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サイクル ロードレース コラム 2016年5月11日

ジロ・デ・イタリア2016 第4ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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まるでイタリアへの帰還が合図であったかのように、イタリア人が栄光を勝ち取った。フクシアピンクのランプレ・メリダは計画通りに戦術を実行し、リーダーのディエゴ・ウリッシが勝利を射止めた。オランダの予熱もいまだ冷めない。チーム ジャイアント・アルペシンがやはり計画を遂行し、トム・デュムランがばら色の日々を取り戻した。初めてジロのイタリアステージを走ったマルセル・キッテルは、マリア・ローザを心から満喫する余裕のないまま、たった1日で首位を明け渡した。翌日の誕生日を、ピンクの花吹雪で前祝いすることは叶わなかった。

クラシックのような目まぐるしい展開が待っていた。プロトンの頭上には気持ちの良い青空が広がっていたけれど、休養日明けの鈍った感覚を、のんびり調整している余裕などなかった。なにしろ、ヨーイドンを合図に、目まぐるしい加速合戦ヘ突入した。しかも20kmを過ぎて、ニコラ・ボエム、ジョセフ・ロスコフ、マッシアース・ブランドル、マテイ・モホリッチの4人が小さな集団を形成しても、一部チームは決して逃げを容認しようとはしない。特に執拗に追走を継続したのは、逃げ遅れたニッポ・ヴィーニファンティーニだった。序盤1時間の時速は50.1kmにも達した!

ニッポが「3区間連続エスケープ」を完全に諦めると、ほんの少しだけ、静かな時間が訪れた。キッテル擁するエティクス・クイックステップが集団前線に位置取りし、走行速度を緩めさえした。第3ステージ後の記者会見では「誕生日に向けてジャージを無理に守りに行くつもりはない」と語っていたドイツ人スプリンターだけれど、心の奥底では「もしかして、もしかすると……」(ゴール後TVインタビューより)と願っていた。だから、上りがそれほど得意ではないキッテルのために、1つ目の3級峠をチームはゆっくり引っ張った。走行時速は一気に42kmまで落ち、逃げとのタイム差も最大の3分半に広がった。

優しい時間は、しかし長くは続かない。2つ目の3級峠へと差し掛かった途端に、ジャイアント・アルペシンがスピードアップを断行したのだ。「今大会は総合争いをするつもりはない」と繰り返し語っていたオランダ人ルーラーだけれど、心の奥底では、野心を燃やしていた。

「最終盤が難しいことは分かっていた。ただマルセルが耐えられないくらい難しいのかどうか、確信が持てなかった。とにかく2番目の山で加速し、逃げを吸収し、『カオスを創りだそう』と計画を立てた」(デュムラン、公式記者会見)

目論見通り事は進んだ。上りに入ってわずか3kmで、逃げ集団との2分差を帳消しにした。ゴールまで50kmを残して4選手を完全に飲み込んだ。キッテルも千切れていった。山頂では1分半差を押し付けた。最後の『カオス』に関しても、確かに創りだした。

「ここからレースは完全にコントロール不能となった」(デュムラン、公式記者会見)

早すぎる吸収は、しばしカウンターアタックを誘引するもの。ただステファノ・ピラッツィとダミアーノ・クネゴの加速に関しては、あくまで500m先の山岳ポイントを争うため。2004年ジロ総合覇者が、逃げそこねたチームの無念を晴らすかのように、2013年ジロ山岳賞をスプリントで指した。しかも1日の終わりには、自身にとって2004年第18ステージ以来12年ぶりの山岳ジャージ(当時は緑色だった)を手に入れた。

キッテルの集団復帰は、果たしてデュムランの計画通りだったのだろうか。上りは苦手でも、グルペッターというのは下りが得意なのだ。マリア・ローザの意地にかけて果敢なダウンヒルを試みたキッテルは、10kmほど下った先で、メイン集団に戻ってきた。

……こうしてプロトンが再び大きくなった、まさにそのタイミングだった。さらなるカオスの幕が開ける。アージェードゥゼール・ラ・モンディアルのギヨーム・ボナフォンとアクセル・ドモンが、息を合わせて飛び出した。すると2人に続けとばかり、不平分子が次々と反発を試みた。数人、また数人と小さい塊が前方へと分離していった。ラスト30kmで、塊は20人ほどにまで膨れ上がるも、どうやら選手たちには協力して先を急ごうという意識はなかった。抜け駆けと吸収が、呆れるほどに繰り返された。結局のところ、ヴァレリオ・コンティがたった1人で牽引の全責任を引き受けるその時まで、小さないざこざは終わらなかった。

ゴール前15km。11人にまで絞りこまれた前方集団で、コンティがウリッシを背負って加速を開始した。後方ではアレハンドル・バルベルデ擁するモビスターが6両列車を走らせ、その後ろでアスタナも7人の隊列を組み上げた。そしてキッテルが、またしても……千切れた。これが決定打だった。もはやキッテルは急ぎもしなかった。「明日のスプリントのために体力温存したんだ」とゴール後に語ったように、誕生日勝利に向けて気持ちを切り替えたからだ。

コンティの献身は5kmに渡って続いた。2014年ブエルタで「ゼッケン1」をつけ、今大会でもゼッケンの下ひと桁がエースナンバーの「1」――ただし2011年ジロ第3ステージ中に命を落としたワウテル・ウェイラントを悼んで、108番が永久欠番になった影響であり、ランプレのエースナンバーはウリッシの100――という23歳は、約1年前にはツアー・オブ・ジャパンの伊豆ステージを制した。この日は「開幕前からこの区間に狙いを定めていた」というウリッシのために、すさまじいまでに発射台役を務めた。

「今回の勝利はスペシャルなんだ。全てが計画通りに進んだからね。最初のステップは逃げに選手を送り込むこと。これはモホリッチが達成してくれた。次に起伏の接近に備えて、チーム全員が力を合わせて僕を好位置へ引き上げた。そしてコンティには、最終盤に僕の側にいる、という任務が与えられていた。最後の上りを待たず集団から飛び出したのだけは、少々『即興』だったんだけど」(ウリッシ、公式記者会見より)

計画を完了させたのは、もちろんウリッシの脚だった。区間最後の急勾配に突入した直後、まずはシッティングで、さらに畳み掛けるようにダンシングで加速すると、ライバル全てを振り払った。フィニッシュまで9km、ウリッシは完全なる独走態勢に持ち込んだ。

後方では総合上位を争う強豪たちが加速合戦を始めていた。最終8kmは下りだったし、ラスト2500mは長い直線だった。上りてっぺんでわずか20秒のリードしか有していなかったウリッシにとって、最後まで逃げ切れるのか、絶対的な確信は持てなかったはずだ。それでも、後ろを振り向かず、ひたすらペダルを回し続けた。

「行くしかない、何も考えるな、って自分に言い聞かせ続けた。ただ全力を尽くせ、ってね。最後はひどくきつかったし、監督は無線で怒鳴ってた。でも脚よりも、耳のほうが痛かったかも」(ウリッシ、ゴール後TVインタビューより)

背後からものすごい勢いで追い上げてくる25人の集団を、わずか5秒差で交わして、フィニッシュラインへ先頭で飛び込んだ。これまで手にしてきた4度の区間勝利とは違う、初めて独走で勝ち取ったジロの区間勝利だった。これはまた、「調子は抜群だったのに何かがズレていた」という今シーズン待望の1勝目でもあった。もちろん2016年ジロにとっては、初めてのイタリア人勝利である。

バルベルデ、ニーバリ、イルヌール・ザッカリン、エステバン・チャベス、ラファル・マイカ、ドメニコ・ポッツォヴィーボ、リゴベルト・ウラン、ミケル・ランダ、ステフェン・クルイスウィク……という総合表彰台候補がほぼ全員滑り込んだ追走集団から、最後にデュムランはするりと抜けだすと、2位フィニッシュ(1秒リード+ボーナスタイム6秒)をさらい取った。しかも総合2位に20秒差を付け、オランダで味わったようなコンマ差や1秒差という不安定な状態からもおさらばした。本人の見立てによれば、少なくとも今週いっぱいは、ばら色の日々を楽しめそうだ。

「今週は起伏がそれほどきつくないから、守り続けられるだろうね。木曜日に山頂フィニッシュが控えているけれど、調子が良ければ、あの程度の上りはまるで問題はない。それに日曜日には、僕が狙いを定める、個人タイムトライアルも待っている」(デュムラン、公式記者会見より)

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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