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谷間を吹き抜ける風は、ラベンダーの香りを含んでいた。アルデッシュの大いなる自然と、青い空は、今日もいつもどおり美しかった。
ただし、この日ばかりは、誰ひとりとして、ツール・ド・フランスの喜びを心から感じることはできなかった。昨夜遅く、南フランスのニースが、テロの犠牲となった。パリ〜ニースの伝統的フィニッシュ地、プロムナード・デ・ザングレでの惨事に、自転車界は大きな衝撃を受けた。11月以来続くフランスの非常事態宣言はさらに3か月延長され、当然ながら、ツール・ド・フランスの続行さえも疑問視された。開催委員会は警察、憲兵、国家憲兵隊治安介入部隊、地元自治体と緊急会議を開き、政府の意見を仰いだ。
「レースは続けられなければならない。我々の生き方を変えようと試みる者たちのプレッシャーに、負けてはならないのだ」(クリスティアン・プリュドム、大会開催委員長、スタート前コメント)
キャラバン隊は楽しげな音楽は鳴らさずに、静かにコースを巡った。開催スタッフはみな黒い腕章をつけ、スタート地では1分間の黙祷が行われた。そして10時05分、事件から約12時間後に、個人タイムトライアルの第一走者が37.5kmのコースに走り出した。
選手たちにとっては、精神的に厳しく、なにより肉体的にとびきり難しい一日だった。コースにちりばめられた起伏に関しては、あらかじめ心の準備ができていたはずだ。しかし、すでに2日間たっぷり苦しめられてきた風に--1日目は平坦で、2日目は山岳で--、まさか再び苦しめられることになるとは!
「難しかったです。風が強かった……。特に昨日は、ずっと風の中で引いていたので、体力的に辛かったですね。しかも明日もまた強風の予報で。きっとまた、とんでもないレースが、繰り広げられることでしょう」(新城幸也、ゴール後インタビュー)
疲労の色は濃いものの、ほっとした表情の新城は、幸いにも13時過ぎにはホテルへの帰途に就いた。午後ゆっくりと体を休めて、翌日の風レースに備えることができそうだ。
この風と、起伏は、いわゆる「タイムトライアル世界王者」たちをも大いに苦しめた。個人TTで3度、チームTTで2度の世界王座に輝いたトニー・マルティンは、9位に終わった。アルカンシェル4回+五輪金メダル1回のファビアン・カンチェラーラは23位。現役世界チャンピオンのヴァシル・キリエンカに至っては、首位から7分33秒遅れの120位に沈んだ。ただ忘れてはならないのは、3人全員が、前日は総合系リーダーのために献身的に牽引を行ったこと。
一方で、オランダTTチャンピオンジャージを身にまとうトム・デュムランが、極めて難しいコースを完璧に攻略してみせた。ほんの5日前に、雹の降り続く標高2240mの山頂を、勇敢なる独走で制したばかりだというのに……。この日は全187人中唯一の50分台を叩き出し(50分15秒14)、あらゆる選手を退けて最強の強者となった。
「このステージはツール開幕時から狙っていたんだ。数日前から、TTのことだけに集中してきた。ただ、今朝目が覚めて、ひどいニュースを聞いた途端に固まってしまった。レースのことなんか、まるで考えられなくなってしまった。でも、ステージが予定通り行われることが決定されて、改めて集中し直した。今はふたつの相反する思いを抱いている。目標通りに区間を勝つことができて嬉しい気持ちと、ものすごく悲しい気持ちと」(デュムラン、公式記者会見)
ところでデュムランは、未だ世界の頂点をつかんだことはない。世界選手権で、個人TT銅メダルを手にした経験があるだけ。だから、今年は、リオ五輪で金メダルを獲得する予定だ。この日のステージ勝者記者会見で、「君が優勝本命だよね?」と尋ねられると、デュムランはためらわず答えた。Yes, I am--!
「今日の結果を見る限り、僕が本命であることを否定はできない。ただ今回はすでに12日間レースを走った後の個人TTであり、五輪はただ1日で争われるレース。だから状況は全く違うものになるだろう。とにかく五輪まで、今の好調さキープしていかなければならない。つまりこの先は、毎日全力で走るのではなく、調子を見ながら走っていく必要がある。五輪本番でも、今日のように、あらゆる努力が報われることを祈っているよ」(デュムラン、公式記者会見)
母国開催の五輪で個人TT銅メダルを獲得したクリス・フルームが、当然のように、総合勢の中ではダントツのトップタイムを記録した。デュムランには1分03秒もの差を付けられたが、ライバルの中で最も健闘したバウク・モレマからさえ、51秒ものリードを奪ったのだ。総合でもやはり2位に浮上したモレマとは、1分47秒差をつけた。
ただ、残念なことにこの日、フルームの「スポーツに関するコメント」が述べられることはなかった。実は前日も、審判団による協議が長引いたせいで、フルームへの質疑応答は一切行われなかったのだが、今ステージはマイヨ・ジョーヌ自身が総合争いの話をすることを拒否した。
「今日のような心境で、レースのことを話すのは難しい。テロが起こった現場は自宅(モナコ)からも、トレーニングロードからも本当に近い。だから、ただただ、恐れおののいているんだ。とにかく家族を失った人たちに、愛する人を失った人たちに、心からの哀悼の意を捧げたい」(フルーム、公式記者会見)
それでも、レースの話を続けるとしよう。モレマは前日すでに、調子のよさを証明していた。フランスTV局のオートバイと激突して、フルームやリッチー・ポートと共に落車の犠牲となったが、実は総合勢の中では真っ先にフィニッシュラインを越えていた。だからこそ、タイム救済処置は、オランダ人にとっては全く歓迎すべき対応ではなかったようなのだが……。それでも気持ちを切り替えて、この日のモレマは、「人生最高」のタイムトライアルを実現させた。
「風が多かった。でも、僕にとっては、有利な状況だったんだ。だって僕はオランダ人で、強風の中で走るのに慣れているから!」(モレマ、ゴール後インタビュー)
7kmの上り坂の果ての第1中間計測では、総合勢の中ではリッチー・ポートの14分26秒、フルームの14分33秒に次ぐ3位のタイム14分47秒で駆け抜けた。平地の果ての第2計測地点では、フルームとの差こそ40秒に開かれたが、他のライバルからはことごとく先んじた。そしてフィニッシュ地では、区間6位という好成績を上げ、1分47秒差の総合2位に浮上した。
前日あわやマイヨ・ジョーヌか……という立場にあったアダム・イェーツは、2分45秒差の総合3位に一歩後退した。またナイロ・キンタナはフルームからわずか37.5kmの道のりで2分05秒を失った。総合では2分59秒差の4位。ちなみに2015年のキンタナは第14ステージ終了後にフルームに3分10秒差をつけられたが、最終的には1分12秒差にまで追いつめている。
「ほぼ3分差で、早くも総合優勝が遠ざかってしまった。今の僕が願うのは、ただこの先、脚の調子が良くなっていくこと。山はまだまだたくさん残っているから、これからも挑戦は続けていく。とにかく、脚の調子次第だね」(キンタナ、ゴール後TVインタビュー)
キンタナのチームメートであり、大先輩でもあるアレハンドロ・バルベルデは好走を見せ、総合でもひとつ順位を上げた(5位3分17秒差)またBMCのダブルリーダーのうちの1人、ティージェイ・ヴァンガーデレンもTT巧者の評判通り、やはりひとつ順位を上げて6位3分19秒につけている。そして、この2人に立場を逆転されたのが、ロマン・バルデだった。
フランス希望の星ティボ・ピノが出走を取りやめた当日に、もう1つのフランスの才能、バルデは思うような走りを実現できなかった。184cm・65kgの痩身が、時速90km超風に体を押され、ふらつくシーンが幾度となく映し出された。いわゆるピュアクライマーのファビオ・アルやホアキン・ロドリゲス、ダニエル・マーティンと比べれば、かろうじてタイムを上回っているものの(54分07秒32)、本人には到底満足のできる成績ではなかった。
「風と起伏に苦しめられた。でも、苦しかったのは、他の選手も同じだったはず。コースが難しかったと同時に、この結果を受け入れることも難しい。でも、ツールはまだ終わってはいない。あくまでトップ5入りを狙っていく。すべてを決めるラスト1週が、まだ残っているのだから」(バルデ、ゴール後TVインタビュー)
現時点では総合7位につけている。フルームまでのタイム差は04分04秒、トップ5入りまでは47秒差、表彰台までは1分19秒差。
一方でリッチー・ポートは、総合11位から8位へと大きくジャンプアップを成功させた。第1計測地点では総合勢の中で最速タイムさえ叩き出していた。ところが後半で大きく崩れた。7km地点で22秒もリードしていたアダム・イェーツには、ゴール地では6秒のビハインドをこうむった。同じく40秒のリードを付けていたナイロ・キンタナにさえ、0.43秒差で負かされた。「リッチーはすごく強いけれど、総合リーダーになりたいなら、力配分と、日々の好調さの波を覚える必要がある」と昨季のフルームは助言していたが、この先のリッチーは果たして、どう戦っていくのだろうか……。
最終走者フルームがフィニッシュラインを通過した直後、フランスのTV局は、レース放送をいったん中断した。ニースのテロ事件を受けて、中央警察の署長が安全を喚起する演説を行ったからだ。その後、4賞ジャージ受賞者が表彰者で黙祷を捧げるシーンが、フランス全土に、いや、全世界に中継された。おなじみのカラフルなジャージに、黒い腕章が悲しく存在感を放っていた。フランスは3日間の喪に服している。第14ステージのスタート前にも、プロトンによる1分間の黙祷が捧げられる。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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