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サイクル ロードレース コラム 2016年7月5日

ツール・ド・フランス2016 第3ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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マーク・カヴェンディッシュの再生が、本物であることが証明された。ひどく長くて、退屈な1日の果てに。わずか数センチの差だった。今大会2つ目の、そしてキャリア通算では28個目の区間勝利を手に入れ、ツール史上区間勝利数で、ついに2位ベルナール・イノーに並んだ。

開幕前後の慌ただしい5日間を過ごしたマンシュ県と、強風や雨雲を連れてきた大西洋に、ツール一行は別れを告げた。進路は南。あいかわらず空は灰色だったけれど……、幸いにも地形も、空模様も、平和だった!そして大部分の選手は、自主的に休養をとることに決めたようだ。飛び切り厳しかった2日間の疲れを癒すように、レース開始から4時間は、時速33km前後でゆっくりとサイクリングが行われた。

スタートと同時に熱心に仕事にとりかかったのは、なんと198選手中、たったの1人だけ。フォルテュネオ・ヴィタルコンセプトのアルミンド・フォンセカだ。なにしろこの日のコースは、生まれ故郷のレンヌの、ほんのすぐそばを通過する。いわゆる「レジォナル(地元選手)」として、家族や友人の前で、勇敢な姿を見せたかった。

「今日は単純に、ブルターニュを通過するから、前に飛びだすつもりだったんだ。良いツールにしたい、そう心から願ってきた。だから思う存分楽しんだよ。耳でも、目でも、たっぷりとね!」(フォンセカ、ゴール後インタビューより)

フォンセカを見送ると、197人は長くのんびりとした午後に突入した。たった25km走っただけで、タイム差は11分半にまで開いた。さすがに、その後のギャップは3分半〜6分半ほどに落ち着いたが、初めてのマイヨ・ジョーヌを満喫するペーター・サガンとその仲間たちの主導により、静かな時間は続いた。

こんなぐだぐだとした時間に耐えられなくなったのが、トマ・ヴォクレールだった。37歳になっても、今なおエスケープに情熱を燃やす男は、レースには活気が必要だと考えた。ゴールまで残り90km、タイム差は5分半。大胆に単独アタックを仕掛けると、たった1人でフォンセカを追いかけた。年齢がちょうど10歳違う、2人のフランス選手は、わずか5kmほど先で合流した。

「延々と何にも起こらなくて、選手にとっても、ファンにとっても、かなりつまらない状況になっていた。だからちょっと馬鹿げた試みに打って出たくなったんだ。それに昨夜は、サッカーのフランス代表が輝かしい勝利を収めて、僕たちを喜ばせてくれた。その熱狂を引き伸ばしたかった。とにかく沿道を盛り上げて、楽しみたかったのさ。プロトン内でおとなしく待っている義務なんて、僕らにはないんだから!!」(ヴォクレール、ゴール後インタビューより)

サッカーフランス代表が、欧州選手権準々決勝にて5‐2でアイスランドを破った……そんな前夜の喜びにに酔いしれるフランスのスポーツファンに、ヴォクレールは間違いなく大きな興奮を振りまいた。あくびが出るようなレースに、動きを与えただけではない。大逃げでマイヨ・ジョーヌ10日間×2回を成し遂げてきたヴォクレールが逃げることで、「もしかしたら……」というサスペンスの香りも漂い始めた。

「自分の勝利を考えた、と言ったら嘘になるなぁ。むしろチームメートのブライアン・コカールのために飛び出したんだ。だって僕も年を取って、もはや、ラスト10kmのポジション争いで、アシストすることはできなくなった。だけど、前に飛び出すことなら、僕にもできる」(ヴォクレール、ゴール後インタビューより)

そう、ヴォクレール本人は、この平坦ステージが逃げ向きではないことを十分に承知していた。この日が決して、完全なる休養日ではないことも。案の定、ゴール前52.5kmの中間ポイントでのスプリントをきっかけに、プロトンは少しずつスピードを上げていった。ラスト20kmは、そこまで温存してきた体力を、まさに全力で放出した。スプリンターチームがこぞって隊列を組み上げた。特にアンドレ・グライペル擁するロット・ソウダルが、集団前方に陣取った。マルセル・キッテル属するエティックス・クイックステップや、さらにはスカイさえも、積極的に牽引に加わった。プロトンは恐ろしく細長く伸び、前にいる2人を急速に追い上げていった。

逃げ巧者のヴォクレールと、若きフォンセカは残る力を振り絞って、ぎりぎりの逃避行を続けた。しかし歯を食いしばっての抵抗もむなしく、ゴール前8kmで、大きな集団に飲み込まれた。敢闘賞はフレンチアイドルのヴォクレールに渡り、215kmも逃げ続けたフォンセカには、思い出だけが残された。

スプリント列車は乱立し、最終盤は時速70km近くまでスピードは上がった。せめぎあいを潜り抜けて、最終コーナーへ真っ先に突っ込んだのは、ロット・ソウダルだ。カーブを抜けたところで、グライペルが先頭に立った。ラストストレートは300m。少々先は長く、微妙な上り調子だったが、ロストックのゴリラは力強くペダルを踏みこみ、フィニッシュラインを一心に目指した。

その背後に、小さく潜んでいたのが、HTC時代の元チームメート……というか長年の宿敵だったカヴェンディッシュであった。

「最高のタイミングで、グライペルの後輪に潜り込むことができた。彼は早く仕掛けるだろうと読んでいたからだ。予想と違ったのは、彼が思っていた以上に強かったこと。加速が1度では足りなかった。2度目の加速を切る必要があった」(カヴェンディッシュ、公式記者会見)

フィニッシュラインで2人はハンドルを投げあった。グライペルは手を上げ、自らの優位をアピールした。ほんの少しだけペダルを回していた時間が長く、つまり一瞬遅れてハンドルを押し出したマーク・カヴェンディッシュは、小さくガッツポーズを握った。

「普通は勝ったか負けたかわかるものなんだ。だからラインを横切った瞬間に、今日は自分が取った、という感触を抱いた」(カヴェンディッシュ、公式記者会見)

そこからの待ち時間は長かった。ゴールエリアではグライペルの名が勝者として連呼され、地元テレビ局はすぐにスローモーション映像を繰り返し検証した。公式な判定はフォトフィニッシュに委ねられた。ほんの数センチ、いや、数ミリの差で、カヴェンディッシュに軍配が上がった!

「今日以上の僅差で勝ったことも、負けたこともある。でも僕はスプリントでグライペルに勝ったわけじゃない。最後の一突きで、破ったんだ」(カヴェンディッシュ、公式記者会見)

一大会で区間6勝(2009年)さえ手にしたことのある「元」世界最速スプリンターにとっては、実に丸3年ぶりとなる、ツールでの複数勝利だった。しかも通算区間勝利数では、113年の長い歴史を誇るツール史上で、2位タイの座に収まった。つまりベルナール・イノーと肩を並べ、見上げるべき選手はもはや「史上最強の自転車選手」エディ・メルクスしかいなくなった。

「自転車を始めたころ、イノーやメルクスと比較されるような選手になれるなんて、夢に見たことさえなかった。僕自身は名前だけじゃなく、数字自体にも衝撃を覚えている。だって28勝って、すごい数字だよね。もしもこのまま勝ち続けて、50勝できたら、とてつもなく素晴らしいことだろう。でも、もしも今日の勝利が、僕にとって最後のツール区間勝利になったとしても……、すでにとてつもなく素晴らしいことなんだ」(カヴェンディッシュ、公式記者会見)

223.5kmもの長距離ステージは、6時間でようやく幕を閉じた。つまりペーター・サガンは、たっぷりとマイヨ・ジョーヌ初日を満喫することができた。もちろん区間4位と、あいかわらずの高め安定を発揮して、問題なく黄色の日々を延長した。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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