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サイクル ロードレース コラム 2020年4月10日

【プロトンは必ずやって来る!!】リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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パンダ

パンダに追走される


2013年大会:ダン・マーティン、すべてが完璧だった日

キャリアの中で最高の1日はいつかと問われれば、今でもダン・マーティンは、2013年4月13日を迷わず上げる。

ミスもなく、エネルギーは「1オンスたりとも」無駄にせず、ポジション取りも申し分なく。なにより体調は最高だった。約1ヶ月前にカタルーニャ一周総合を制した勢いを、いまだに保っていた。

チームワークもパーフェクト。前年のジロ総合覇者ライダー・ヘシェダルが飛び出すと、ライバルチームの脚をたっぷりと削ってくれた。サン・ニコラで合流した後は、残り約1kmまで猛烈に牽引した。

「おかげで、幸いにも、僕にはまだ十分な脚が残っていた。ライバルたちの脚はからっぽだったのにね」

可哀想なプリトが……ジロではヘシェダルに破れ総合2位、カタルーニャではマーティンに破れやはり2位のホアキン・ロドリゲスが、フラム・ルージュ手前で渾身のアタックをしかけるも、マーティンは実に余裕を持って追いついた。

感覚は極限にまで研ぎ澄まされていた。いわゆる「ゾーン」に入った状態だった。その後に起こった「奇妙な出来事」さえ、マーティンの目には入らなかった。そう、例の、2013年リエージュを語るときに絶対に欠かすことのできないあの事件を、実は本人は認識していなかったという。

「たしかに僕は振り返った。でもあれは後ろの選手との距離を確認するため。誰かが背後を走っているのは感じたけど、単に『どいてくれ』って思っただけ」

それが「パンダ」だったなんて、気が付かなかった。おかげで集中力を切らすことなく、完璧なタイミングで加速に転じた。まずは追いかけてくるパンダを振り払い……最終カーブの手前で、ロドリゲスを突き放した。

「子供のころから夢見てきたレースだよ。テレビ中継を見逃したことは一度もなかったし、過去の名勝負は全て記憶している。いつか僕にも勝てるはずだと信じていた」

ところで憧れのリエージュを、完璧なるやり方で勝利したマーティンにとって、パンダの存在は唯一の汚点、ならぬ黒点だろうか?だって、いまだにネタとして振られるし、すっかり「マーティン=パンダ」となってしまったし。

本人は「ファニー」と笑い飛ばす。むしろ良いことのほうが多かった。

レース映像が世界中を駆け巡ったおかげで、チームには新しいスポンサーがついた。パンダがトレードマークのWWF世界自然保護基金だ。またレース報道写真を見て、秋のツアー・オブ・北京は「パンダコーナー」なるアトラクションを取り入れた。当然マーティンは大スターとしてレースに参加し、パンダと記念写真をたっぷり撮った(総合2位にも入った)。移籍後さえもバイクパートナーが、「セルティック・パンダ」なるモデルを作ってくれた。

なによりマーティンは、あの日を境に、間違いなく世界の強豪の仲間入りを果たした。「伏兵」扱いから、クラシック本命へ。翌年の秋にはイル・ロンバルディアで、人生2つ目のモニュメントを手に入れた。

リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ

2014年大会:100回記念大会、最古参に新陳代謝をうながす

ラ・ドワイエンヌ。いわゆる最古参。春クラシックシーズンを締めくくるリエージュ〜バストーニュ〜リエージュこそ、現存する最古のクラシックレースである。

1892年の誕生後は、様々な紆余曲折を経てきた。中断はなんと過去5回、通算23年にも上る。だからモニュメントとしては「年下」のルーベやロンバルディア、サンレモより、実は開催回数は少い。この2014年にようやく、記念すべき100回大会にこぎつけた。

まさしく祝典だった。可能な限り全ての現役歴代勝者が集結し、世界チャンピオンも、前年のジロ&ツール覇者もスタートへ駆けつけた。日本を代表する2人、別府史之と新城幸也も揃い踏み。そしてベルギー国王と史上最強エディ・メルクスが見守る中、プロトンは262.9kmの長旅へと飛び出していった。

最高の舞台が整えられた。レース終盤には「80年代の勝負地」フォルジュ坂が特別に復活を果たした。また前年は工事中で迂回を余儀なくされたロッシュ・オ・フォーコンも、今年は激戦を待ち受けた。

期待や注目度はとてつもなく大きかった。

だからこそ、30人ほどの小集団スプリントで勝負が決した直後、落胆の声があちこちから噴出した。これはスプリンターズクラシックではない。仮にもリエージュ〜バストーニュ〜リエージュなのだ。「信じられないほどに失望させられた」と大会委員長プリュドムは告白し、世界中のメディアは「この上ないほど退屈だった」と書き立てた。

ただし誤解なきよう。決して勝者を非難するものではない。だって最初から「狙いは小集団スプリント」と宣言していたサイモン・ゲランスは、自分のやるべきことをきっちりやり遂げただけなのだ。

「これまでも素晴らしい勝ちをいくつも手にしてきたけれど、リエージュは特別なんだ。表彰台に上る日を、ずっと待ち続けてきた。勝利を夢見てきた。だから、うん、この勝利は最高に美しいよ」

間違いなく、オリカ・グリーンエッジは、レースを見事に制御した。例のフォルジュ坂でひどく苦しんだゲランスを、チームメートたちは忠実にサポートした。並み居る強豪パンチャー&クライマーを完全に封じ込め、得意の小集団フィニッシュに持ち込んだ――。

つまり非難の対象は、史上初のオーストラリア人リエージュ覇者ではない。むしろ尻込みして大胆な勝負に出られなかったパンチャーたちに、批判の目は向けられた。同時にコース設定に疑問を呈する声も相次いだ。

開催委員会は、翌年からさっそく、レース改革に取り組んだ。フォルジュ坂はあっさり1度の使用で切り捨て、2016年にはフィニッシュ手前2.5kmに石畳の激坂を組み込んだ。この石畳坂さえも1度きり。2017年には終盤に新たな起伏を3つ入れてみた。続く2018年は中盤に2つ坂を追加した。

最古参は新陳代謝を繰り返す。2019年、ついにフィニッシュ地さえも変更した。27年間に渡り勝負を見届けてきたアンスから、リエージュの中心地に移動。つまり文字通り、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュへと、新たに生まれ変わった。

文:宮本あさか

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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