のジャージを満喫した。最終的には区間首位から19分50秒遅れでゴールラインを越え、前夜のスプリント勝者は、たった1日でリーダーの座を下りた。
代わりに「メイン」の座にのし上がろうと企てたのが、キャノンデールだ。繰り返す起伏の波に、すでに大多数のスプリンターは後方へと消えていた。一方で新人賞の白いジャージを身にまとうペーター・サガンは、集団前方にしっかりと居座り、チームメートたちにきっちりと牽引を行わせた。2010年にプロ入りして以来、春先は石畳クラシックを重点的に転戦してきたため、実のところサガンがリエージュ〜バストーニュ〜リエージュを走ったことはない。ただアムステル・ゴールドレースには3度参戦して3位入賞、フレッシュ・ワロンヌは昨季初出場で12位に食い込んでおり、むしろLBL風アップダウンは大好物。区間勝利を手に入れて、未だ袖を通したことのないイエロージャージを手に入れる絶好のチャンスだった。
スカイ、アスタナ、ティンコフ・サクソ、モヴィスター。つまりマイヨ・ジョーヌ有力候補を擁する強豪ビッグチームも精力的に前方で隊列を組んだ。表向きは、観客のあふれかえる山道で「とにかく安全を確保するために」(クリス・フルーム)、「できる限り前にいるように心がけた」(アルベルト・コンタドール)。本音は「だからといって区間勝利を狙わないわけではない」(アレハンドロ・バルベルデ)。
そんな中ユーロップカーは、闘争心を隠そうとはしなかった。エスケープにはペーリ・ケムヌールを送り込んだ。カドリ独走中にはトマ・ヴォクレールが、続けてシリル・ゴチエが飛び出しを試みた。さらには新城幸也→シリル・ゴチエの猛牽引で、ピエール・ローランを前方へと送り出した。ゴール前19kmのアタック。決して単に最後から2番目の山岳ポイントを取りに行ったわけではない。
「周囲の選手たちが、みな疲れ始めているのを感じた。だから、これは区間勝利に向けた絶好のチャンスかもしれない、と飛び出したんだ」(ローラン、ゴール地インタビュー)
勇敢なアタックは、しかし、フラストレーションのたまる結果に終わった。一緒に張りついてきたジャンクリストフ・ペローを切り捨てて、今ジロ総合4位のヒルクライマーは単独で逃げ距離を稼いだものの、キャノンデールアシスト勢の奮闘により、ゴール前8kmで集団に引きずり戻された。
「背中に張りついてきたペローは……、大声で文句は言いたくないけれど、リレー交替するつもりはまるでなかったみたいだった。それに、下り終わったら、次の最終起伏にすぐに入れるものだと考えていたんだ。ロードブックでしっかり距離は把握していたつもりなんだけど、想像よりも、次の山までの平地が長かった。つまり、決してボク向きの地形じゃなかった」(ローラン、ゴール地インタビュー)
ローランが待ち望んでいた最終峠では、マイヨ・ジョーヌ争いの大本命2人が腰を上げた。コンタドールとフルームが順番に、上りで1度ずつ、パンチ力を披露した。とてつもない衝撃は生み出したが、敵をまとめて置き去りにするほどのギャップは生み出せなかった。下りに入ると、アスタナのヤコブ・フグルサングが強烈なダウンヒルを仕掛けた。もはやアシストのカードを全て切り終わっていたサガンは、自らで追走を先導した。危険も顧みずに猛スピードで坂を駆け下りた。
「ボクに大いに勝機があると分かっていたから、とにかく優勝目指して突っ走った。アシストを使い切って孤独な戦いを強いられていたのは、なにもボクだけじゃなかった。コンタドールはひとりだった。フルームだって、孤立していたように思うけど」(サガン、ミックスゾーンインタビュー)
ただ、ヴィンチェンツォ・ニーバリだけは、違った。アスタナ第2リーダー、つまりフグルサングの特攻をサガンに潰された後は、第1リーダー、すなわちニーバリが矢のように飛び出していく番だった。ゴール前2km。一気に大きな穴が開いた。「まさかこんなに簡単にボクを行かせてくれるなんて思わなかった」(公式記者会見)とニーバリ自身が驚いたほどだ。
実のところ、ニーバリには、チームの枠を超えた「第3」のアシストの存在があった。本人はおそらく知らなかったであろうが。
「誰もボクに協力してくれなかった。ボクからマイヨ・ジョーヌのチャンスを奪い取ろうと、全員が虎視眈々と狙っていた。あの時も、ボクの方を見るばかりで、みんな動こうとはしなかった」(サガン、ミックスゾーンインタビュー)
だったら、もうやめだ。24歳の若者は、追走作業を中止した。もしも追いかけたら、他の選手たちが背中にぴったりする張り付いてくるに違いない。それに、「ニーバリは友達だ」。リクイガス時代には元チームメートの勝機を、意図せず邪魔してしまったこともあった。けれどこの日は、アスタナへ行ってしまった仲間の、初めてのツール区間勝利を背後から見守った。
「ラスト1kmはすごく長く感じた。いつまでたっても終わらない、そんな気がした。何度も後ろを振り返った。だって向かい風があまりにも強すぎて、上手く前へ進めないものだから、追いつかれるんじゃないかと怖かったから。とにかく絶対にこの区間を勝ちたかった。マイヨ・ジョーヌを手に入れたかった」(ニーバリ、公式記者会見)
人生を賭けたタイムトライアルを戦っています……なんて英国らしく英語のレース実況が流れる中、新イタリアチャンピオンは熱心にペダルを回した。後続に2秒差をつけてフィニッシュラインへと駆け込むと、アスタナカラーの奇妙なナショナルチャンピオンジャージの上に、黄色いジャージを颯爽と羽織った。2014シーズンはここまでイマイチ調子が上がらず、ツール調整レースは不発続き。そのせいか、昨ジロの総合覇者は、フルームやコンタドールより「一段下」のマイヨ・ジョーヌ候補とみなされていたけれど……。
「そんなことは気にしていなかったよ。ただボクは、自分なりのやり方で、ツールに向けて調整をしてきただけ。それにしても、ジロ、ブエルタのリーダージャージに続いて、ようやくマイヨ・ジョーヌを着ることができた。すごく感動している。とてつもなく誇らしい。ただし、ボクの本当の目標は、このジャージをパリで着ること。この先はまだまだ長い、もっと難しい時をたくさん過ごすことになるだろう」(ニーバリ、公式記者会見)
2秒遅れの集団内ではフレフ・ヴァンアーヴェルマートが先頭でフィニッシュラインを越え、4位サガンは「今後はマイヨ・ヴェール保守に集中する」と黄色い夢をいさぎよく諦めた。コンタドールやフルームもまた、イタリアのライバルにそれぞれ2秒を献上した。
「今日はちょっと疲れたよ。ほかのライバル選手たちも、みんな、ボクくらい疲れてるといいんだけどなぁ」(フルーム、ゴール後インタビュー)
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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